また、イギリスの海軍史家ラッセル・グレンフェル海軍大佐も著書『主力艦隊シンガポールへ』の中で次のように述べている。「真珠湾攻撃(米新聞報)」今日、世界で識者と称せられる人々の間では、日本が米国に対して質の悪い不意打ちを食らわせたと、真正直に信ずる者など誰もない。日本の攻撃は前から予期されていたものであるばかりか、疑いもなくルーズベルト大統領は米国を大戦に参加させようと腹黒く待ち構えていたのである。そして、参戦の機会を、実に日本から為される敵対行動に求めていたのである。「受けて立つ戦い」これこそ政治的に好ましいものだったのだ。それで、米国は武力を自ら使わないで、恥を知る国民ならば到底我慢のならないところ迄、日本をとことん追い詰め侮辱したのであった。分かり易く言えば、日本は米国大統領に示唆されて、米国を攻撃する羽目になったのである。また、ルーズベルト大統領の長女の元婿のカーチス・B・ドール海軍大佐も「ホワイトハウスで1941年11月25日に開かれた運命的な会議の記録を読み返してみて、私の以前の岳父ルーズベルト大統領および彼の側近たちの戦略は、平和を維持し保障することではなく事件を組み立て、あるいは引き起こさせて、アメリカを日本との戦争に巻き込むという陰謀にもっぱら関わっていたと私は悟ったのです。それを知って私の心は張り裂けんばかりでした。これは裏口からヨーロッパの戦争に入ることを可能にする計略でした」と書いてい 。一方、ハル長官は野村・
来栖大使から「対米覚書」を受け取ると、「『自分は過去九ヶ月間、あなたとの交渉中一言も嘘を言わなかった。わたくしは50年の公職生活を通じて、これほど恥知らずな偽りとこじつけだらけの文書を見たことがない。こんなに大がかりな嘘とこじつけを言い出す国がこの世にあろうとは、今の今まで夢にも思わなかった』野村はなにかものいいたげな様子であった。私は手を振って何か言いだしそうな彼を制止して、アゴでドアの方を指した。両大使はなにも言わないで頭を垂れたまま出ていった 」と回想録に書いているが、これが正史に
は書かれない「裏口参戦」への謀略の戦いのフィナーレであった。野村駐米大使の日米交渉が本格化するとウォルシュ神父は外され、1942年には南米に出国しようとしたがビザを取りあげられ、真実を語ることなく戦争二年目の1943年に世を去った。また、ドラウト司教は戦後に中国に渡り布教活動中にスパイ容疑で逮捕され、20余年後に釈放されたというが消息は不明である。また、戦争が終わるとアメリカは両神父から始められた日米和平交渉をJohn DoeAssociates(身元不明人)の私的な外交として、矮小し埋没し
てしまった。それは東京裁判の冒頭陳述でジョセフ・キーナン検事が真珠湾攻撃を行っていたその時に、日本代表が真珠湾奇襲攻撃をカムフラージするため、ワシントンで「偽りの外交」を行っていたとするアメリカの開戦史観を正当化するためであった。日本が真剣に誠意を持って八ヶ月も和平交渉を行っていたとしたのでは、東京裁判が成り立たないからであったが、さらに日米和平交渉の詳細が明らかになればルーズベルトの日本を戦争に追い詰めていった開戦責任が明らかになるからであった。これは戦後に日米交渉に参加したウォルシュやドラウトなどの文書を国立文書館やルーズベルト記念館などで収集保管せず、ウォルシュの文書はメリノール宣教会文書室、ワイズマンの文書はエール大学、ウォーカーの文書はノートルダム大学図書館が保管していることからも理解できるであろう 。また、第二の「通例の戦争犯罪」でも太平洋艦隊は開戦三ヶ
月前に作戦計画(「レインボー第五号(Wppac-46)」で、横浜、豊後水道、紀伊水道、対馬、長崎、下関、津軽に潜水艦を配備し、「漁雷、機雷および情況によっては砲撃をもって、船舶を含む敵兵力に最大の打撃を与える 」と敷設機
雷の禁止や非武装の商船を潜水艦で攻撃することを禁止した戦時国際法規(海戦法規)違反した作戦を計画し、日本軍が宣戦布告なくハワイを奇襲したことを口実に実施した。一方、ソ連は自国中心の世界共産主義体制を構築しようと、中国を操り日本を戦争に引き入れた「平和に対する罪」だけでなく、降伏した兵士や民間人を労働者として拉致し、40万人以上を殺戮した「人道に対する罪」を免れないであろう。シベリア抑留の死者40万人の数値に読者は驚くかもしれない。なぜならば半世紀以上も抑留者は60万人、死亡者6万人とされてきたからである。しかし、元イズベチャ副編集長でウズベキスタン国会議員、タシュケント市長を歴任したV・A・アルハンゲリスキーはヤコブ・A・マリク駐日大使が軍人と民間人の抑留者272万3492人から民間人を外し、さらにシベリアの『日本しんぶん』編集長から党の国際部副部長まで上り詰めた「灰色の枢密卿」の異名を持つイワン・コワレンコが、冷戦となりマッカーサーも関与できなくなると、嘘と詭弁を重ね死者40万人を6万とした 。また、ソ連は証拠を隠滅するために、1
959年4月9日には内務省から次ぎに示す墓地破壊指示を出し、日本人墓地の「人骨を蹴散らし、ブルドーザーやトラクターが走り回り、埋葬地は道路や住宅団地さらに菜園と化し、人造湖の湖底に沈んだ。イルクーツク州では1950年から54年までに七五カ所の日本人埋葬地が消滅した。否、抹殺された」と非難している 。「該当する地方警察および、その他の内
務省機関に指示する。雪解けのあとに残存する日本人埋葬地を破壊する。破壊される墓地では彼らが埋められている場所の盛り土を崩して平らにし、墓標を破壊し禍を取り払う。イルクーツク州領内の54カ所の墓地を破壊した後、六カ所の墓地が残る。これらは必要の場合、外国人が訪れることを許される墓地のリストに含める…(フルシチョフ、ブレジネフ、ブルガーニン、スースロフ、ミコヤン、ヴォロシーロフ)ソ連内務省監獄部長ブラノフ大佐アルハンゲリスキーは監獄部長プラノフ大佐が命令書にフルシチョフ首相をはじめとする最高指導者の名前を記したのは、「恐らく首脳の名を列挙することによってソビエト最高指導部の命令だと強調し、埋葬地破壊という忌まわしい通達を自分の名でしなければならないという罪の意識を少しでも薄めたかったのではないか」と書いている。中華民国(国民政府)や中華人民共和国も「日本切腹、中国介錯」の長期戦略で、モスクワの指令のもとに日中紛争を拡大し、日本を戦争へと誘導していった戦争煽動罪の「平和に対する罪」から逃れられないであろう。また、オーストラリアやオランダも大量の無実の日本軍人をB級、C級戦犯として復讐心から処刑した殺人罪から逃れることはできないのではないか。日本が世界的犯罪国家とされた真実を明確にし、東京裁判の不当性を明らかにし反論しなければ、日本の精神的復興が出来ないし、世界から信頼される国とはなれない。しかし、反省すべきことは大局的な世界観に欠け謀略に踊らされ、「仕掛けられた罠に自ら飛び込んでしまった」愚かさであり、この反省なく徒に連合国の戦争犯罪を指弾し、やたらとアジアを開放したなどと日本の正義を主張し、今次大戦の責任を軽減しようとすることは厳に慎まなければならない。おわりに歴史は国家の骨髄、偽史が国を滅ぼす1930年代初期に国民党中央宣伝部国際宣伝部は、「支那を征服せんと欲すれば、まず満蒙を征服せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざるべからず。之れ乃ち明治大帝の遺策にして、我が日本帝国の存立上必要事たるなり」との偽作の田中上奏文を日本の世界侵略計画であると世界中に宣伝した 。「田中義一首相上奏文」アメリカでは田中上
奏文を土台とした映画などが製作され、1944年には陸軍省が兵士の戦意高揚の映画『日中戦争(Battle of China)』で、勇敢に戦う中国兵のシーンに「なぜ、日本は中国を侵略す
るのか」とのナレーションが流れ、田中義一首相と田中上奏文が大写となり、そこには「世界帝国への日本の野望」とあり、日本が中国、オーストラリアなどを征服し、最期にはアメリカに魔の手を伸ばすとのナレーションが続いていた。この映画を見たルーズベルトは一般公開を命じ、ハリウッドの戦争活動委員会を通じて全米に配信され、一年余りの間に400万人が閲覧したという 。このように
田中上奏文は映画や雑誌などで広く知られるようになり、東京裁判は田中上奏文の筋書きに沿って裁かれてしまった(裁判の途中で偽書の疑いが生じ証拠とはされなかったが)。その後、1960年代には綿密な考証により「偽書」であることが世界的に定説となった。しかし、中国は日本の中国侵略が田中上奏文の記述とおりに展開されたと論点を変え、「文書の真偽」を「歴史認識」という問題にすり替え世界に発信し続けるなど、田中上奏文は中国が対日優位を確保する政治的プロパギャンダの道具とし、ロシアは田中上奏文の内容を信じ、原文がどこかに隠蔽されているとの見解をとり 、インドネシアやベトナムの教科書では、先の戦争を田中上奏文を用い、侵略戦
争であったと教えている 。しかし、日本政府の対応は論争を避け反論も一部の学者やジャーナリストに限られ、田中上奏文が日本の世界的孤立化、日米同盟分断の武器として利用され続けているが危機感は薄い。チェコの作家ミラン・カズンズは「一国の人々を抹殺しようとするならば、まず、その記憶を消す。書物を消す。歴史を消す。文化を消す。誰かに新しい書物を書かせ、文化を作らせ歴史を作らせる。人々はやがて自分の国の過去も、現在のことも忘れ始める」と書いているが、歴史を壊された民族は国家観を失い消滅することは、ソ連に併合された中央アジアの国々や中国に併合された内蒙古、ウイグル自治区、チベットなどの歴史を見れば明らかであろう。占領軍民間検閲隊(CCD・Civil Censorship Detachment)に
より、図書7769冊の没収、焚書により日本の歴史は消された 。さらに江藤淳は『閉ざされた言語空間』で「検閲」という巧みな言論統制により歴史が干渉され変えられてしまっただけでなく、「いったんこの検閲とこの宣伝計画(日本贖罪計画)の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、占領軍民間検閲隊が消滅し、占領が終了したのちになっても、日本人のアイデンティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、また、同時にいつまでも国際的検閲の脅威に曝され得る。それこそまさに昭和五七年夏の教科書問題の時に起こった事態であることは、あらためてここで指摘するまでもない 」と書いているが、この現象は平成になると村山談話や河野
談話などにより、中国や韓国に配慮した教科書の「近隣事項」となり、沖縄の「集団自決の軍命令」へと連なり日本の近代史は歪曲され続けている。インドネシアにおける日本軍の行動を比較的公平に書いたオランダ人ルディ・ガウスブルクは、「実際の出来事は劇的効果に、または『政治的に正しい』という観点に合わせて覚えられて再生される 」と、 歴史が政治的に利用され映
画やテレビなどを通じて固定化する問題を指摘しているが、中国政府や華橋が総力をあげて英語で発信しているため、田中上奏文だけでなく、現在では南京30万大虐殺の対日非難決議が国連やアメリカ議会で採択され、カナダでも教科書に記載された。さらに韓国が「女子挺身隊」を「慰安婦」と歪曲し対日優位や国内政治の具として利用し、2008年には国連の人権理事会ので「日本軍性奴隷制度非難決議」が採択され、アメリカの下院本会議でも「従軍慰安婦問題謝罪決議」が採択された。さらに2011年12月にはソウルの日本大使館前に従軍慰安婦の像が設置され、アメリカでもニュージャージー州で従軍慰安婦の碑が建てられ、今後さらに二〇カ所に設置する計画であるという。このように南京事件や従軍慰安婦の偽史が世界的な史実とされつつあるが、政府も国民も危機感は薄い。歴史の真実を主張せず、祖先の汚名を濯ぐことなく、目先の経済的利益を追い「戦略的互恵関係」などと、美辞麗句の外交を続けてきたわれわれの子供や孫たちが、われわれの負債を支払い続けることになるのではないか。謀略史研究の必要性京都大学教授から防衛大学校校長になった猪木正道氏が、「社会現象を解明する場合『陰謀理論』ほど魅力的な理論はない。都合の悪いことは皆クレムリンの『陰謀』とか『国際共産主義』とかにしたがるものである。一部の悪玉集団が陰謀をたくらんでいるというのなら、その悪玉だけをやつければ万事解決するという結論が出てくる。共産主義運動も敵を具象化して、いろいろな歴史上の出来事をウォール・ストリートの陰謀とか、CIAのせいにすることが少なくない。反共側も同様であって、都合の悪いことは皆クレムリンの『陰謀』とか『国際共産主義』とかにしたがるものである。1950年代のマッカーシズムは『反共陰謀論』的なものだ 」と謀略史観は学会では無視され続
けている。しかし、謀略が戦争を大きく左右し、諸外国では謀略・情報機関が重視されアメリカがCIA(中央情報局)、FBI(連邦捜査局)、ソ連がSVR(対外情報庁)、英国がM16(情報局保安部)、イスラエルがモサド(諜報特務局)、中国が国家安全部、共産党中央統一工作部などを保有し、KGB出身のウラジミール・プーチン大統領が国家指導者になり、2010年5月に訪日した時に随行した六名の閣僚中五名が「シロビキ(武闘派)」とよばれる特務機関出身者であったこと、最近のプーチン政権の連邦保安局の動向などからも明かであろう。日本の常任理事国への立候補に対する中国の世界的な日本の戦争責任の追及、長野の聖火歓迎式典への留学生の動員、尖閣諸島への対応などの中国の対日政策を詳細に見てみると、謀略活動を無視した近現代史、特に中国が絡む日中関係史は語れないのではないか。歴史観の確立と歴史研究に謀略論の視点が加味されることを願って、本日の講演を終わります。〔参考〕ジョゼフ・マッカーシー(本原俊裕訳)『共産中国はアメリカがつくった G・マーシャルの背信外交』(成甲書房、
2006年)90-91頁、228頁、259頁。アン・コールター(栗原百代訳)『リベラルたちの背信 アメリカを誤らせた民主党の六〇年』(草思社、2004年)38-59頁。ウディマイ
ヤー(姉尾作太郎訳)『ウエディマイヤー回想録』(読売新聞社、1968年)4701477頁、525-528頁。ユン・チアン、ジョン・ハリディ(土屋京子訳)『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(講談社、2006年)
493-505頁。謝幼田(坂井臣之訳)『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか 覆い隠された歴史の真実』(草思社、2006年)1681212頁、サンケイ新聞社『蒋介石秘録 日本降伏』14巻(産経新聞社出版局、1976
年)100-104頁。関東軍第四練成飛行隊・林弥一郎少佐以下300名の隊員が、中国空軍の錬成に協力し1946年1月に中国空軍は創設された。前掲、謝『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』1881189頁。蒋介石(寺島 正訳)『中国の中のソ
連』(時事通信社、1962年)167頁。フリーダー・アトリー(西川博史・石堂哲也訳)『アトリーのチャイナ・ストリー』(日本経済評論社、1993年)第一章から第五章。フリーダー・アトリー(石坂昭雄・西川博史・沢井実訳)『日本の粘土の足 迫
りくる戦争と破局への道』(日本経済評論社、1998年)6頁。産経新聞「ルーズベルト秘録」取材班編『ルーズベルト秘録』上巻(扶桑社、2001年)155-158頁。同右、222頁。同右、218頁。滝澤一郎「国連に巣くった共産主義」(『正論』2006年6月 115-125頁。
前掲『ルーズベルト秘録』上巻、229-223頁。アラン・アームストロング(塩谷絋訳)『「幻」の日本爆撃計画』(日本経済新聞社、2011年)52-61頁、182-199頁。前掲、謝『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』「在ニューヨーク総領事 機密第560
号 当地ニ於ケル支那側宣伝ニ関スル件(昭和13年7月20日および9月8日)」(『支那事変一件 支那側宣伝関係』第一巻)外交資料館蔵、アジア歴史資料センターRef
B02030591100)。前掲、アトリー『アトリーのチャイナ・ストリー』208-311頁。前掲、謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』177頁。東中野修道『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』(草思
社、2006年)40-44頁。前掲、『マオ 誰も知らなかった毛沢東』327-328頁。馬暁華『幻の新秩序とアジア太平洋―第二次世界大戦期の中米同盟の軋轢』(彩流社、2000年)69-83頁。前掲「在ニューヨーク総領事機密第五六〇号」を参照。 H・クレ
ア、J・E・ヘインズ、F・I・フィルソフ(渡辺雅男、岡本和彦訳)『アメリカ共産党とコミンテルンー地下活動の記録』(五月書房、2000年)を参照。前掲「ニューヨーク総領事報告」120-123頁。Ref.Hamilton Fisher,Memories of on
American Patriot(Washinton,Regency GateWay,1991),Chapter 16.コーデル・ハル(宮地健次郎)『ハル回想録』(中央公論新社、2001年)181頁。須藤眞志『ハル・ノートを書いた男 日米開戦外交と「雪」作戦』
(文藝春秋、1991年)164-165頁。『現代史資料34 スチムソン日記』(みすず書房、1972年)15頁。同右、16頁。須藤眞志『日米開戦外交の研究 日米交渉の発端からハルノートまで』(慶応通信社、
1986年)277頁。Ref.H.Ickes, The Secret Diary of Harold Ickes,Vol.3,(New
York:Simon andSchuster, 1953), p.665.前掲『ルーズベルト秘録』下巻、212-216頁Cordel Hull,The Memorie of Cordell Hull(New York,Macmillan Co.194
8)vol.II.p.90.前掲、蒋介石『蒋介石秘録』14巻、103-104頁。前掲、アトリー『アトリーのチャイナストーリー』154頁。前掲、謝『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』180-184頁。同右、173-174頁。同右、170-171頁。同右、175-176頁。同右、184頁。前掲、ウエディマイヤー『ウエディマイヤー回想録』371頁。前掲、謝『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』193頁。「外交工作に関する指示」(前掲、謝『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』200頁。同右、謝、174頁。前掲、ウエディマイヤー『ウエディマイヤー回想録』410-411頁。鹿錫俊「世界化する戦争と中国の国際的解決戦略」(石田憲編『膨張する帝国拡散する帝国』東京大学出版会、2002年)215-218頁。ロード・ハンキー(長谷川才次訳)『戦犯裁判の錯誤』(時事通信社、1952年)84頁。ラッセル・グレンフェル(田中啓眞)『主力艦隊シンガポールへ プリンスオブウエルスの最後』(錦正社、2008年)92頁。馬野周二『操
られたルーズベルト 大統領に戦争を仕掛けた男』(プレジデント社、1991年)31頁。前掲、ハル『ハル回想録』189頁。塩崎弘明『日米英戦争への岐路 太平洋の融和をめぐる政戦略』(山川出版、
1984年)95頁、173-177頁。『現代史資料(35)太平洋戦争(2)』(みすず書房、1984年)74-75頁。V・A・アルハンゲリスキー(滝沢一郎訳)『プリンス近衛殺人事件』新潮社、2000年)162-172-186頁。同右、199-200頁。服部龍二『日中歴史認識―「田中上奏文」をめぐる相克、1927-2010』(東京大学出版会、2010年)1-25頁。前掲、『ルーズベルト秘録』上巻、308-309頁。前掲、服部『日中歴史認識』155-188頁。イ・ワヤン・バドリカ(石井和子監訳)『インドネシアの歴史 インドネシア高校歴史教科書』明石書房、2008年)、今井昭夫監訳、ファン・ゴ
ク・リエン監修『ベトナムの歴史ベトナム中学校歴史教科書』(明石書店、2008年)。西尾幹二『GHQ焚書図書開封―米占領軍に消された戦前の日本』(徳間書店、2007年)17頁。江藤淳『言語封鎖空間 占領軍の検閲と戦後日
本』勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争米軍占領下の検閲が歪めたもの』明成社、2005年)などを参照。ディ・ガウスブルク『西欧の植民地喪失と日本 オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所』草思
社、1998年)164頁。猪木正道『評伝 吉田茂 3 雌伏の巻』(読売新聞社、1081年)206-207頁。平成24年7月20日公益財団法人 日本国防協会国防問題講演会より
http://www.kokubou.jp/books-115-1.html