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Channel: 日本のお姉さん
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また、イギリスの海軍史家ラッセル・グレンフェル海軍大佐も著書『主力艦隊シンガポールへ』の中で次のように述べている。「真珠湾攻撃(米新聞報)」今日、世界で識者と称せられる人々の間では、日本が米国に対して質の悪い不意打ちを食らわせたと、真正直に信ずる者など誰もない。日本の攻撃は前から予期されていたものであるばかりか、疑いもなくルーズベルト大統領は米国を大戦に参加させようと腹黒く待ち構えていたのである。そして、参戦の機会を、実に日本から為される敵対行動に求めていたのである。「受けて立つ戦い」これこそ政治的に好ましいものだったのだ。それで、米国は武力を自ら使わないで、恥を知る国民ならば到底我慢のならないところ迄、日本をとことん追い詰め侮辱したのであった。分かり易く言えば、日本は米国大統領に示唆されて、米国を攻撃する羽目になったのである。また、ルーズベルト大統領の長女の元婿のカーチス・B・ドール海軍大佐も「ホワイトハウスで1941年11月25日に開かれた運命的な会議の記録を読み返してみて、私の以前の岳父ルーズベルト大統領および彼の側近たちの戦略は、平和を維持し保障することではなく事件を組み立て、あるいは引き起こさせて、アメリカを日本との戦争に巻き込むという陰謀にもっぱら関わっていたと私は悟ったのです。それを知って私の心は張り裂けんばかりでした。これは裏口からヨーロッパの戦争に入ることを可能にする計略でした」と書いてい 。一方、ハル長官は野村・
来栖大使から「対米覚書」を受け取ると、「『自分は過去九ヶ月間、あなたとの交渉中一言も嘘を言わなかった。わたくしは50年の公職生活を通じて、これほど恥知らずな偽りとこじつけだらけの文書を見たことがない。こんなに大がかりな嘘とこじつけを言い出す国がこの世にあろうとは、今の今まで夢にも思わなかった』野村はなにかものいいたげな様子であった。私は手を振って何か言いだしそうな彼を制止して、アゴでドアの方を指した。両大使はなにも言わないで頭を垂れたまま出ていった 」と回想録に書いているが、これが正史に
は書かれない「裏口参戦」への謀略の戦いのフィナーレであった。野村駐米大使の日米交渉が本格化するとウォルシュ神父は外され、1942年には南米に出国しようとしたがビザを取りあげられ、真実を語ることなく戦争二年目の1943年に世を去った。また、ドラウト司教は戦後に中国に渡り布教活動中にスパイ容疑で逮捕され、20余年後に釈放されたというが消息は不明である。また、戦争が終わるとアメリカは両神父から始められた日米和平交渉をJohn DoeAssociates(身元不明人)の私的な外交として、矮小し埋没し
てしまった。それは東京裁判の冒頭陳述でジョセフ・キーナン検事が真珠湾攻撃を行っていたその時に、日本代表が真珠湾奇襲攻撃をカムフラージするため、ワシントンで「偽りの外交」を行っていたとするアメリカの開戦史観を正当化するためであった。日本が真剣に誠意を持って八ヶ月も和平交渉を行っていたとしたのでは、東京裁判が成り立たないからであったが、さらに日米和平交渉の詳細が明らかになればルーズベルトの日本を戦争に追い詰めていった開戦責任が明らかになるからであった。これは戦後に日米交渉に参加したウォルシュやドラウトなどの文書を国立文書館やルーズベルト記念館などで収集保管せず、ウォルシュの文書はメリノール宣教会文書室、ワイズマンの文書はエール大学、ウォーカーの文書はノートルダム大学図書館が保管していることからも理解できるであろう 。また、第二の「通例の戦争犯罪」でも太平洋艦隊は開戦三ヶ
月前に作戦計画(「レインボー第五号(Wppac-46)」で、横浜、豊後水道、紀伊水道、対馬、長崎、下関、津軽に潜水艦を配備し、「漁雷、機雷および情況によっては砲撃をもって、船舶を含む敵兵力に最大の打撃を与える 」と敷設機
雷の禁止や非武装の商船を潜水艦で攻撃することを禁止した戦時国際法規(海戦法規)違反した作戦を計画し、日本軍が宣戦布告なくハワイを奇襲したことを口実に実施した。一方、ソ連は自国中心の世界共産主義体制を構築しようと、中国を操り日本を戦争に引き入れた「平和に対する罪」だけでなく、降伏した兵士や民間人を労働者として拉致し、40万人以上を殺戮した「人道に対する罪」を免れないであろう。シベリア抑留の死者40万人の数値に読者は驚くかもしれない。なぜならば半世紀以上も抑留者は60万人、死亡者6万人とされてきたからである。しかし、元イズベチャ副編集長でウズベキスタン国会議員、タシュケント市長を歴任したV・A・アルハンゲリスキーはヤコブ・A・マリク駐日大使が軍人と民間人の抑留者272万3492人から民間人を外し、さらにシベリアの『日本しんぶん』編集長から党の国際部副部長まで上り詰めた「灰色の枢密卿」の異名を持つイワン・コワレンコが、冷戦となりマッカーサーも関与できなくなると、嘘と詭弁を重ね死者40万人を6万とした 。また、ソ連は証拠を隠滅するために、1
959年4月9日には内務省から次ぎに示す墓地破壊指示を出し、日本人墓地の「人骨を蹴散らし、ブルドーザーやトラクターが走り回り、埋葬地は道路や住宅団地さらに菜園と化し、人造湖の湖底に沈んだ。イルクーツク州では1950年から54年までに七五カ所の日本人埋葬地が消滅した。否、抹殺された」と非難している 。「該当する地方警察および、その他の内
務省機関に指示する。雪解けのあとに残存する日本人埋葬地を破壊する。破壊される墓地では彼らが埋められている場所の盛り土を崩して平らにし、墓標を破壊し禍を取り払う。イルクーツク州領内の54カ所の墓地を破壊した後、六カ所の墓地が残る。これらは必要の場合、外国人が訪れることを許される墓地のリストに含める…(フルシチョフ、ブレジネフ、ブルガーニン、スースロフ、ミコヤン、ヴォロシーロフ)ソ連内務省監獄部長ブラノフ大佐アルハンゲリスキーは監獄部長プラノフ大佐が命令書にフルシチョフ首相をはじめとする最高指導者の名前を記したのは、「恐らく首脳の名を列挙することによってソビエト最高指導部の命令だと強調し、埋葬地破壊という忌まわしい通達を自分の名でしなければならないという罪の意識を少しでも薄めたかったのではないか」と書いている。中華民国(国民政府)や中華人民共和国も「日本切腹、中国介錯」の長期戦略で、モスクワの指令のもとに日中紛争を拡大し、日本を戦争へと誘導していった戦争煽動罪の「平和に対する罪」から逃れられないであろう。また、オーストラリアやオランダも大量の無実の日本軍人をB級、C級戦犯として復讐心から処刑した殺人罪から逃れることはできないのではないか。日本が世界的犯罪国家とされた真実を明確にし、東京裁判の不当性を明らかにし反論しなければ、日本の精神的復興が出来ないし、世界から信頼される国とはなれない。しかし、反省すべきことは大局的な世界観に欠け謀略に踊らされ、「仕掛けられた罠に自ら飛び込んでしまった」愚かさであり、この反省なく徒に連合国の戦争犯罪を指弾し、やたらとアジアを開放したなどと日本の正義を主張し、今次大戦の責任を軽減しようとすることは厳に慎まなければならない。おわりに歴史は国家の骨髄、偽史が国を滅ぼす1930年代初期に国民党中央宣伝部国際宣伝部は、「支那を征服せんと欲すれば、まず満蒙を征服せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ずまず支那を征服せざるべからず。之れ乃ち明治大帝の遺策にして、我が日本帝国の存立上必要事たるなり」との偽作の田中上奏文を日本の世界侵略計画であると世界中に宣伝した 。「田中義一首相上奏文」アメリカでは田中上
奏文を土台とした映画などが製作され、1944年には陸軍省が兵士の戦意高揚の映画『日中戦争(Battle of China)』で、勇敢に戦う中国兵のシーンに「なぜ、日本は中国を侵略す
るのか」とのナレーションが流れ、田中義一首相と田中上奏文が大写となり、そこには「世界帝国への日本の野望」とあり、日本が中国、オーストラリアなどを征服し、最期にはアメリカに魔の手を伸ばすとのナレーションが続いていた。この映画を見たルーズベルトは一般公開を命じ、ハリウッドの戦争活動委員会を通じて全米に配信され、一年余りの間に400万人が閲覧したという 。このように
田中上奏文は映画や雑誌などで広く知られるようになり、東京裁判は田中上奏文の筋書きに沿って裁かれてしまった(裁判の途中で偽書の疑いが生じ証拠とはされなかったが)。その後、1960年代には綿密な考証により「偽書」であることが世界的に定説となった。しかし、中国は日本の中国侵略が田中上奏文の記述とおりに展開されたと論点を変え、「文書の真偽」を「歴史認識」という問題にすり替え世界に発信し続けるなど、田中上奏文は中国が対日優位を確保する政治的プロパギャンダの道具とし、ロシアは田中上奏文の内容を信じ、原文がどこかに隠蔽されているとの見解をとり 、インドネシアやベトナムの教科書では、先の戦争を田中上奏文を用い、侵略戦
争であったと教えている 。しかし、日本政府の対応は論争を避け反論も一部の学者やジャーナリストに限られ、田中上奏文が日本の世界的孤立化、日米同盟分断の武器として利用され続けているが危機感は薄い。チェコの作家ミラン・カズンズは「一国の人々を抹殺しようとするならば、まず、その記憶を消す。書物を消す。歴史を消す。文化を消す。誰かに新しい書物を書かせ、文化を作らせ歴史を作らせる。人々はやがて自分の国の過去も、現在のことも忘れ始める」と書いているが、歴史を壊された民族は国家観を失い消滅することは、ソ連に併合された中央アジアの国々や中国に併合された内蒙古、ウイグル自治区、チベットなどの歴史を見れば明らかであろう。占領軍民間検閲隊(CCD・Civil Censorship Detachment)に
より、図書7769冊の没収、焚書により日本の歴史は消された 。さらに江藤淳は『閉ざされた言語空間』で「検閲」という巧みな言論統制により歴史が干渉され変えられてしまっただけでなく、「いったんこの検閲とこの宣伝計画(日本贖罪計画)の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、占領軍民間検閲隊が消滅し、占領が終了したのちになっても、日本人のアイデンティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、また、同時にいつまでも国際的検閲の脅威に曝され得る。それこそまさに昭和五七年夏の教科書問題の時に起こった事態であることは、あらためてここで指摘するまでもない 」と書いているが、この現象は平成になると村山談話や河野
談話などにより、中国や韓国に配慮した教科書の「近隣事項」となり、沖縄の「集団自決の軍命令」へと連なり日本の近代史は歪曲され続けている。インドネシアにおける日本軍の行動を比較的公平に書いたオランダ人ルディ・ガウスブルクは、「実際の出来事は劇的効果に、または『政治的に正しい』という観点に合わせて覚えられて再生される 」と、 歴史が政治的に利用され映
画やテレビなどを通じて固定化する問題を指摘しているが、中国政府や華橋が総力をあげて英語で発信しているため、田中上奏文だけでなく、現在では南京30万大虐殺の対日非難決議が国連やアメリカ議会で採択され、カナダでも教科書に記載された。さらに韓国が「女子挺身隊」を「慰安婦」と歪曲し対日優位や国内政治の具として利用し、2008年には国連の人権理事会ので「日本軍性奴隷制度非難決議」が採択され、アメリカの下院本会議でも「従軍慰安婦問題謝罪決議」が採択された。さらに2011年12月にはソウルの日本大使館前に従軍慰安婦の像が設置され、アメリカでもニュージャージー州で従軍慰安婦の碑が建てられ、今後さらに二〇カ所に設置する計画であるという。このように南京事件や従軍慰安婦の偽史が世界的な史実とされつつあるが、政府も国民も危機感は薄い。歴史の真実を主張せず、祖先の汚名を濯ぐことなく、目先の経済的利益を追い「戦略的互恵関係」などと、美辞麗句の外交を続けてきたわれわれの子供や孫たちが、われわれの負債を支払い続けることになるのではないか。謀略史研究の必要性京都大学教授から防衛大学校校長になった猪木正道氏が、「社会現象を解明する場合『陰謀理論』ほど魅力的な理論はない。都合の悪いことは皆クレムリンの『陰謀』とか『国際共産主義』とかにしたがるものである。一部の悪玉集団が陰謀をたくらんでいるというのなら、その悪玉だけをやつければ万事解決するという結論が出てくる。共産主義運動も敵を具象化して、いろいろな歴史上の出来事をウォール・ストリートの陰謀とか、CIAのせいにすることが少なくない。反共側も同様であって、都合の悪いことは皆クレムリンの『陰謀』とか『国際共産主義』とかにしたがるものである。1950年代のマッカーシズムは『反共陰謀論』的なものだ 」と謀略史観は学会では無視され続
けている。しかし、謀略が戦争を大きく左右し、諸外国では謀略・情報機関が重視されアメリカがCIA(中央情報局)、FBI(連邦捜査局)、ソ連がSVR(対外情報庁)、英国がM16(情報局保安部)、イスラエルがモサド(諜報特務局)、中国が国家安全部、共産党中央統一工作部などを保有し、KGB出身のウラジミール・プーチン大統領が国家指導者になり、2010年5月に訪日した時に随行した六名の閣僚中五名が「シロビキ(武闘派)」とよばれる特務機関出身者であったこと、最近のプーチン政権の連邦保安局の動向などからも明かであろう。日本の常任理事国への立候補に対する中国の世界的な日本の戦争責任の追及、長野の聖火歓迎式典への留学生の動員、尖閣諸島への対応などの中国の対日政策を詳細に見てみると、謀略活動を無視した近現代史、特に中国が絡む日中関係史は語れないのではないか。歴史観の確立と歴史研究に謀略論の視点が加味されることを願って、本日の講演を終わります。〔参考〕ジョゼフ・マッカーシー(本原俊裕訳)『共産中国はアメリカがつくった G・マーシャルの背信外交』(成甲書房、
2006年)90-91頁、228頁、259頁。アン・コールター(栗原百代訳)『リベラルたちの背信 アメリカを誤らせた民主党の六〇年』(草思社、2004年)38-59頁。ウディマイ
ヤー(姉尾作太郎訳)『ウエディマイヤー回想録』(読売新聞社、1968年)4701477頁、525-528頁。ユン・チアン、ジョン・ハリディ(土屋京子訳)『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(講談社、2006年)
493-505頁。謝幼田(坂井臣之訳)『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか 覆い隠された歴史の真実』(草思社、2006年)1681212頁、サンケイ新聞社『蒋介石秘録 日本降伏』14巻(産経新聞社出版局、1976
年)100-104頁。関東軍第四練成飛行隊・林弥一郎少佐以下300名の隊員が、中国空軍の錬成に協力し1946年1月に中国空軍は創設された。前掲、謝『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』1881189頁。蒋介石(寺島 正訳)『中国の中のソ
連』(時事通信社、1962年)167頁。フリーダー・アトリー(西川博史・石堂哲也訳)『アトリーのチャイナ・ストリー』(日本経済評論社、1993年)第一章から第五章。フリーダー・アトリー(石坂昭雄・西川博史・沢井実訳)『日本の粘土の足 迫
りくる戦争と破局への道』(日本経済評論社、1998年)6頁。産経新聞「ルーズベルト秘録」取材班編『ルーズベルト秘録』上巻(扶桑社、2001年)155-158頁。同右、222頁。同右、218頁。滝澤一郎「国連に巣くった共産主義」(『正論』2006年6月 115-125頁。
前掲『ルーズベルト秘録』上巻、229-223頁。アラン・アームストロング(塩谷絋訳)『「幻」の日本爆撃計画』(日本経済新聞社、2011年)52-61頁、182-199頁。前掲、謝『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』「在ニューヨーク総領事 機密第560
号 当地ニ於ケル支那側宣伝ニ関スル件(昭和13年7月20日および9月8日)」(『支那事変一件 支那側宣伝関係』第一巻)外交資料館蔵、アジア歴史資料センターRef
B02030591100)。前掲、アトリー『アトリーのチャイナ・ストリー』208-311頁。前掲、謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』177頁。東中野修道『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』(草思
社、2006年)40-44頁。前掲、『マオ 誰も知らなかった毛沢東』327-328頁。馬暁華『幻の新秩序とアジア太平洋―第二次世界大戦期の中米同盟の軋轢』(彩流社、2000年)69-83頁。前掲「在ニューヨーク総領事機密第五六〇号」を参照。 H・クレ
ア、J・E・ヘインズ、F・I・フィルソフ(渡辺雅男、岡本和彦訳)『アメリカ共産党とコミンテルンー地下活動の記録』(五月書房、2000年)を参照。前掲「ニューヨーク総領事報告」120-123頁。Ref.Hamilton Fisher,Memories of on
American Patriot(Washinton,Regency GateWay,1991),Chapter 16.コーデル・ハル(宮地健次郎)『ハル回想録』(中央公論新社、2001年)181頁。須藤眞志『ハル・ノートを書いた男 日米開戦外交と「雪」作戦』
(文藝春秋、1991年)164-165頁。『現代史資料34 スチムソン日記』(みすず書房、1972年)15頁。同右、16頁。須藤眞志『日米開戦外交の研究 日米交渉の発端からハルノートまで』(慶応通信社、
1986年)277頁。Ref.H.Ickes, The Secret Diary of Harold Ickes,Vol.3,(New
York:Simon andSchuster, 1953), p.665.前掲『ルーズベルト秘録』下巻、212-216頁Cordel Hull,The Memorie of Cordell Hull(New York,Macmillan Co.194
8)vol.II.p.90.前掲、蒋介石『蒋介石秘録』14巻、103-104頁。前掲、アトリー『アトリーのチャイナストーリー』154頁。前掲、謝『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』180-184頁。同右、173-174頁。同右、170-171頁。同右、175-176頁。同右、184頁。前掲、ウエディマイヤー『ウエディマイヤー回想録』371頁。前掲、謝『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』193頁。「外交工作に関する指示」(前掲、謝『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』200頁。同右、謝、174頁。前掲、ウエディマイヤー『ウエディマイヤー回想録』410-411頁。鹿錫俊「世界化する戦争と中国の国際的解決戦略」(石田憲編『膨張する帝国拡散する帝国』東京大学出版会、2002年)215-218頁。ロード・ハンキー(長谷川才次訳)『戦犯裁判の錯誤』(時事通信社、1952年)84頁。ラッセル・グレンフェル(田中啓眞)『主力艦隊シンガポールへ プリンスオブウエルスの最後』(錦正社、2008年)92頁。馬野周二『操
られたルーズベルト 大統領に戦争を仕掛けた男』(プレジデント社、1991年)31頁。前掲、ハル『ハル回想録』189頁。塩崎弘明『日米英戦争への岐路 太平洋の融和をめぐる政戦略』(山川出版、
1984年)95頁、173-177頁。『現代史資料(35)太平洋戦争(2)』(みすず書房、1984年)74-75頁。V・A・アルハンゲリスキー(滝沢一郎訳)『プリンス近衛殺人事件』新潮社、2000年)162-172-186頁。同右、199-200頁。服部龍二『日中歴史認識―「田中上奏文」をめぐる相克、1927-2010』(東京大学出版会、2010年)1-25頁。前掲、『ルーズベルト秘録』上巻、308-309頁。前掲、服部『日中歴史認識』155-188頁。イ・ワヤン・バドリカ(石井和子監訳)『インドネシアの歴史 インドネシア高校歴史教科書』明石書房、2008年)、今井昭夫監訳、ファン・ゴ
ク・リエン監修『ベトナムの歴史ベトナム中学校歴史教科書』(明石書店、2008年)。西尾幹二『GHQ焚書図書開封―米占領軍に消された戦前の日本』(徳間書店、2007年)17頁。江藤淳『言語封鎖空間 占領軍の検閲と戦後日
本』勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争米軍占領下の検閲が歪めたもの』明成社、2005年)などを参照。ディ・ガウスブルク『西欧の植民地喪失と日本 オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所』草思
社、1998年)164頁。猪木正道『評伝 吉田茂 3 雌伏の巻』(読売新聞社、1081年)206-207頁。平成24年7月20日公益財団法人 日本国防協会国防問題講演会より
http://www.kokubou.jp/books-115-1.html

皮膚の下で生まれた巻貝

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ビーチで膝に怪我を負った少年、3週間後に傷から『巻貝』が生まれる
クレイジーな一夏の思い出
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私たちがビーチに行った時の定番のお土産といえば、キレイな砂と貝殻の二つが多いとおもう。しかし、一人の小さな少年は、最もエキサイティングなお土産を持ち帰った。
Paul Franklinくん4歳は、家族と共にキャンプ休暇のため海に訪れていた。美しい大自然にはしゃぎすぎてしまったPaulくんは、岩場で足をすべらせ落下し膝に怪我を負った。
その時、怪我の具合を確認した母親のRachael さんは言う。
「怪我の具合はごくごく浅く、軽いものだった。」
液体の消毒液で洗い、小さな包帯で処置を施すだけでよかったと言う。
しかし一週間後、キャンプから戻りアイススケートを楽しんでいたPaulの傷跡が再び開いてしまい、今度は赤く腫れ熱くなった。
病院に行くと、医師は危険なウィルスではないか検査し、ブドウ球菌感染症であることをRachael さんに伝えた。医師は抗生物質と薬を処方し、Paulくんを自宅へ帰した。
それから二週間後、母親のRachael さんはPaulくんの傷の中に、黒い何かがあることを発見した。
「医師は、傷をあまり刺激するべきではないと言っていたが、私は必要だとおもった。」
Rachael さんは、息子の傷を搾った。
すると、なんと中から小さな黒い石の様な物がでてきた。よく観察すると、それが巻貝であることがわかり彼らは大変驚いたという。
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Paulくんの父親 Kenさんが予想するにPaulくんが怪我をした時、傷口から岩場にあった貝の卵が混入したのだろう。そして、脚の中で順調に成長しこれほどまで大きくなったと考える。
Rachaelは、この事件がどのようにして起こったのか、正確に知りたいため海洋生物学者に相談することを考えている。
現在は、Paulくんの傷もふさがりつつある。当の巻貝は『snail Turbo』という愛称をつけられ、なぜか淡水の金魚と一緒に飼育されている。
[via:dailymail]
http://aqua2ch.net/archives/30911539.html
4歳児の皮膚の下で巻き貝が孵化? 米カリフォルニア州
2013.08.20 Tue posted at 11:03 JST
巻き貝の「ターボ」。皮膚の下で生まれた?
皮膚の下で巻き貝が孵化? 米
(CNN) 米カリフォルニア州に住む4歳の少年の皮膚の下で巻き貝が育ったと、CNN系列局のKCALが伝えている。海岸で転んだ際に卵が入って孵化(ふか)したらしいという。
父のケン・フランクリンさんがKCALに語ったところでは、息子のポール君(4)は7月に家族でビーチに出かけた際、岩場で転んでひざをすりむいた。傷口は洗ってばんそうこうを張っておいたという。
ところが数週間後にひざが大きくはれ上がり、うみがたまったような状態になった。医師に見せたところ、ブドウ球菌感染の恐れがあると診断され、抗生剤を処方されたという。しかし薬が効いた後も、皮膚の下の黒い塊は徐々に大きくなっていった。
そこで母のレイチェルさんが自分で何とかしようと、ポール君の傷口を指で強く押したところ、黒っぽい物体が出てきたという。
最初は石だと思ったが、ペーパータオルの上に置いて観察すると、渦巻きがあるのを発見。「ひっくり返してみたら巻き貝だった」とレイチェルさんは話す。
両親は、ポール君が転んだ時に傷口から巻き貝の卵が入ったのではないかと想像している。
地元紙によると、ポール君は自分のひざの中で育った巻き貝を、アニメ映画の登場キャラクターにちなんで「ターボ」と命名した。
http://www.cnn.co.jp/usa/35036134.html?ref=yj

<福島第1原発>タンク漏水300トン 8000万ベクレル

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高濃度汚染水漏れる=タンクから120リットル―福島第1
時事通信 8月19日(月)17時57分配信
東京電力は19日、福島第1原発の貯蔵タンクから、高濃度の放射能汚染水が漏れたと発表した。汚染水は表面の放射線量が毎時約100ミリシーベルトと高く、少なくとも120リットルが漏れたという。東電は漏えい箇所の特定を急いでいる。
東電によると、19日午前9時50分ごろ、同社社員がタンクの脇から汚染水が流れ出ているのを発見した。タンクには汚染水が漏れた場合に受け止めるためコンクリート製のせきがあるが、汚染水はせきにたまった雨水を抜く弁から地面に流れていた。
漏れた汚染水で、地面には水たまりが二つできていた。一つは縦横3メートル、深さ1センチで、もう一つは縦0.5メートル、横6メートル、深さ1センチだった。18日午後5時に巡回した時は異常はなかったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130819-00000069-jij-soci
<福島第1原発>タンク漏水300トン 8000万ベクレル
毎日新聞 8月20日(火)11時55分配信

福島第1原発の原子炉冷却に使用した高濃度の放射性汚染水が貯蔵タンクから漏えいした問題で、東京電力は20日、漏れた量が約300トンに上っているとの推計を明らかにした。汚染水をためているタンクからの水漏れとしては過去最大とみられる。現在も漏れ続けている可能性がある。漏えいした汚染水から、ストロンチウム90(法定基準は1リットル当たり30ベクレル)などベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり8000万ベクレルと極めて高濃度で検出された。
【1リットル当たり8000万ベクレルーー漏水現場の写真】タンクの「余裕」の状況なども詳しく
東電によると、同日、26基あるタンク群(高さ11メートル、直径12メートル)の水位を確認したところ、そのうちの1基で水量が約2・9メートル下がっていた。漏えい箇所は特定できていない。漏えいは19日午前に発覚し、タンク付近の水たまりの真上約50センチで毎時100ミリシーベルトの放射線が計測された。
タンクは鋼製の板ででき、溶接ではなくボルトでつなぎ合わせているという。タンク周辺には汚染水の漏えいを防ぐためのコンクリート製のせきがあり、26基のタンクは一つのせきで囲われている。
東電は同日夜、せきにとどまった汚染水約4トンを回収。今後、染みこんだ土の回収作業を行う。タンクから海までの距離は約500メートル。【蓬田正志、渡辺諒】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130820-00000039-mai-soci

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【日本封じ込め】沖縄で発見!?米国が蒋介石に発行した軍資金証券[桜

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【日本封じ込め】沖縄で発見!?米国が蒋介石に発行した軍資金証券[桜H25/6/17]
大高未貴が沖縄取材中に偶然目にすることになった「202証券」。
大東亜戦争に至る、アメリカの日本封じ込め戦略の証拠物件について、大高未貴がレポートします。
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。
以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。

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汪兆銘の南京政府が支配する地域では、戦前にも増して平和と繁栄を謳歌していました。その象徴が上海

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日中戦争の真実
日本は、内戦に明け暮れる中国を救おうとした
ローマ法王も、日本の行動を支持していた
日本兵らと遊ぶ中国人児童ら(1937年)
日本兵たちは中国の民衆からは温かく迎えられていた。
前項「中国の『正しい歴史認識』の正体」では、「夷(い 外国)をもって夷を制す」の中国政治家の考え方により、日本が中国の内戦に引き込まれていったことをみました。
この項では、中国における日本の軍隊の行動について、もう少しみてみましょう。
中国民衆を虫けらのように殺した中国軍
中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。
それは、中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、また大量殺害したのに対し、日本軍は行く先々で彼らを救済しようとしたことです。
中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺される存在であり、少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていませんでした。
梁啓超は、中国の民衆を「戮民」(りくみん 殺戮される民)と呼んでいます。
たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦いを始めた蒋介石の軍隊は、一九三八年、日本軍の進撃の道をはばもうと、黄河の堤防を爆破しました。このとき、大雨が降ったこともあって一一の都市と、四千の村が水没し、水死者一〇〇万人、その他の被害者六〇〇万人という大惨事となりました。
しかも、それだけでは終わりませんでした。この人為的水害の結果、黄河の水路が変わり、周辺に大飢饉が広がったのです。
そして、被災地で食糧不足に悩んだ中国軍部隊は、民衆から食糧の強奪を始めたため、飢饉はさらに深刻化しました。
その惨状をみた当時のアメリカ人記者は、
「道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は屍肉を食べていた」
と報じています。中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を日本軍のしわざとして宣伝もしていました。
しかし中国側のこの自作自演は、のちに外国人記者に見破られています。
この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした。
それはただ、中国人を大量殺戮しただけで終わったのです。
堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけでなく、被災した民衆の救助と、防疫作業を行ないました。
日本軍は、中国軍から虫けらのように扱われた中国民衆を、必死になって救済したのです。
こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく、毛沢東の共産軍でも同様でした。
いや、共産軍はもっとひどいものでした。
共産軍は、民衆から「共匪」(きょうひ)すなわち共産主義の匪賊と呼ばれていました。
それは彼らが行く先々で、民衆に略奪、殺人、強姦を働いたからです。
中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊というより、ルンペンを寄せ集めたような集団にすぎなかったのです。
彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来るため、食いっぱぐれがなかったからです。
ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週間は兵士たちの好きなように略奪や強姦をさせました。
また、そうしないと司令官が殺されてしまったからです。
日中戦争における戦闘は、たいていの場合、日本軍が攻めると中国軍が撤退し敗走する、という形で進みました。
ですから、激戦地を除けば、中国側が宣伝するほど日本軍に殺された中国兵の死者は多くはありませんでした。
むしろ中国兵の死者の多くは、中国人が中国人を殺したものでした。
中国の軍隊というのは、兵士たちの後ろに「督戦隊」(とくせんたい)がいたのです。
督戦隊とは、後ろで「敵を殺せ、殺せ」と叫びながら兵士たちを戦わせ、逃げる兵士がいると、その兵士を撃ち殺す中国兵です。
つまり中国兵が中国兵を殺したのです。
中国史家・黄文雄氏によれば、日中戦争時の死傷者は、日本軍によって殺された中国兵よりも、そうやって督戦隊に殺された中国兵たちのほうが多かったくらいだといいます。
また、中国兵は負傷すると、置き去りにされました。
ある戦場で、中国兵の一団が塹壕(ざんごう)の中で戦死していました。
それを発見した日本兵たちは、思わず涙を流したといいます。
なぜなら彼らの足には、逃亡防止のための鉄の鎖がつけられていたからです。
日本軍と中国軍とでは、質の上でそれほどの差があったのです。
道端に打ち倒されていた孫文の銅像に青天白日旗をかけてあげる日本兵。
中国の伝統文化への尊敬心から出た行為である。
現地市民の間でも、日本軍は、シナ軍よりもよっぽど信用できるとの評価を得ていた。
本当の人民解放軍は日本軍だった
また中国軍と日本軍の性格を大ざっぱにみるなら、次のように言うことができます。
中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように略奪されました。
さらに彼らは占領地域を去るとき、日本軍に何も残さないようにするため、「焦土(しょうど)作戦」を取りました。
つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の施設を次々に破壊したのです。
そのため中国軍が通るところすべてが荒廃していきました。
彼らの行動の特徴は、略奪と破壊だったのです。
それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害を受け、人民は苦しむばかりとなっていました。
とくに悲惨だったのは、民衆の大半を占める農民たちでした。
一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの救済と、中国経済の再建に取り組んだのです。
日本軍が占領した地域は、中国本土の人口の約四〇%、また耕地面積の五四%に及びましたが、日本はすぐにその地域での農業再建、道路や潅漑施設の復興、工場の再建などに取り組みました。
日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、日本軍を熱烈に歓迎しました。
統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、彼らは生まれて初めて見たからです。
本当の「人民解放軍」は中国軍ではなく、日本軍だったのです。
日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。
日本政府はすでに一九三八年に中国での農業復興の計画を発表し、実行に移しています。
それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的としたものでした。
それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しました。
日本人技術者が中国農民に、日本の農業技術を提供していったからです。
もちろん戦時下のため、悪戦苦闘はありましたが、それでも日本の努力は多くのところで実を結んでいました。
中国人の子供や大人と共に正月の
万歳をする日本兵たち(1938年)
すでに日中戦争が始まっていた時である。
農業だけでなく、軽工業、重工業などの再建にも取り組みました。
日本はまた中国に鉄道を敷き、病院を建てました。
疫病の多かった中国の衛生事情の改善にも努めました。
さらに、絶望視されていた中国の製糸業を復興させたのも、日本の対中国投資によるものです。
日本は、満州や、朝鮮、台湾などで行なっていた近代化建設事業を、中国でも、すでに日中戦争のさなかから始めていたのです。
それによって占領地域のインフラ整備、産業の復興が行なわれました。
日本政府の推計によると、一九三八年から終戦の四五年までの日本の対中国投資の累計は、約四七億円にも達していました。
当時の日本の国家予算は約二〇億円ですから、どれだけ巨額かわかるでしょう。
これは戦争に使ったお金ではありません。中国の国土と経済の復興に使ったお金なのです。
このように、中国軍が各地を焦土化し、同胞を虫けらのように殺していたときに、日本は中国民衆の救済と、中国の近代化のために働き続けていました。
中国人民の本当の敵は、日本軍ではなく、中国軍だったのです。
中国軍は、蒋介石の国民党軍も、毛沢東の共産軍も、その頭の中にあったのは中国人民のことではなく、権力奪取のみでした。
しかし日本は、なんとか中国を救おうと奔走していたのです。
ですから、中国の老人でこの時代のことを体験した人々の中には、親日的な人々が大勢います。
ふだんは中国政府の叫ぶ反日イデオロギーの中で大きな声では発言できませんが、彼らは当時の日本人が中国人にしてくれたことを知っているのです。
戦後、日本人が中国大陸から引き揚げてくるとき、多くの日本人が帰りそこなって、そこに取り残されました(いわゆる中国残留孤児)。
しかしそのとき、残留日本人を助けてくれた中国人たちがかなりいました。
そうした中国人の多くは、戦時中の中国兵がいかに悪かったか、また日本軍が中国の民衆を助けたことを、よく知っていたので、日本人を助けてくれたのです。
中国人の子供を可愛がる日本兵(1938年)
ローマ法王は日本の行動を支持した
もともと、中国の内戦に巻き込まれたかたちで、中国内部に足を踏み入れた日本軍でした。
しかし踏み入れた以上、日本は、そこが共産主義国家になってしまうのを防ぐため、多大な尽力をなしました。
またそこに、欧米の侵略や搾取の餌食とならない自立した民主的国家が誕生するよう、手を差し伸べたのです。
日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのではありません。
日本は中国の「領土保全」をかかげ、誰からも侵略されない、中国人による中国人のための安定した国家がそこに誕生することを目指したのです。
そして日本と手をたずさえて、アジアを共産主義から守る防波堤になること、そこに一大経済圏が生まれることを目指しました。
ですから、日中戦争(支那事変)が始まった年である一九三七年、一〇月に、当時のローマ法王、平和主義者として知られるピオ一一世(在位1922-39)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけました。
法王は、
「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」
といった内容の声明を出しています。
ローマ法王ピオ11世。日本軍の行動を理解し、
全カトリック教徒に、日本軍への協力を呼びかけた
この声明は当時の日本でも報道されました(「東京朝日新聞」夕刊、昭和一二年一〇月一六日および一七日)。
新聞は、
「これこそは、わが国の対支那政策の根本を諒解(りょうかい)するものであり、知己(ちき。事情をよく理解している人)の言葉として、百万の援兵にも比すべきである。英米諸国における認識不足の反日論を相殺して、なお余りあるというべきである」
と歓迎の意を表しています。
ローマ法王がこのように日本の行動に賛意を表してくれたことは、欧米の誤解や反日主義に悩まされてきた日本にとって、非常にうれしいことでした。
けれども、そのピオ一一世も、やがて一九三九年には世を去ってしまいます。そのため欧米の反日主義や、日米戦争勃発を防ぐまでには至らなかったのです。
共栄圏をつくろうとした日本
一九三七年から始まった日中戦争でしたが、日本はすでに一九四〇年には、すでに中国の華北と、華中の一部を支配下におき、その統治を親日政権である汪兆銘(おうちょうめい)の南京政府にゆだねていました。
日中戦争は八年間続いたと一般にいわれますが、実際には日中の戦闘は一年半あまりで終結し、あとは日本軍はそれ以上領地を広げようとせず、占領地域でのインフラ建設や、経済建設に集中したのです。
その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、民衆の生活は他と比べると天国と地獄ほどの差がありました。
鉄道もつくられ、人々や物資の移動が容易になりました。よく「日本軍は一方的に略奪と破壊をした」かのように語られることがありますが、実際は全く逆だったのです。
だからこそ、汪兆銘の南京政府や、そのもとにいる多くの中国人は日本を支持し、日本と共同して、その地域の発展のために働いたのでした。
汪兆銘の南京政府が支配する地域では、戦前にも増して平和と繁栄を謳歌していました。
その象徴が上海です。
日中戦争中ですら、そのダンスホールや映画館はどこも満員という活況を呈していました。
ロシアから逃げてきたユダヤ人たちの居住区も、この上海に設けられ、彼らはそこで安全に暮らしていました。
一方、蒋介石や毛沢東が支配していた地域は、悲惨でした。
ただでさえ彼らの軍隊が入ってきたので食糧が不足したばかりか、略奪、搾取が横行したため、たちまち住民は地獄の生活へと転落したのです。
もっとも蒋介石は、日本人のような規律ある生活習慣を目指した「新生活運動」を実施し、中国兵の乱れた規律を正そうと努力はしましたが、それでもなかなか実を結ぶことはできませんでした。
日中戦争中、アメリカがいわゆる「援蒋ルート」を通して、重慶にいる蒋介石軍に様々な物資を送り届けていたことは、よく知られています。
兵器、弾薬、医薬品、食糧などですが、しかし山を越え、川を越えているうちに、重慶まで届いた物資は多くても当初の何分の一かに減っていました。
それらの地域を支配する匪賊や、他の武装勢力に、通行料として一部物資を渡していたからです。
当時、日本の支配地域以外の中国大陸には、匪賊が約二〇〇〇万人もいたといいます。
それは中国軍の約一〇倍に相当します。
彼らは略奪で生計をたてていたのです。
また無事に重慶に届いた物資も、国民党幹部のポケットに入ってしまい、他の者には行き渡りませんでした。
このように当時の蒋介石の政府が、米国の支援を食い物にしていたことは有名です。
このように、日本の支配地域と、そうでない地域とでは中国民衆の生活に格段の差があったのです。
日本はすでに日中戦争のさなかから、中国を近代的民主国家として自立させ、アジアの同胞として共に相携えて共栄圏をつくるために、非常な努力を積んでいたからです。
しかしその望みも、やがて日本が日米戦争で敗戦を迎えたことにより、挫折しました。
そのとき、日本は中国につくった工場や施設、インフラなどを破壊することなく、すべて正確な資産リストを添えて、中国の未来のためにそのまま置いてきました。
それらは戦後の中国経済の発展の基礎となったものです。
日本が去ったとき、中国では再び「国共内戦」、すなわち国民党軍と共産軍の内戦が勃発しました。
これは実質的に、日本が残した遺産の奪い合いでした。そしてこの内戦での死者は、日中戦争中の死者よりも多かったのです。
またこの国共内戦に共産軍が勝利し、中国を統一したとき、共産党はかつて自分たちがなした中国民衆への殺戮、略奪、搾取などを、すべて日本軍の悪行と宣伝して若者たちに教える教育を始めました。
以前、私がこれら中国の歴史を「レムナント誌」に掲載したとき、ある日本人は「こんなことがあったなんて知りませんでした。
一般に世間で言われていることと何と違うでしょう」と言いました。
しかし、日本に留学しているある中国人クリスチャンが手紙をくれたのですが、こう書いていました。
「先生は中国に関し真実を書いています。がんばってください」
中国人も、知っている人は知っているのです。
「中国無名戦士の墓」と書いた墓標の前で、慰霊祭を行なう日本兵(1938年)。
日本軍は戦闘が終わると敵味方の区別なく、戦闘地にお墓を作ってきた。
中国の文化にはこのようなものはない。
「南京大虐殺」はなかった
今まで見てきたように、日本軍の進出は内戦の終結、平和の確立、共栄圏の建設を目的としたものであって、決して破壊や虐殺を目的としたものではありませんでした。
これは、国土の焦土化や、民衆の殺戮を平気で行なっていた中国軍とは、きわめて対照的です。
日本には、もともとサムライの時代から、民衆の虐殺や焦土化の思想はなかったのです。
日中戦争は北京の近くで始まりましたが、北京は無傷でした。
武漢三鎮も無傷のまま。他の都市も全部無傷です。日本軍は、都市を破壊する気も、住民を虐殺する気もさらさらなかったのです。
日本軍は、都市に近づくときには必ず自由都市(オープン・シティ)宣言をしました。
降伏するなら、都市を破壊することもしないし、住民の安全を保証するということです。
歴史ある都市を戦場にし破壊していけないからです。
日本軍は圧倒的に強かったので、たいていの都市では、中国軍はたいした抵抗をすることもないまま逃げ去り、都市は明け渡されました。
しかし南京で、中国軍は珍しく若干の抵抗をみせました。
南京防衛軍司令官の唐生智が「俺に頑張らせてくれ」と言ったので、蒋介石も「頑張れ」と言ったのです。
彼が最後まで頑張れば、ある程度、中国軍の統制もとれたでしょうが、この司令官は情けないことに、途中で逃げ出してしまいました。
司令官を失なった中国兵たちは、自分たちも逃げようとしました。
けれども彼らの多くは、逃げる味方の兵隊を後ろから撃つ「督戦隊」に殺されました。
また中国兵の中には、逃げれば督戦隊に殺されるし、残れば日本軍に捕まるということで、民間人を殺し、その着物をはぎ取って着る者たちもいました。
こうした民間人に化けた中国兵は、それがばれたときに日本兵によって殺されることもありました。
そのようなことはありましたが、南京で、日本軍による住民の大量虐殺というようなことは決してなかったのです。
日本軍による南京占領5日目の写真(朝日新聞)
(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手
製の日の丸の腕章をして笑っている。
「南京大虐殺」がなかったことを如実に示す証拠写真である。
中国は、かつて日本軍は南京で三〇万人の住民を虐殺したと、宣伝しています。
しかし、これは中国共産党が流したでっち上げです。
なぜなら、もし南京大虐殺があったなら、南京の安全地区にいた外国人は必ず、そのことを世界に発信したはずです。
けれどもそのようなことはありませんでした。
また、日本が南京に入る前にいた南京の人口は約二〇万人でした。
これはいろいろな調査で一致している数字です。
二〇万人の都市で、三〇万人を虐殺するのは不可能です。
また、日本が南京を占領したあと、逃げていた市民たちが戻ってきて、一ヶ月後には人口二五万人になっています。
これは南京学会が緻密に調査して出した、信頼できる数字です。
また大虐殺が行なわれた都市に、住民が戻ってくるわけがありません。
また南京大虐殺の「証拠写真」と言われるものも、今日ではすべて全く関係のない写真か、捏造によるものであることが、明らかになっています。
東中野修道著『南京事件「証拠写真」を検証する』などに、詳しく書かれています。

つづき

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何年か前、中国系アメリカ人のアイリス・チャンが、英語で『ザ・レイプ・オブ・南京』という本を出し、アメリカでハードカバーで約五〇万部も売りました。
これは日本軍が南京で三〇万人虐殺という蛮行を行なったと宣伝する本で、アメリカ人にウソをばらまいたものです。
しかしそののち、彼女が書いたことや、そこに使った写真があまりにインチキであることが、多くの批判書によって明らかになりました。
そうした中、彼女は二〇〇四年の暮れに、ピストル自殺しています。
その理由として、『ロンドン・エコノミスト』はその記事の中で、彼女は自分が書いたことがあまりにインチキと批判されたため、それが「南京虐殺はなかった」と主張している人たちに有利に働いて、それを気に病んだのではないだろうかと推定しています。
また、南京攻略の司令官だった松井石根大将には、こんなエピソードも残っています。
南京攻略戦の最中、焼け跡から赤子の泣き声が聞こえてきました。
彼は秘書の岡田尚に「捜して来い」と命じました。
救助された赤子を、松井大将は温泉に入れ、毛布にくるむと、自分の目を細めて抱き上げました。
彼は、松井の一字をとって松子と命名してかわいがり、ミルクを飲ませて育てました。
南京の入城時には、岡田秘書がこの赤子を背負って入城しました。
南京占領8日目の写真(朝日新聞)。タイトルは、
「きのうの敵に温情《南京城内の親善風景》」
(右上) 治療を受けている中国傷病兵
(左上)日本軍将兵の情に食欲を満たす投降兵
(真ん中)中国人のお店で買い物をする日本兵ら
(右下)山田部隊長と語る敵の教導総隊参謀、沈博施小佐
(左下)南京城内でくつろぐ中国人市民ら
満州は中国の領土ではない
つぎに、満州のことをみてみましょう。
朝鮮半島の北隣、現在の中国人が「中国東北部」と呼ぶ地です。
満州というのは、もともと中国に清朝をうち建てた満州族(女真族)の故郷です。
清朝は満州族がつくった王朝であって、漢族は被支配民族だったのです。
中国で「義和団の乱」(北清事変・一九〇〇年)が起きたとき、ロシアはそのどさくさにまぎれて、満州を不法に占領し、そこに居すわってしまいました。
満州にロシアが居すわることは日本にとっても脅威でしたから、日本はロシアを追い出すために、日露戦争を戦います。
日本は日露戦争に勝利し、満州からロシアを追放すると共に、満州を清朝に返してあげます。
ジョンストン(満州国皇帝となった溥儀の家庭教師)の書いた『紫禁城の黄昏』には、日本が満州を清朝に取り返してくれたときのことが詳しく書かれています。
日本はこのとき、満州における鉄道の権利と、遼東半島の租借権を獲得します。それは満州を取り返してくれたことに対する、清朝からのお礼の意味もありました。
しかし、満州は当時、盗賊の跋扈する無法地帯であり、今日のイラクより治安の悪い所でした。そのため国際条約のもと、権益を守るために日本の「関東軍」がそこに駐留していました。今日でいう平和維持軍、守備軍です。
この満州には、張作霖の一家が統治者として支配していました。関東軍は当初、この統治者と共同路線を歩もうとします。しかし張は、盗賊あがりの暴君で、満州の民衆にすさまじいばかりの搾取を行なっていました。盗賊がそのまま支配者となっていたのです。G・B・レーは、
「張作霖一家が三千万民衆から搾取した収入は、南京政府の収入より多くなくとも之に匹敵するものであった」
と書いています。さらに張の親子は、条約を無視して満州の経済権益を日本から奪い取ろうとするなど、露骨な背信行為に出てきました。それを目の当たりにした関東軍は、軍事行動を起こし、張の軍隊を満州から駆逐します。
これが満州事変です。これは日本軍の武力侵略の第一歩であると語られていますが、実際のところ当時、日本軍による張の軍隊の駆逐をみた満州全土の民衆は、大喝采を叫び、日本に感謝したのです。なぜなら張の軍閥政権は、
「軍費を捻出するために広大肥沃な満州の土地を荒らし、民衆の膏血の七、八割は軍費に充てられ、商民の三割はついに破産した」
と言われたほど、ひどい搾取を行なっていたからでした。
当時の諸外国の反応も、日本の行動はやむを得なかったとしました。アメリカ公使、ジョン・V・A・マクワリーは、張の行動は中国国民党政府が仕掛けたものであり、これは彼らが『自ら招いた』災いだ述べました。アメリカの新聞記者、ウォルター・リップマンも、
「日本は激しい挑発に直面しながら、通常の国際的基準からすればきわめて忍耐強かった」
と記述しています。当時のイギリス陸軍の元師も、
「彼ら(日本)はひどい挑発を受けてきた。……彼らが満州で地歩を固めれば、それは共産主義の侵略に対する真の防壁となる」
と述べました。
さて、そののちこの満州の地に、日本の指導によって「満州国」がつくられました。満州国の皇帝となったのは、清朝のラスト・エンペラーだった溥儀です。
清朝が滅亡したとき、日本の公使観に溥儀が逃げてきたのです。清朝というのは、満州人が中国を支配した王朝でした。ですから満州は、清朝を支配した皇帝の故郷です。溥儀は、自分の故郷の満州に帰り、そこに国をつくりたいと言いました。
それで日本は、その希望を受け、満州に満州国を建国したのです。満州国では、皇帝が満州人であるだけでなく、大臣もひとり残らず満州人か清朝の遺臣でした。日本はその建国を指導したわけです。満州国はまだひとり立ちできる状態ではありませんでしたから、日本はその建国をバックアップしました。
満州国の首都・新京。
すばらしい国造りが進んだ。
中国は、日本によるこの満州国建国も、「中国の領土への侵略だった」と非難します。しかし実際のところ、かつて満州の地が中国の領土だったことは一度もありません。なぜなら、満州は万里の長城の外側(関外)の地なのです。
かつて清朝打倒の革命運動を主導した孫文のビジョンにも、満州は含まれていませんでした。孫文にとって、満州は中国ではなかったからです。蒋介石も、
「満州は中国の領土ではない」
と公言していた時期があります。ところがその後、蒋介石の政府も、毛沢東の中国共産党も、満州の経済発展をみると一転して「満州は中国の領土だ」と言い出しました。しかし、まったく厚顔無恥と言わざるを得ません。満州が中国の領土である根拠など、どこにもないのです。
人々の中には、
「満州は清朝の皇帝の故郷だったのなら、やはり満州は中国の領土ではないのか」
というかたもいるかもしれません。しかし、たとえば元の時代に、中国はモンゴルに支配されました。では、モンゴルは中国の領土かというと、そうではないでしょう。
また、かつてインドネシアはオランダに支配されました。ではオランダは、インドネシアの領土かというと、そんなことは暴論ということになるでしょう。同様に、満州は清朝を支配した満州人の故郷ですが、中国の領土ではないのです。
奇跡の国・満州国
清朝が滅びたとき、満州人の皇帝が満州に自分の国家を建てるのは、きわめて合理的なことでした。満州国は、わずか一三年間の王国でしたが、世界史上、奇跡の国でした。
そこには建国以降、年間一〇〇万人を超える人々がなだれこみました。人々は中国内地の略奪、虐殺、貧窮に満ちた生活を捨て、この平和な桃源郷を目指して移住してきたのです。
一九三二年の建国時に約三〇〇〇万人だった満州の人口は、終戦時の一九四五年には、四五〇〇万人以上にも増えていました。現在の日本の人口の約半分もの人々が、そこに暮らしていたのです。もし今日の中国人がいうように、当時の満州が略奪と虐殺の地獄だったなら、絶対にこのような現象はみられなかったはずです。
満州国では「五族協和」をかかげていました。いろいろな民族の人々が、満州国の平和と繁栄にあこがれ、自分もそれにあやかりたいと競ってやって来ました。そして彼らにより、この何もない原始的だった地が、きわめて短期間のうちに近代的な法治国家、平和国家、一大重工業国家として成長したのです。しかし、
「五族協和といっても、実際は日本が指導した国で、その中枢には日本人が大多数を占めていたではないか」
という批判もあるでしょう。けれども、これは満州国がひとり立ちする時までは、やむを得ないことでした。なぜなら日本人以外は、字も読めない人々がほとんどであり、教育もなく、国家の理念すら理解しない人々だったからです。
そうした中、日本がリーダー的な役割をすることが求められたのです。そして実際、満州国には、様々な民族が年間一〇〇万人以上なだれ込み、共に国造りに励んだのです。
満州国の新京・日本橋町。満州国は、周囲からみると別天地であり、
様々な民族が年間100万人以上なだれ込み、共に国造りに励んだ。
かつて盗賊的な軍閥に支配され、搾取にあえいでいたこの地は、満州国の建国によって全く生まれ変わりました。治安がみごとに確立され、つぎには近代的な司法制度、法律が完備され、賄賂の悪習も追放されました。
政府の財政も確立されました。貨幣の統一もわずか二年間で達成されました。満州の総面積は、現在の日本の領土の約三倍あります。日本人はその広大な国土に、鉄道、道路、港湾、空港のほか、上下水道、治山治水、電力供給など、様々な国土開発計画を実施しました。
首都・新京は、じつに先進的な百万人都市として建設されました。路面はすべて舗装され、東京にもなかった下水道が敷かれ、水洗便所が使用されました。また、以前は鍋・釜しか製造できなかった満州は、やがて自動車や飛行機まで製造する一大産業国家に変身しました。
日本はそこに学校を建て、教育を普及させるとともに、病院を建て、風土病、伝染病を駆逐していきました。もちろん、まだまだ改革しなければならないものは残っていましたし、戦時経済のひっ迫した状況もありました。
しかし全体的にみれば、そこは搾取や略奪のない、生命・財産の保護される平和郷であり、周辺地域から比べれば非常に優れたアジア人の王道楽土となっていたのです。
もし日本が敗戦することなく、満州国が存続していたら、満州国は間違いなく、その後のアジアにおいて巨大な発展を遂げ、アジアの平和と繁栄に寄与する重要な国家となっていたでしょう。まさにアジアのアメリカ合衆国となっていたに違いありません。
しかし日本の敗戦後、満州国は中国の一部(東北部)とされました。そして日本がそこに残した遺産は、その後の中国の重工業の九〇%を支え、中国の経済的基礎となりました。戦後の中国は、この満州国の遺産で食いつないだのです。
日本の道義的行動
今までみてきたように、日中戦争とは、中国人からの度重なる戦争への挑発を受けた日本が、やむなく中国の内戦を平定するために乗り出していった行動でした。日本はその中国内戦に終止符を打ち、そこに、中国人による近代的国家をつくることを支援したいと考えていたのです。
日本は中国を「侵略」したというより、同じアジアの同胞である中国の再生を願い、手を差し伸べたのです。日本の進出は、中国の国民党軍や共産軍からみれば「侵略」だったとしても、中国の民衆からみれば「救済」だったのです。
日本の願いは、自立した近代的民主国家となった中国と共同して、この東アジアに、共存共栄の経済圏をつくり出すことでした。また共に、西欧やロシアによるアジア侵略に対する防波堤となることだったのです。
それは、実際もう少しで可能だったでしょう。しかし、日米戦争で力をそがれた日本は、やがて敗戦を迎え、その願いも中途で挫折してしまいます。日中戦争において日本は決して負けてはいませんでした。ただ日米戦争で敗戦となったがゆえに、日本の努力は挫折したのです。
それでも、日本がアジア各国に与えた独立心は、やがて育ち、実を結んでいきました。黄文雄氏はこう述べます。
「大日本帝国は、八〇年にして人類史に計り知れない貢献を行ない、遺産をもたらした。負の遺産はほとんどない。『過去の一時期』に問題があるとすれば、それはただ日米戦争に負けたことだ」
日本ほど、アジアの独立と繁栄のために貢献した国は、他にありません。日本がなければ、今日のアジアの独立と繁栄はなかったでしょう。
その過程で、悪戦苦闘はありました。日本は中国において一番苦労しました。なぜこれほどまでに中国で苦労しなければならなかったのか。その一つに、日本人と中国人の気質の違いがあげられます。
かつて日本の明治維新を成功させたのは、武士たちの力でした。彼らは「至誠」を美徳と考える人々で、「私」に仕えず「公」に仕える者でした。そして彼らは、維新が成功すると、士農工商の階級制度を廃止し、自分たちも刀を置き、町民となっていったのです。誰もが「国民」という平等の世界に、甘んじて身を投じていきました。
一方、中国の革命家たちに共通するのは、すさまじいばかりの「保身」すなわち「生き残りの哲学」です。「夷をもって夷を制し」、他を蹴落として何としてでも自分が生き残る、という権力への強烈な願望です。これは五〇〇〇年間、ずっと戦乱の世に生きなければならなかった中国人の身にしみついた性質なのでしょう。
このとき、自分が生き残るためには民衆の命さえも顧みません。中国の内戦では、おびただしい民間人が虐殺されました。民間人に対する略奪、強姦も至るところで行なわれ、彼らは人々から、軍隊というより「匪賊」と呼ばれていたほどです。
これは、日本の武士たちの戦いの様子とは大きく違います。日本の戦国時代は、武士同士が戦ったものであり、民間人は殺しませんでした。あの関ヶ原の戦いでも、百姓たちは弁当をもって山の上から戦闘を見物していたほどです。
しかし中国の内戦では、革命家は民間人の死体を山ほどつくるのが常でした。共産党の毛沢東は、日中戦争および戦後の文化大革命、その他を通し、中国人同胞を数千万人殺しました。蒋介石も、先に述べたように数多くの民間人を犠牲にしています。
蒋介石といえば、戦後、連合国の会議において、列強による日本の分割統治に反対し、天皇制存続を訴え、また日本への賠償請求権を放棄するなどをしてくれた人です。そこには、西安事件以来、彼が不本意にも共産党の意向にそって日本軍と戦争をしたことに対する後悔もあったのかもしれません。
賠償請求権を放棄してくれたことは、日本にとってありがたいことではありました。しかし、中国を焦土にしたのは日本軍ではなく、蒋介石であり、また毛沢東なのですから、日本に賠償請求する権利はもともと彼らにはないのです。
また、日本は戦後台湾に莫大な資産をそのまま残し、蒋介石はそれを受け継ぎました。その結果、彼は賠償以上の莫大な富を手に入れているのです。
蒋介石は戦後、共産軍に負けて台湾にのがれたとき、そこで「白色テロ」と呼ばれる恐怖政治を行ない、多くの台湾人を犠牲にしました。このように中国では、伝統的に「誠」よりも「生き残り」が強く優先されたのです。
中国人の詐道
この生き残りのためには、様々な策略が練られます。有名な孫子の『兵法』に、「兵は詐道なり」(兵の道はいかに人をだますかにある)とあります。黄文雄氏はまた、
「日本人は『誠』の民族であり、中国人は『詐』(だますこと)の民族である』
と述べています。戦乱がたえず、虐殺が日常茶飯事だった中国では、生き残るために「詐」つまり騙(だま)すこと、人を陥れることが何より必要な術とされたのです。奸智(かんち)にたける者だけが勝ち残る。袁世凱(えんせいがい)は、その奸智と裏切りの達人でした。毛沢東も奸智にたけ、日本軍を中国の内戦に引き込むことに成功しました。
この奸智は、昔も今も中国人の気質として続いています。かつて新渡戸稲造は、中国人は「嘘をつくことを恥と思わぬ厚顔無恥な人々」だと嘆きました。ヨーロッパの大思想家カントやモンテスキューまでも、哲学や法学の大著の中で、「中国人は嘘つき」と説いています。
残念ながら、それは今も変わりません。中国共産党は現在も、たとえば「日本軍による南京大虐殺」という厚顔無恥な嘘を叫び続けています。また、かつて自分たちが中国民間人に対して行なった殺戮を、すべて日本軍のしわざと叫び続けているのです。
近代以降の中国では、むかし孔子や孟子が説いた道徳は力を失なっています。日本人がこれまで何となく抱き続けてきた「中国は道徳性の高い国」との観念は、幻想にすぎませんでした。
もともと聖人の出る国というのは、乱れた国なのです。キリストがお生まれになったユダヤは、当時ローマ帝国の支配下にあって、圧制と暴虐が満ちていました。そこでキリストが敵への愛を説かれたのです。
シャカが生まれたインドは、カースト制というひどい階級差別が存在し、そこでシャカは人間の平等を説きました。一方、中国は昔から騙し騙される社会であり、弱みをみればつけこむ社会であるので、孔子や孟子が現われて仁や義を説いたのです。
乱れた国だからこそ、世界的な聖人が現われたのです。中国では、昔から家族倫理はあっても、公共倫理が希薄でした。今も、中国の指導者からして、国の内外に嘘をつくことを恥とも思っていません。中国では、「良心ある人は社会から疎外され孤立する」という諺が生きているほどです。
ある日本人が中国に旅行に行ったときのことでした。町の商店に入ると、店員が、
「だんな、うちの商品はみな本物です。他の店にはニセモノしか置いていませんよ」
と言いました。そんな言葉を、どの商店に入っても言われる。こんな商売上の嘘ならまだしも、「南京大虐殺」といった政治的な嘘を声高に叫ぶのは、日本人としては本当に困ったものです。
さらに中国政府は、中国共産党がいかに人民にやさしく、日本軍がいかに残虐だったかという彼らがいう「正しい歴史認識」――私たちからみれば嘘の歴史を国民に教えています。
また中国の歴史教科書には、元の時代の中国が日本を侵略した「元寇」に関する記述すらありません。中国の教科書には、共産党を讃美する虚偽の歴史が書かれているだけです。
中国は歴史の国です。とはいえ、中国の歴史は常に「勝てば官軍、負ければ賊軍」の観念で書き換えられてきました。支配した者はいつも自己の歴史を美化し、また負けた者には対しては「賊軍」の仕打ちを加えてきたのです。
勝った者が善玉であり、負けた者は悪玉とされ、負けた者には徹底的な糾弾と懲らしめが加えられました。今日、中国の政治家が日本の政治家に対し居丈高なのでは、その伝統によるものです。
もっとも、中国人のすべてがそうだということではありません。民間レベルでいうと、最近の中国の経済発展と共に中国人が海外の人々と接する機会や、海外の情報に接する機会も増えてきました。そして教養のある中国人も増え、それにともない、人格的に尊敬できる中国人も増えています。
私自身、中国系アメリカ人や、中国系日本人の友人、中国に住む中国人の友人等がいますが、彼らは本当に尊敬できる人物です。彼らのような人々ばかりだったなら、どれほどいいでしょうか。けれども、残念なことに中国では、政治家や共産党員、また一般の商売人の中にはまだまだ、平気でウソをつく人々の多いのが実情です。
クリスチャンも、こうした中国の実情に無知ではいられません。中国はいまも独裁国家であり、自由と人権の抑圧された国です。言論の自由も普通選挙もなく、経済発展はしているものの、体質的には前近代的な国家です。また、いまも台湾を武力統一する気持ちを持っており、その機会をねらっています。
中国は今もアジアの不安定要因の一つです。私たちは、中国国内にいる多くのクリスチャンたちの思いに合わせ、中国とアジアのために今後も祈っていきましょう。
久保有政著
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi05.htm

まさに目の前で現実となってゆくロシアの実質的な満州併合


チュウゴクは、さかんに沖縄を奪おうと工作をやっていますよ。

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◎この、仲村俊子さんは91歳。元小学校教師で8人の子持ち。
沖縄の日本復帰運動で活動された愛国者です。
91歳のご婦人が、檄を飛ばしておられます!
メルマガ 「沖縄対策本部」 ~戦後レジームの脱却は沖縄から~
登録はこちら http://goo.gl/3HhHt
<ブログはこちらから。動画、写真もあります。>
http://goo.gl/iRX1Qz
■【仲村俊子】「全国の愛国者の力を結集して「琉球独立学会」を押しつぶせ!」
沖縄県靖国参拝団からの報告の仲村俊子氏のスピーチは、今後の沖縄問題の核心を指摘していると思います。
中国国民を洗脳している「日本軍琉球人民大虐殺プロパガンダ」と「琉球独立プロパガンダ」。
そして、今年5月15日、「琉球民族独立総合研究学会」が設立され、それが単なるプロパガンダではなく実際に沖縄県民の中から琉球独立の声をあげる団体が現れました。
この工作は、今後日本を解体し、日本を滅ぼす最大の脅威だといえます。
そのプロパガンダに対する反撃が、沖縄戦の真実を記録した金城和彦先生著「嗚呼、沖縄戦の学徒隊」の書籍です。
スピーチの内容をご理解しやすいように、動画の下に関連資料を掲載しましたので、その意味を噛みしめるようにお聞きいただきたいと思います。
(仲村覚)
■第一部:沖縄県靖国参拝団からの報告
<仲村俊子(初代沖繩防衛協会婦人部長)>
http://youtu.be/Og2PPUVRb7Y
◎「日本軍が沖縄を引き揚げる時に沖縄県民を26万人虐殺したといっているという情報が耳に入りました。」
◎「これは、本土と沖縄を分断しようとする計画が裏にあるのではないか?
これは、恐ろしいことだと私は思います。」
◎「沖縄戦を生きてきた私にとっては、これが真っ赤な嘘であることが 肌身で感じて分かります。」
◎「沖縄戦の時と同じ様に全国から愛国者を総動員して、『琉球民族独立学会』なるものを押しつぶしていただきたい!」
<参考資料1:【youtube】激怒せよ!唐淳風の琉球独立プロパガンダ番組 >
http://youtu.be/i8dQgVCoKbA
<参考資料2:中国のネット百科事典(百度百科)に掲載されている「琉
球大虐殺」>
http://baike.baidu.com/view/4898096.htm
<画像URL>
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/29/06afae8a44dde218f9e9640fbb9cfe20.png
<赤線部分の翻訳>
日本軍は、米軍の琉球上陸前に琉球人民を26万人余りも虐殺した。
その虐殺の規模は、南京大虐殺に次ぐ。
その血痕は、27年後の今も未だに乾く間もなく、日本の侵略者は勢いを盛り返しまたやって来ようとしている。
(仲村訳)
<参考資料3:鳳凰網プロパガンダ:琉球独立組織、国連へ独立の意志を陳情する意向>
http://youtu.be/1Et4dKR8miI
<参考資料4:書籍「嗚呼、沖縄戦の学徒隊」(積徳高等女学校=積徳学徒隊)>
(P274~P276から抜粋)
ある日、小波津照子たちは小池少佐に願いでた。
「隊長殿、私たちもぜひ斬り込みに参加させて下さい。お願いします。」
学徒たちの切ない気持ちだったが、小池少佐は首を横に振り、
「みんなの気持ちは良く分かる、しかしまだ時期ではない。もう暫く待
て。」と諭すばかりだった。みんなは仕方なく時期を待つ他はなかった。
(途中省略)
間もなく看護隊に集合の命令があった。みんなはいよいよ斬込隊に参加さ
せてもらえると、喜びに胸を高鳴らして、急いで隊長の前に集まった。と
ころが意に反して病院長の小池少佐は、
「今日まで、長いこと軍と共に行動していただき、本当にご苦労であっ
た。しかし、もはや事態はこれ以上みなさんをいっしょに行動させること
はできなくなった。みなさんは、これから壕を出て、何とかして北部へ脱
出していただきたい。壕外は危険であるから、決して団体行動はせず、い
つでもニ、三名ぐらいで行動しなさい。」
と丁寧に解散の言葉を述べた。生徒たちは、その言葉が終わるか終わらな
いうちに、小池少佐にすがるようにして、最後まで部隊と行動を共にした
いと、拝むようにして何回も嘆願したが、それは聞き入られず、少佐は更
に言葉を続けて
「兵隊は歓呼の声に送られてきているし、また最後まで戦うのは当然であ
る。みなさんは勉強途上にある生徒であり、しかも将来国を背負ってもら
わねばならぬ大事な身である。死ぬことだけが国に対するご奉公ではな
い。私にもみなさんぐらいの子供があるが、みなさんをみていると、自分
の子供のように思えて、どうしても、一緒に死地に連れていくのは忍びない。
みなさんは、他府県の生徒に比べると本当に気の毒でならない。それだけ
にぜひ、生きのびて、沖縄戦における学徒隊の精神を他府県の生徒に知ら
せてもらいたい。どうか私の言っていることを、よく噛みしめてほしい。」
と心からの訓示をした。
(途中省略)
小池少佐は、生徒たちの手を一人一人しっかり握って、別れを告げだ。少
佐の頬は涙で濡れ、生徒たちの目からも涙が流れた。
生徒たちは少佐の言葉を守って、ニ、三名づつ組をつくり、五、六分おき
に北部へ突破するべく壕を出た。
それから三十分ぐらい経ってからである。小波津照子たちは、小池少佐が
自刀されたことを知った。それは学友の一人が、大事なものを忘れたのに
気づき、壕に引き返したが、そのとき、すでに割腹して立派に最後を遂げ
られた少佐の遺体を確認したからである。介錯は当番の軍曹が果たした。
<積徳高等女学校戦歿学徒職員数>
入隊学徒41名中32名が散華した。
職員は5
名が戦死した。 以上
(情報収録:中山)

頂門の一針

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◎戦後の政治家達、男達のやってきたツケが この体たらく。
「男にまかしていては、日本が破滅する!」と、普通の主婦達が立ち上がった。
デモの最中に、「すみません、もうすぐ子供が学校から帰るので、お先に失礼します」と言って帰って行った若いお母さんがいた・・・・。
「今日は会社を休んできました」と言って参加したOLがいた。
売国確信犯の政治家とメディア(皇室廃絶派)はともかく、自民党の政治家達よ、サッチャーではないが、
「腑抜けども! お前達は 男なのか?!!!」
夕刊フジ 【暗躍列島を追う】
(5)慰安婦問題に日本女性が決起 韓国の歴史捏造を暴く!
2013.08.19
慰安婦関係のデモ行進に、批判の声を上げる「なでしこネットワーク」のメンバー
韓国は8月15日を日本から独立を勝ち取った「光復節」として祝日としているが、嘘である。日本の終戦から米占領軍が上陸する9月11日まで25日間、現地の治安を担ったのは日本の軍と警察機構であり、米占領軍統治から真の独立を果たすのは3年後の9月11日だ。正確には、韓国は日本からでなく、米国から独立したのである。
また、8月14日は「日本軍『慰安婦』メモリアルデー」とかで、東京・新宿の柏木公園周辺では、韓国人と日本人の支持団体による、集会・デモ行進が行われた。1991年に、初めて元慰安婦と名乗り出た女性が記者会見を開いたのが、この日だそうで、ゆくゆくは国連の記念日にするのが狙いだそうだ。
とはいえ、この女性が15歳で40円で妓生(キーセン)に売られ、その後、義父(=妓生店主)に中国の慰安所業者に売られたのは周知の事実なのだが…。
デモ隊は100人ほどで、慰安婦の名前を記した白い提灯を押し立てているが、先導車からは「憲法改正反対!」「安倍政権は戦争のできる国にしようとしている!」という金切り声が流れてくる。それを韓国系メディアが撮影している。
このデモ行進に対し、若い女性らが沿道から「歴史捏造で日本を貶めるな!」「おじいちゃんの名誉を汚すな!」と批判の声を上げていた。日本女性の会「そよ風」と 正しい歴史を次世代につなぐネットワーク「なでしこアクション」と、の人々だった。
なでしこのリーダー、山本優美子氏は「みんな普通の主婦で、最初はネットで『何か変だよね』と意見交換していたのが始まり。そのうち、『日本もきちんと反論しなければ』『子供たちの代まで(韓国による)嘘の宣伝で罪を背負わされるのが許せない』とHPを立ち上げたところ、予想以上に多くの仲間が集まってくれました」と語る。
なでしこアクションは昨年、米下院の「慰安婦決議」撤回の請願署名の呼びかけを行った。すぐに3万人以上の署名が集まったという。
山本氏は「米国では1カ月以内に2万5000筆以上の署名を集めた請願は自動的に審議されます。いずれ決議の見直しが行われるでしょう。男性が慰安婦問題を口にすると、向こうは『女性の人権問題だ』と論点をすり替えてきます。これは国の名誉だけでなく、私たちの子孫の名誉の問題でもあります。女性として黙っていられません」と言い切る。
現在、在米韓国系団体の後押しで、全米20カ所以上で慰安婦の像や碑の設置計画が進んでいる。山本氏は在米日本人女性たちとも連携し、設置計画を少しでも阻止しようと努力している。
慰安婦問題について、普通の女性たちが異議申し立ての声を上げ始めたのは大きな変化だ。
ここまで問題をこじらせたメディアと、放置した政治家の責任は極めて重い。 =おわり ■大高未貴(おおたか・みき)
(情
◎いくら日本で生まれて育っても、どんなに長く日本に生活していても反日情報を刷り込まれていると自分で調べて勉強しないと反日思想になる、ということだ。
櫻井さん出演 大阪裁判、たかじんの、ここまで言って委員会
http://www.youtube.com/watch?v=IN_P53BrZ9w&feature=youtu.be
反日教育をしている時点で、シナや南北コリアを敵国認定をし、そのつもりで情報戦も戦うべきだろう。、
夕刊フジ
反日韓国人を制御するには? 重要なのは“倍返し”「絶対、下手に出るな」 2013.08.19
決着済みの戦時徴用問題で、ソウル高裁は7月、新日鉄住金に損害賠償を命じた。反日行動にどう対応すればいいのか(共同)
靖国神社近くでの反日パフォーマンスに米国での慰安婦像の強引な設置…。韓国の目に余る行動が相次いでいる。世界各地で日本の悪印象を広めるロビー活動も展開するなど行為は収まるどころかエスカレートするばかり。
われわれは、この敵意をむき出しにする厄介な隣人とどう向き合い、対応すればいいのか。韓国人のメンタリティーと行動パターンを知り尽くした論客がその攻略法を提言する。
韓国の反日パフォーマンスが止まらない。
終戦記念日の8月15日、来日した韓国最大野党、民主党の李鍾杰議員らが靖国神社近くの路上で日本を批判する横断幕を掲げて「軍国主義反対」と抗議活動を行なった。
先月末には、米カリフォルニア州グレンデール市で現地の韓国系団体が中心となって慰安婦像を設置。同市のホームページ(HP)に、姉妹都市の大阪府東大阪市が設置に賛同したかのような記述があることも判明し、東大阪市が、グレンデール市に「このような意見表明をした事実はない」と抗議文を送る別の騒動も起きている。
サッカー日韓戦でも韓国応援団が政治問題を持ち出して挑発。なぜ、韓国はこれほど日本を敵視するのか。
『韓国が「反日」をやめる日は来るのか』(新人物往来社)の著書がある首都大学東京人文科学研究科(社会人類学)の鄭大均名誉教授は「韓国人の『反日』は、人生の過程で、心や身体にすり込まれる思考や感情のパターン」と、背景にある「反日教育」を理由に挙げる。
鄭氏は、日本に帰化した韓国系日本人で、現地の大学で14年間教鞭を執った経験を持つ。その際、「愛国」と「反日」を結びつけた韓国政府の「反日ナショナリズム教育」を、何度も目の当たりにしたという。
「韓国の歴史教科書をみてもバランスに欠ける。古代史において韓国は、日本に先進文化を伝授した国として描かれ、その韓国に、日本は豊臣秀吉の侵略や『日帝支配』という形でお返しをした(ことになっている)。
恩をあだで返す国というのが、韓国教科書に描かれた日韓の物語で、これは韓国人が共有する国民の歴史。歴史教科書に見る韓国人のナショナル・アイデンティティーは日本の否定性と不可分の関係にある」(鄭氏)
その韓国の歴史教科書が日本を表すときに多用するのが「激語」の数々だ。
「『収奪』『強占』『搾取』『抑圧』『剥奪』…。『日帝』を語る際、こうした劇画的記述や負の『激語』が多い。物語そのものは現実味に欠け、憲兵や親日派や独立運動家は出てきても、当時、朝鮮半島で生活した普通の日本人や普通の朝鮮人がでてこない」と鄭氏。歴史には「超現実的な世界」が綴られていると解説する。
幼少時からすり込まれた「反日」のDNA。では、われわれはどう接すればいいのか。
鄭氏は「反日はある意味、韓国人の娯楽みたいなもの。ある状況が醸し出されたときに条件反射のように出てくる。これまでは、逃げ腰の日本と、そういう日本を攻める韓国という図式があった。日本人はそんな韓国人を相手にしていなかったが、今や韓国は強い国、大きな国になった。第三国でも反日宣伝をやる以上は、ケンカしながら付き合っていかなくてはならない」と語る。
『東アジア「反日」トライアングル』の著者で筑波大大学院教授(朝鮮史)の古田博司氏は、韓国人と交渉事に望む際、「絶対、下手に出てはいけない」とくぎを刺す。
「韓国でよく使われる『ヌンチ』という言葉がある。日本語で『相手の顔をうかがう』というような意味だが、韓国人の行動様式を理解するのに欠かせない。彼らは、相手が自分より上位だと見るや、徹底的にこびへつらう。逆に、下位と見なすと容赦なく踏みつけてくる。交渉の主導権を握られないために、毅然とした態度を貫くのが賢明だ」
ご都合主義も浸透する。戦後賠償の終結が明記された65年の日韓基本条約を無視した賠償命令を出したり、汚職で逮捕した政治家に恩赦を連発したり。韓国の裁判所が理解しがたい判決を連発するあたりも、その現れだ。
「日本人はウソを嫌うが、彼らは平気でウソをつく。それはウソでも真実でも、正直に言うことが評価される風潮があるから。都合良くこちらに合わせてくるから一見『いい人』に見えるが、それで信用するとひどい目に遭う。ウソを言うものだと肝に銘じておいたほうがいい」(古田氏)
沈黙は金-この格言は隣国との付き合いに通用しない。ドラマ「半沢直樹」ではないが、理不尽な物言いには、「倍返し」ぐらいの気概で立ち向かうべきだろう。(情報収録;中山)
◎いつになったら韓国の実態が明るみに出るのであろう?
マスコミにも日本の国会議員にもコリアンが多いから、必死に出ないようにしているのだろう。
【暗躍列島を追う】
(4)韓国“性産業輸出”驚きの実態… 売春婦「世界に10万人」2013.08.18
韓国の「性産業輸出大国」としての実態が注目されている。韓国紙は「全世界に10万人余り」と報じ、米国での外国人売春婦の割合でも断トツだというのだ。
朴槿恵(パク・クネ)大統領は、終戦記念日の15日、慰安婦問題で「過去を直視する勇気を持て」「責任と誠意ある措置を」と日本を批判したが、韓国こそ歴史と現実を見直すべきではないのか。ジャーナリストの大高未貴氏が鋭く迫った。
米カリフォルニア州グレンデール市に先月末、慰安婦を象徴する少女像が設置された。在米韓国系団体が後押ししたもので、全米20カ所以上で設置計画が進められているという。歴史を捏造(ねつぞう)して、ここまで他国を貶める民族的情熱は、精神医学のテーマであり、「日帝36年の恨」などと分析するのは好意的すぎよう。
慰安婦問題を考えるうえで大変参考になる記事が昨年、朝鮮日報(6月15日)に、「拡大する韓国型性産業、海外での実態」「『性産業輸出大国』韓国の恥ずかしい現実」として掲載された。驚くべき内容だった。
まず、海外での韓国人売春婦について、〈2010年10月に行われた女性家族部(省に相当)への国会国政監査で、当時の金玉伊(キム・オクイ)議員(女性家族委員会所属)は『海外で売春をする韓国人女性の数は日本に約5万人、オーストラリアに約2500人、グアムに約250人いるとみられ、全世界では10万人余りに達する』と主張した〉とある。
海外売春の理由の1つを「カネ」と分析し、〈昨年5月にカナダの売春宿で警察に身柄を拘束された10人の韓国人女性も『短時間でたくさん稼げると聞いて、つい来てしまった』と話した。売春宿を経営していた女性社長(36)は、普段から女性たちに『1カ月に2000万ウォン(約175万円)稼げる』と話していた〉と記している。
記事には、米国での外国人売春婦の割合も掲載されており、1位は韓国23・5%、2位はタイで11 ・7%、3位はペルーで10%とある。04年に韓国内の売春禁止法が強化され、08年にノービザでの米国旅行が可能になり、一気に流出し始めたようだ。
一方、韓国国内では、般若のような白塗り、白装束の売春婦が数百人規模で「仕事を自由にさせろ」とデモをし、その姿はインターネットで全世界に流れていた。
彼女たちは「私たちは性労働者、労働者には働く権利がある」とし、「成人男女の私的な行為に法律が介入するのは違憲」と法廷で主張し、現在、憲法裁判所で審議が進められている。
女性家族部が07年に実施した実態調査によると、韓国の風俗産業の経済規模は約14兆952億ウォン(約1兆2377億円)と試算されている。風俗店で働く女性は約27万人。これは、この年の国家予算である239兆ウォン(約20兆9868億円)の約6%に相当する(前述の朝鮮日報)。
最近でも、これだけ性産業で働きたがる女性がいるのに、売春が公認されていた70年前、「強制連行」などという手荒な行為が必要であったかどうか、冷静に考えれば誰にでも分かる。慰安婦は、戦時の商業売春婦だったのではないか。
現在でも、中朝国境付近では脱北した北朝鮮女性数万人が、中国人業者に売春窟や貧しい農家に売られ、それこそ“性奴隷”に貶められている。だが、「中国の属国1000年・美女献上の恨」は聞いたことがない。
韓国がベトナム戦争に参戦した際、韓国人兵士と現地のベトナム人女性の間に生まれた子供「ライタイハン」は1万人とも3万人ともいわれる。
「敵国の子供」として激しい差別を受けているが、韓国政府はほぼ棚上げしたまま。反日慰安婦プロパガンダより、こちらの問題解決の方がはるかに人道的ではないのか。
米国の隔月刊誌『サイコロジー・トゥデイ』の元編集長、サム・キーン氏は著書『敵の顔』で、「敵は自我の否定的側面から構成される」として、「自分の内には認めたくない性格のすべてを他人に押しつけることで、不安と罪悪感を縮小する」と述べている。
ともあれ、韓国は今後、米国以外にも慰安婦像を設置すると息巻いている。その前に、こんな説明文の碑を追加建立してはいかがだろうか?
「これは自国の退廃文化を他国の責任とした韓国政府と、古代から女性を売り続けてきた朝鮮半島の哀しい歴史を証明するものである」 大高未貴(おおたか・みき)(情報収録:中山)
報収録・中山)
◎ 新日鐵住金株式会社プレスリリース
http://www.nssmc.com/news/20130819_100.html/
昨日(8/18)の一部報道について
昨日(8月18日)、当社が韓国の戦時徴用訴訟において敗訴時に賠償の意向、との一部報道がございました。
当社は、先般のソウル高裁の判決は、徴用工等の問題を完全かつ最終的に
解決した1965年の『日韓請求権協定』、すなわち国家間の正式の合意を否
定するなど不当な判決だと考えており、7月30日に大法院(韓国最高裁)
に上告いたしました。
今後、大法院にて、当社の主張の正当性を明らかにしていく所存です。
以 上 2013/08/19 新日鐵住金株式会社
〔情報収録 - 坂元 誠〕

人工地震説

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なんでもかんでも陰謀説にしてしまう人たちがいるが
疑いを持ちながらも意見は読んでおかないとね。
本当かもしれない可能性もあるから。↓
~~~~
3.11人工地震説について
2012 2月3日
2001年の9.11事件に続いて、またか、という感じがするが、にせユダヤのもくろみは、またも裏目に出ているのである。
(参考文献) 「3・11 人工地震説の根拠 衝撃検証」 泉パウロ著、ヒカルランド ・・・ 昨年ベストセラーになった
1. 証拠:
2011年3月11日に起こった 東日本大震災の巨大地震が、人為的に起こされたものであることの証拠を挙げてみる。
(1) いくつかの科学的な方法で地殻変動などが継続的にモニターされていたにもかかわらず、前兆となる現象が観測できず、科学的な直前予測が全くできなかったこと。
・・・・・ これは各報道機関も共通して語っていることである。未だ、”直前予知”の成功例は、世界的にも非常に少ないということになっている。
地殻変動の観測は継続的に行なわれてきた。過去に宮城県沖を震源地とする地震の規模は M7.3~8.2であり、通常の地震では、地震の途中から岩盤に含まれている水が潤滑剤となって揺れを起こさない”すべり”によって地殻移動するが、今回の M9.0 の大地震では、地下の核爆発による広範囲な刺激によって、すべりを起こす間もなく一気に岩盤が跳ね上がったために揺れと津波が想定外に大きくなった(M9.0 は、想定 M8.0 の 30倍のエネルギー)と考えられる。しかも、実は、数秒間隔を置いた同じ場所の 3連発の3つ子地震。(↓ 図2 )
(2) 4回の大津波が発生した4つの地震の時間的間隔は、(マグニチュードの小さいものもあるが)きっかり20分間隔で起こっていること。
・・・・・ 20分という時間は、海岸から震源までの150kmの距離に対し、津波の振幅が最も大きくなる周期として、人為的に設定されたことを示す。 津波の速度は 沖合いで数100km/hで、浅瀬では抵抗のため遅くなる。(水深4000m: 700km/h、 2000m: 約500km/h、 200m: 約160km/h、 10m: 約36km/h) (↓ 図1 )
(3) 地震前日に複数名の人が、”発破”のような爆発音と振動を感じていたこと。
・・・・・ これはインドネシアのスマトラ島沖地震でも報告されている。”地震直前に異様な大きな爆発音を聞いた! 突き上げるような地鳴りが今までの地震とは違っていた!”等の報告。
→ ツイッター 、 中村もんどさんのブログ
(4) 自衛隊員で 米軍の超小型核爆弾の開発に関わったという人が 立川の教会に逃げてきて、洗いざらい告白していったこと。他のメンバーは皆 暗殺されたという。
・・・・・ 超小型水爆は現在開発中で、用途はすでに決まっているという。 彼がいた特殊ミサイル開発チームの日本人15人のうち ほとんどが暗殺され、残り2名は行方不明という。本当に逃げてきたか、米国の脅威を”宣伝”するよう強制され、泉パウロ氏が本を書くことを知っている当局に遣わされたか? 元横須賀基地の隊員だったという本人は、3回の礼拝出席後はいつもすぐ帰り、その後 ロサンゼルスに帰ったそうである。
(5) HAARP(米のオーロラ調査名目の軍組織、強力な電波を発射できる)が提供する、東アジア方向に向けられた 誘導磁力計(東京大学が提供)の周波数成分グラフが、3/8 から 3/11の午前10:00まで 2.5Hz付近の超低周波を連続的に観測していたこと。 直接には発射された電磁波によって地震が誘発されたのではないが、電離層の操作(超低周波の音波が出るようにする)を行なった可能性が大きい。(↓ 図5 )
・・・・・ このとき大地震前のいくつかの地震が起こっている。 これは、唯一の科学的な直前予知として、電離層における電子密度の変化が観測されたこと(by.北大、電通大)と 原因が共通している。地殻の岩盤の摩擦によって発生する電磁波は強くない。(→ 2.現在の地震予知の実力)
(6) 大地震の直後に、東京湾と 富士山近くで地震が起こり、東京湾・海ほたる付近の震源地では同じ日時に 科学掘削船”ちきゅう”が停泊、また、富士山では米海軍も演習する”東富士演習場”の まさに敷地のまわりを震源地として起こっていること。(↓ 図3 、4 )
・・・・・ 科学掘削船・ちきゅうは、専門家たちから米国の工作船と見られている。 この船が 東京大地震を人工的に起こそうとしたもくろみは、東京湾の地下が振動が伝わりにくい砂礫層であるため失敗した。
また、富士山の震源地は 静岡東部 35.3 138.7 35.3 138.8、 山梨南部 35.4 138.7 35.4 138.8 と 正方形であり、その中央にこの演習場がある。(地図と google earth でその場所が所定の経緯度であることが分かる) 北富士と東富士の演習場は、米軍の優先使用の密約がある。 ベンジャミン・フルフォード氏によれば、いまなお3/11の人工地震を起こした連中は富士山噴火をあきらめないで、富士山を人工噴火させるための新たな装置を設置工事中と、現場から逃げ出した元作業員が暴露しているそうである。
(* 今年2012年の1月28日からも一連の地震がすぐ近くの富士五湖で起こっている。最大震度5弱。噴火は誘発されていないもよう)
(7) 地震直後から群発地震が起きている間は、放射能の量は 原発付近よりも 海の震源地近くのほうが高かったこと。 また、カムフラージュのために 原発の放射能漏れを細工した形跡があること。 地震直前に東電株を空売りして大もうけした人たちがいること。
・・・・・ 検出されないよう福島第一原発への放水が、実は、建屋の水素爆発に見せかけた”小型の純粋水爆”によってできたトリチウムを洗い流す作業であった かどうかは良く分からない。しかし、この爆発で 放射性物質を広範囲に撒き散らすことになったことは確かである。 旅客機が落ちても壊れないはずの建屋の電気系統を破壊したのは、スタックスネットと名づけられたイスラエル製のコンピューターウイルスといわれる。(原子炉製造: GM(にせユダヤ系)、安全管理システム: イスラエルの企業 Magna BSP) これらの工作を事前に知らされた投資家たちは、兆円単位で大もうけしたそうである。
(8) 大地震発生の4ヶ月前に、宮城県沖で震度6強(M8・0)を想定した 大規模な日米共同演習・”東北方面震災対処訓練”が行なわれていたこと。
・・・・・ この演習のときに、海底のボーリング穴のキャップを外して原爆を仕込んだと思われる。 震災後は”トモダチ”作戦が行なわれ、普天間問題がうやむやにされている。 (ただし、米軍は放射能汚染した福島県には一切入っていない。22日までに厚木・横須賀・座間・横田の米兵の大部分が避難している。)
図1) ・・・ 同じ震源地で 20分おきの地震発生、津波の人為的な増幅の証拠:(14:46の マグニチュード7.9は、後に 9.0に修正された。括弧は 陸上の最大震度。 by.yahoo 天気)
図2) ・・・ 宮城県沖の海底基準点の移動 と 過去の地震の推定マグニチュード (by.海上保安庁・情報部):
図3) ・・・ 3月12日から東京湾で起こった一連の地震 と 3月15日の富士山の地震:
図4) ・・・ 掘削船”ちきゅう”による 南海トラフの掘削計画(中断中):
図5) ・・・ HAARPのアンテナ群 と HAARPが提供している(オーロラ観測用の)誘導磁力計のグラフ(3/11、東アジア方面)(by.中村もんど氏のブログ):
* 公開されている HAARPのデータ(東大が提供した誘導磁力計): http://www.haarp.alaska.edu/haarp/data.html
2. 技術的に可能か?:
海底に深い縦穴(~10km)を掘って、そこに超小型核爆弾をセットし、その後 上空から遠隔操作で起爆することは可能だろうか?
(1) 掘削の限界と 核爆弾の大きさ:
民間がトラックで持ち運びできる一般的な掘削では、深さ: 800m~1000mまで。 掘削船などで行なう 超深度ボーリングでは 10kmで φ5インチ(400℃になっている)が限界とされる。 石油の”油井管”では、深さ4~6km、φ5~20インチのケーシング管が用いられる。(1inch = 2.54cmより、 φ20inch = φ50cm)
掘削船”ちきゅう”では、2500mの海底下、7500mまで掘削可能という。
したがって、核爆弾を 深さ 4kmよりも深い穴の底に挿入するためには、大きくても φ50cm以内に超小型化しなければならない。しかも、岩盤の温度は、深さ 4kmで100℃以上になるので、そこで用いられる半導体などの電子装置は高温に耐えられるものでなければならない。400℃で使える半導体は SiC しかない。
原子爆弾については、超小型化が進み、兵士が背負って持ち運びできるもの(重量68kg)が、米国ですでに1965~89年まで配置されていた。(核出力は10トン~1kトン(TNT換算))
しかし、メガトン級の威力を持つ 水素爆弾は、水素化リチウムでコンパクトにしても原子爆弾を起爆剤とするのでかなり大きくなる。 現在はもう少し小型の水爆もできているかもしれない。
さらに、原爆を用いない”純粋水爆”は、重水素を核融合させるものであるが未だ成功しておらず、米国は1998年に 純粋水爆の開発を断念し、研究データを公開した、ということになっている。 純粋水爆の超小型化は非常に難しいと考えられる。
(* ただし、もし、”常温核融合”が応用されていれば可能かもしれない。兵器として用いられるために、世界中で秘密裏に研究されているのかもしれない。)
(2) HAARPの役割:
HAARP(ハープ、高周波活性オーロラ調査プログラム、アラスカ州にある)は米の高層大気圏調査プロジェクトである。しかし、オーロラの調査にしては必要以上に設備が充実し、空・海軍、国防省が所有し、非常に強力な電磁波を発射する能力がある(最高出力1億GW、一度発射すると2週間もの充電期間が必要な場合もある)ので、ロシアなどの他国からも特殊な軍事施設とみなされている。
1960年代には、アルファ波などの超低周波を変調した電波を発射して、人々の”マインドコントロール”実験が頻繁に行なわれたそうである。 また、他国の軍事衛星などの情報を 強力な電波によって撹乱させる目的があるともいわれている。
地殻の 深いボーリング穴に入れた原爆を操作するためには、電磁波や通常の音波は通らないので、地震波並の超低周波の”音波”を使う以外に方法はないと考えられる。(* 岩盤の摩擦による電磁波は、低周波であってもほとんど地上には出てこないと考えられる)
オーロラは、太陽風による活動によって、40Hz以下の音波を地上まで発射することが観測されている。 電離層(プラズマ状態)で、電子のサイクロトロン共鳴が起こる周波数の電磁波は吸収され、その電子密度を変動させる。 東京で地磁気は B = 45μT(テスラ)程度なので、その共鳴周波数を計算すると、簡単のために 電子の有効質量 m* を m とおき、比電荷 e/m=1.76×1011(C/kg)として、
fc = e B /(2πm) = (1.76×1011×45×10-6)/2π = 1.26 MHz 程度の、中波帯の電磁波 となる。
これに 2.5Hzのパルス波を変調して搬送すれば、電離層で音波(縦波、粗密波)に変換され、海(液体)から岩盤(固体)にかけては 地震波の P波となって伝わり、穴の底にセットされた原爆まで届く、というシステムが出来上がる。あとはその音波にさらに変調した信号を読み取るようにすればよいことになる。
東京湾や 富士山の演習場では、直接 音波によってコントロールできる。
(* 実際、筆者の知り合い(東京)で、地震前からひどい耳鳴りがした人がいるので、(岩盤からはあまり電波は出てこないはずなので、)この HAARPから発射され、電離層で変換された強力な 超低周波の音波によるものと思われる。超低周波の音波はかなり広範囲まで減衰しないで伝わる。(2.5Hzは 熟睡時のδ波に相当) 地震の一週間前に、茨城県の海岸に小型のクジラ約50頭が打ち上げられた異常現象もこれで説明が付く。 米国で 地震と耳鳴りとの相関があるという報告(→ 2.現代の地震予知の実力:(2) 参照 )には、この HAARPのような軍事施設が深く関わっていると考えられる。)
* 日本にも 類似の施設”MUレーダー”(京都大生存圏研究所)がある。また、ロシア、中国でも研究されているという。
3. 人工地震の実行者 と 目的:
(1) 終戦直前の米国の心理的軍事作戦:
1944年12/7 東南海地震(M7.9、震度6弱、震源 志摩半島南南東沖約20Km)、45年1/13 三河地震(M6.8、震度7、深さ11km、震源はほとんど海岸沿いの内陸直下型))が東海地方の軍需工業地帯を襲った。(戦時中なので国内ではほとんど報告されていない。死者 それぞれ 数千名)
この地震が起こる前には、米国の地震学者たちが総動員され、”日本近海のどこの海底プレートに強力な爆弾を仕掛ければ、人工的に巨大な津波を起こせるかシミュレーションを繰り返した”と書かれている”日本本土への地震兵器による心理的軍事作戦”という機密文書が 米戦略事務局OSS(中央情報局 CIAの前身)から出されている。
当時、日本を降伏させるのに手を焼いていた米軍は、ちょうど中京の軍需工業地帯に起こったこの地震を利用して、空爆と共に、住民に降伏を促す”地震の次は何をお見舞いしましょうか”と書かれたビラを飛行機(B29)からばら撒いたのは事実である。
原爆は当時大型のものが開発されたばかりで、小型のものを作るのは難しく、まして、日本の沖合い20km程度の所にボーリングして仕掛けるということは不可能なので、この機密文書の内容は、単純に心理作戦だけを目的にした でっち上げだろうと思われる。しかし 少なくとも、核爆弾を人工地震発生に利用できるという構想は すでに持っていたようである。
(2) 近年の人工地震と思われる地震:
近年起こった地震のうち、人工地震と特定するためには最小限の条件がある。 地震が起こるためのプレート間のひずみが充分あること、実験、および、戦略的に目的があるもの(動機)、核爆弾を仕掛けることができるという距離や深さ(=いずれも 10km以内の浅発地震)などの地理的条件、軍事演習や工事、科学調査などの カムフラージュができるイベント、掘削船の存在、などが挙げられる。
・ 1995年1月 阪神淡路大震災 M7.3 6500人死亡: ベクテル社が 明石海峡大橋の真下(=震源地)のボーリング工事を担当した。2連発の双子地震。この場所で過去に大地震の発生なし。
・ 2004年12月 スマトラ沖地震 M9.3 22万8千人死亡: 米国が突きつけた石油利権要求と 米軍のマラッカ海峡駐留に反対した報復、岩盤の破壊が3段階で進行したこと(≒3つの大地震が偶然重なったこと)、2011 7/11浜田政務官は国際政治経済学者時代の論文を国会で引用した。
・ (2004年10月 新潟県中越地震 M6.8: (人為的地震?) 新潟県長岡市で2003年7月から始められた”CO2地中貯留試験”。深度1100mの砂岩層へのCO2注入が地震を引き起こした疑いが強という説がある。(長岡南ガス田は4000m) 余震の震源地の分布が、通常は直線状なのに対し 楕円形で、余震が長引き、大きい。)
・ 2011年2月 ニュージーランド地震 M6.1 181人死亡: 偶然 米軍がクライストチャーチの近くで軍事演習中 (東日本大震災の予行演習といわれる)
・ 2011年3月 東日本大震災 M9.0 2万人死亡: 4ヶ月前の日米合同大演習、地殻調査用の無数のボーリング跡(キャップをかぶせるだけ)、岩盤の破壊が3段階で進行したこと(≒3つの大地震が偶然重なったこと)、メタンハイドレートの存在、 空母ロナルド・レーガンを含む約20隻の艦船が3月13日には宮城県沖に到着しているのは早過ぎ。
* にせユダヤの数字遊びのテロ?: 震災・テロが起こった時間: 東日本大震災 14時46分、 阪神大震災 5時46分、 911同時多発テロ 8時46分
(3) ベクテル社:
米・サンフランシスコ、最大の多国籍建設業: にせユダヤ系(ロックフェラーの兄弟会社)石油コンビナート、発電所、ダム、空港、港湾などの工事を請け負う。
国内では、明石大橋のほかに、青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場建設(技術参加)、羽田西側旅客ターミナルビル(1989)、関西空港国際旅客ターミナルビル(1991)、東京湾横断道路川崎人工島東工事・海ほたる一帯の埋め立て工事(1991)、アジア太平洋トレードセンター(1991)、中部国際空港旅客ターミナルビル 等の建設を請け負っている。
・・・・・・ すべての地下深くに小型の原爆が仕掛けられていると思って間違いない。東京湾は”不発”だったが、他の場所は要注意!
イラクの復興大規模事業を受注。(湾岸戦争クウェート復興、1993年完了)
ロスアラモス国立研究所(ニューメキシコにある 米国の核兵器・原子力の中枢的研究施設、マンハッタン計画の中で原子爆弾の開発、広島・長崎の原爆もここで製造された)の運営業務が、2006年6月から 各大学機関とともにベクテルに委託されている。同研究所では2000年の大火災、機密文書や核物質などの紛失事件が引き続いて起こり、2004年7月から業務停止。
2005年11/30には 少なくとも300kgの兵器級プルトニウム(=原爆の原料)が行方不明(核兵器50個分)となる事件が起こっている。
(4) 科学掘削船・ちきゅう:
2001年起工、日米主導の統合国際深海掘削計画(IODP、6か国から16人の科学者が参加するチーム)の名の下で働く科学掘削船、実質アメリカ専属で使用されている可能性がある。 2500mの海底下、7500mまで掘削可能。 全長121メートルの掘削塔、重量5万7500トン、開発費600億円。
南海トラフでは、マントルの調査が可能として、掘削パイプを海底下4000メートルまで下ろし、そこからさらに7000メートル下にある実際のプレートの衝突点まで掘削することが期待されている。
東日本大震災(八戸港停泊中(アリバイ工作として311の日には、子供たちを船内に招いて一般見学させていた?)、津波を避けるため一時沖合いに退避)も含め、震災前後にいつもそこにいたという隠しようのないGPS履歴による足跡がリアルタイムでネット上に残されている。(原爆のスイッチを入れる予備軍の役割と、状況報告のためか?)
また、その乗組員が失言的に、自分たちの行なっている仕事をインタビューの中で堂々と暴露してしまった動画映像もネット上で広く公開され物議をかもしている。(・・・ ”その他、人工地震等を発生させまして、その地震波を測定するための装置です”) これは、核爆弾ではなくても、地中の発破によって人工地震を発生させる技術を持っているということである。
その後、移動し、東京湾・海ほたるの近くで長期停泊していたのは、前述の通り。このとき、湾に低気圧ができて、突風が吹き、粘着性の雨が降ったことが報告されている。
2005年秋から下北半島東方沖と駿河湾沖で掘削試験航海終了。予定している公式な業務として、静岡県の清水港、紀伊半島沖の南海トラフの掘削計画(2007年9月~・現在 事業仕分けで作業中断中)がある。
* 確かに地震が頻発する時代に入っているが、人工地震は自然地震よりも破壊力が大きい。今後、”ちきゅう”の動きや米の軍事演習など、特に、南海トラフ付近での行動に注意していく必要がある。
(”ちきゅう”が宮城県沖に長期間滞在した記録はないが、そのかわりに、震災の4ヶ月前に大規模な日米合同演習(2010 10/27~11/4、米第7艦隊14隻、日本艦隊30隻以上、航空機200機以上)が行なわれている。)
(5) 米国の水爆実験:
2008年11月、メタンハイドレートが多量に存在するアラスカ州の北極圏で9個の水爆を、海底、および、地下(10km)で爆発させた。目的は、人工地震と津波のデータを収集するためであるが、”石油王”である当局が、メタンハイドレートという「石油」「天然ガス」の代替燃料となりうる資源を破壊、あるいは、放射能汚染させるためではないかと思われる。もちろん HAARPも関わっている。
岩手県宮古沖にメタンハイドレート密集帯があることは、1992年7月の海洋研究開発機構(JAMSTEC、”ちきゅう”も動かしている)の”しんかい6500”による調査で判明していたが、今回、わざわざこの近くで水爆を爆発させたようである。(必ずしも埋め込まなくてよい)
埋蔵量は輸出するほどあるにもかかわらず、メタンハイドレートの報道は、最近ほとんど聞かれなかったが、今年になって、愛知県渥美半島の南方沖70~80キロ・メートルの海底で、2月中旬をメドにメタンハイドレート掘削試験に入る。しかし、採算が合うかどうかは甚だ疑問である。(→ メタンハイドレートは資源ではない)
(* (以下、報道) 液化天然ガス(LNG)は09年度の国内の発電電力量に占める割合が29・4%で、原子力(29・2%)や石炭(24・7%)、石油(7・6%)を上回っ ている。東京電力福島第一原子力発電所事故を受け、政府は原子力発電への依存度を長期的に下げる方針で、メタンハイドレートの商業化が実現すれば、我が国 の電力供給体制の安定化に大きく貢献することが予想される。)
4. 世に打ち勝つ者の信仰:
さて、この世の支配者(= にせユダヤ、ワスプが半分ユダヤ化した者)のやり方は、何ともむなしいことだろうか。
原爆使用や露骨な軍事力の行使で 世界の非難を浴びたくない。かといって、世界の政治・経済を思い通りに支配したい。 おのれを”神”とする、飽くことを知らない”支配欲”こそ、反キリストの特徴である。(「終末の反キリスト」はまた別、ロシアから) それで、自然現象のように上手に見せかけ、それとなく米国の脅威を見せ付けるのである。陰謀論を語る人たちをもうまく利用している。(リチャードコシミズ氏や 泉パウロ師がまだ生きているのが何よりの証拠。)
そして、不正な利益だけはしっかりいただく。 9.11のときも、ビルが崩壊する日の直前に多額の保険をかけた”保険金詐欺”で大もうけをした(チェイニー元副大統領が黒幕)。 ビンラディンをでっち上げ、イラク戦争を起こし、米国の軍需産業で大もうけをした。 リーマンショックの前の住宅バブルでは、破綻することが分かりきっているのに偽りの情報でレバレッジ取引を行なって大もうけする。 そして、これらの結果は 全世界の大不況である。 因みに、リーマンブラザーズは(本当の)ユダヤ系であり、米国政府はこれを見殺しにした。
今回も、東電株の空売りで、兆円単位の大もうけをした人たちがいた。 ・・・・ 彼らが考えていることは、この世のことだけである。
地震のトリガー(引き金)となる原爆(あるいは水爆)から出る放射能をカムフラージュするために、福島原発に細工をしたまでは良かったが、爆破による地震の起こり方が”すべり”を伴わない急激なものだったため、震災のエネルギーが予想(M8.0)以上に大きく(M9.0)、放射能汚染の被害が拡大し、結果的には、全世界の原発建設が消極的になる、あるいは、廃止される方向へ行ったのである。日本では 原発は事実上、4月末ですべて終了し、再開のメドは立っていない。 これは、ただでさえリーマンショック後の自動車、建設不況化で苦しんでいる ロックフェラー傘下の GM や ベクテル社にとってもかなり痛手でなはずである。
戦後の米国は、金融と軍事にのみ力を入れてきたので、製造業の土壌ははぐくまれていない。いくらドル安になっても新興国に打つ勝つことはできないのである。
また、メタンハイドレートを潰しても、世界中で石油に代わるバイオ燃料の開発が進んで、石油が占めるエネルギーの比率がますます小さくなる。”石油王”としての影響力も弱体化するだろう。エクソンモービル(これもロックフェラー系)では先手を打って”藻油”の開発に力を入れているようであるが、うまくいくかどうか?。 ( → エネルギー戦略の考察 )
それでも、国としての日本(「ツロ」)は、最後まで(傀儡的に)米国(「エジプト」)と同盟関係を結び、ASEAN経済圏とも経済的な関係を築き続ける状態になる。終末の反キリストによって、日本もアメリカも滅ぼされる時まで。
「エジプトのあや織りの亜麻布が、おまえの帆であり、おまえの旗じるしであった。」 (エゼキエル27:7)
2007年11月にロックフェラー本人がサイン会の名目で来日し、天皇陛下に謁見したとき、傘下のシティー銀行を助けてくれるよう懇願した。 そして今度は、(新生している)クリスチャンの勢力に対し、頭を下げるような立場になるのである。 クリスチャンの勢力といっても、”世的なクリスチャン”のことではなく、終末直前に7つに分類されているうちの一つ、フィラデルフィアの教会に対してである。
「見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たち(= まさに にせユダヤ)に、わたしはこうする。 見よ。彼らをあなたの足もとに来てひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを(彼らに)知らせる。」 (黙示録3:9)
「世(= 世と この世の支配者)に打ち勝つ者とはだれでしょう。 イエスを 神の子と 信じる者ではありませんか。」 (Ⅰヨハネ5:5)
「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」 (コロサイ3:1、2)
日本をツロに例えているが、ツロは、滅ぼされてガレキになってしまうと予言された貿易が盛んだった島で、今でもガレキだけの状態。
日本をツロに例えるのは、やめてほしいけどね~。

蒋介石「中国は日本の領土を少しも要らない、ソビエトは手を引け、日本を分割しても何の徳にもならん

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明治天皇の孫だという牧師のメッセージをみつけた。↓
八咫鏡(やたのかがみ)(伊勢神宮の御神体)のなかにヘブライ語があって、
真中に、「エイヘ アッセル エイヘ(=我は、有りて有る者なり)」(出3:14)という言葉があります。
と書いていた。天皇は本当に朝鮮半島から渡ってきたユダヤ人の子孫かもしれない。でも朝鮮人とは限らない。昔は、天皇の家族らは、日本と朝鮮を同時に治めていたらしいから。民族としては、今の朝鮮半島人ではないでしょう。

明治天皇の孫だという牧師は、紹介石はクリスチャンだと言っている。
最初は偽クリスチャンでも後からクリスチャンになった可能性はあるよね。

その後、精神が荒れて、神様を忘れ、
ノンクリスチャンのような生活をしだした可能性もある。

蒋介石が後でクリスチャンになったのかどうかは、
天国に行ってみないと分からないな。
敗戦した日本をいろいろかばってくれたのは事実。
そこは、感謝しないと、、、。

~~~~~
明治天皇の孫 小林隆利牧師のあかし 2007 2/10

・・・・ 「明治天皇と昭和天皇と私」 小林隆利牧師 1996 1/28 at 寄居の教会
より テープ起こし
§ 小林隆利牧師について:
この公演の内容は、HAZAH(ハーザー)2001年2月号(マルコーシュ・パブリケーション)に掲載された。
小林隆利(たかとし)牧師は、明治天皇の内親王・仁(しのぶ)様の長男(すなわち、明治天皇の孫)として、大正14年に名古屋に生まれる。
1996年時点で、73歳、大阪の堺市鳳において牧会されている。
小林師によると、八咫(やた)の鏡のレプリカは現在、皇居にはなく、明治神宮に移されたそうである。また、皇太子が割礼を受けている。昭和天皇は、定期的に牧師を宮中に招いておられ、侍従長を始め周囲をクリスチャンで固めていた。平成天皇のためにクリスチャンの家庭教師(女性)を招き、音楽の教育にカリスマ派のクリスチャンを招いていた。戦後マッカーサーに宣教師と聖書を要請した。また、クリスチャンの病院活動(聖隷ホスピス)に対し下賜金を数度にわたって与えられた。また、平成天皇は、牧師を招いて宮中で聖書講義を受けておられる。三笠宮(オリエント学を専攻する学者)も天皇家の起源について興味を持って取り組んでおられる。

* 明治天皇には側室が40人いたので、系図に載らない非公式の子、孫がいても不思議ではない。明治天皇の子供は、(非公式の子も含めて)生涯、全部引き取られているが、孫については必ずしもそうではない。また、娘の仁(しのぶ)という名前については、仁の字は男児にのみ付けられるが、彼女については、明治天皇の特別な思い入れがあったためと思われる。

* 小林牧師の姻戚関係は裏付け調査中です。追って報告いたします。
§ メッセージ:
お話する前に2つのことを申し上げたいと思います。一つは、青森県の戸来村(へらいむら)で何かうわさがあるんです。イエス様の弟が出てきて身代わりになったというお話が青森にあるんです。おそらくうわさをお聞きになった方はいらっしゃると思います。これには明快な答えがあります。ここにおられる川口さんが、長谷川太郎先生が亡くなったと、何度も電話をくださいました。長谷川先生は台湾でずいぶん活躍されて、蒋介石総統の終戦の文を全部日本語に翻訳して、すばらしい奉仕をした方であります。私の非常に尊敬している先生で、この先生からあるとき一つの質問を受けました。あの戸来村のうわさについてでしたが、私は聖書を開いて説明をしました。マタイの28章にこう書いてあります。イエス様が復活された時に、祭司長たちはお金を出し合って、キリストの遺体を盗んだと言え、と言いました。ずいぶんお金をもらったその一人が、実は青森県に来ているんです。これがすでに青森にユダヤ人がたくさん来ていた証拠です。ユダヤ人が多く住んでいる青森にそのユダヤ人の一人が来ました。それは早く嘘をつかないと、本当のキリストをなぜ信じないかとやられたら困るからです。

もう一つ、この宇宙の成り立ちを申し上げますと、もっとはっきりします。私は、いささか大学で資源科学を勉強させていただきましたが、現在この地球上の人口50数億、60億近いといわれています。分かりやすく50億としましょう。宇宙の星の数は、その4万倍、200兆個あります。野辺山天文台がありますが、そこに東大の宇宙化学研究所というのがあります。電波望遠鏡、直径50mのパラボラアンテナで集めまして、宇宙を調べたら大変なことが分かりました。一番遠い星は地球から6000万光年といわれています。ところが驚くべきことは、200兆もある星の中で、地球のような星は全く無いことがはっきりしました。ということは、創世記の一番初めに神様が、天地を創りたもうたということの意味が非常に深くなるわけです。ところがそのもっと初めに、ヨハネの1章1節、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」 ということは、神様
が天地創造の時にいらっしゃったことははっきりします。これはすごいことです。ですから、この聖書の真理は、どんな人が疑おうとも疑うことができないのです。この世界で天文学者がたくさんいますが、これは地球物理といいます。この地球物理で調べれば調べるほど、クリスチャンでない学者が、聖書を読まざるを得ないということになってきています。その一人が、竹内均(たけうちひとし)教授、東大の地球物理の世界的権威者です(故人。東大退職後、科学雑誌ニュートン創刊)。彼はクリスチャンではありませんが、宇宙を調べている間に次第に神様に対する敬服の念が起こってきて、どうしても聖書を読まざるを得なくなりました。これはすごいことです。牧師先生が来て勧めたわけではありません。宇宙を調べると、キリスト教に関心を持たざるを得ないのです。だからもう、内面的には完全なクリスチャンです。
今日はもう少し解き明かしをしましょう。この中で、南十字星を見た方はおられるでしょうか。大阪市内の警察の著長さん、クリスチャンですが、一人見た方がおられました。しかし、注意して見ると、右と左のほうに小さな十字架が付いています。神様は初めから贖罪を表すように宇宙をお造りになりました。聖書の真理がどんなにすごいものであるか、聖書の真理は宇宙が全部証明しているのです。神様のなさるわざは大きいです。

今ご紹介いただきましたが、明治天皇がどれほど聖書を読まれたか、今日は、明治天皇の御製(ぎょせい=天皇の作られた詩文・和歌)を少し抜粋してきました。
明治天皇の前の、孝明(こうめい)天皇(*開化に反対)の御製の中にこのようなものがあります。

・ 国民(くにたみ)の、安けきことを今日ここに、向かえて祈る神の御前に

すでに、孝明天皇の時にこのような歌が歌われていたのです。孝明天皇は36歳で世を去られました。

明治天皇は聖書を非常によく学ばれました。私にとっては”祖父”ですが、やはり天皇ですから、天皇としてお話申し上げたいのです。
明治天皇が聖書を学び始めたのは、明治2年(1869年)からです。1867年大政奉還した徳川慶喜の孫、すずこ(鈴子?)さんといって、これが小原(おばら)氏(東大の先生)の奥様になられた方ですが、すばらしいクリスチャンです。お子様7人は全部牧師です。
フルベッキという宣教師・博士が、明治2年に長崎から招かれました。このとき三条実美が迎えに行って、日本は新しく変わったので、日本の政府を作るために助けてください、と依頼しました。フルベッキという先生はすぐにOKしました。しかし彼は、確かにオランダ系の人ですが、実は血統ではユダヤ人だったのです。神様はそういうところまで働いているのです。彼は上京し、明治天皇に仰せつけられましたが、まだ若い、16歳で即位された明治天皇はずば抜けた頭脳の持ち主でした。フルベッキはその時から明治天皇に聖書を教えました。

明治天皇には2万7千数百の御製があります。その数多くある御製の中の80~85%は、聖書を知っていないと理解できないのです。キリスト教を知らない人は分かりません。
”あさみどり 澄み渡りたる大空の 広きをおのが心ともがな”
大空をこんなに歌われたということは、背後にどうしても聖書があるのです。
因みに、明治天皇が一番愛読された聖書の個所は、詩篇の133編、「見よ、同胞(はらから)合い睦みて居るがいかに良き、楽しからん。・・・」(「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。・・・」) 明治天皇の名は”睦仁(むつひと)”ですから、聖書に自分の名前が出てい
る、として、明治天皇の側近は詩篇133篇が愛唱の句であることをよく知っていました。
明治天皇は非常によく聖書を読まれ、特に、イエス様の十字架の贖罪のみことば、彼の心を動かした個所でした。その、イエス様の十字架の個所を、自分の御製に託してこのように歌われました。

・ おのが身は かへりみずして 人のため つくすぞ人の つとめなりける (or つとめなるらん)

明治天皇に聖書を教えた人は、他に、内村鑑三、新渡戸稲造、塚本虎二(東大の聖書学・教育学者)がいます。この塚本虎二のお弟子さんに、長谷川町子がいたのです。サザエさんの漫画を描いた長谷川町子さんをクリスチャンに導いたのが塚本虎二でした。彼女の漫画の先生は田川水泡でした。それともう一人、畔上賢三(あぜがみけんぞう)は、明治天皇に一番長く聖書講義をした人です。彼は内村鑑三の推薦で早稲田大学の教授になった人です。早稲田大学の創始者は大隈重信ですね。彼もクリスチャンでした。早稲田大学の前にキリスト教の教会があります。それは、”早稲田奉仕団”(財団法人)といいますが、大隈重信の遺志を受け継いでいる所です。畔上賢三は、心から明治天皇に尽くした人でして、非常によく聖書の講義をしました。彼には内村鑑三の影響が色濃くありました。
皆さんご承知のように、内村鑑三は天皇に対する不敬罪(対、教育勅語)に問われました。東大・駒場の教養学部、昔は”一高”と言いましたが、その教授の時に、明治天皇の御真影に最敬礼しなかったのです。すると、他の教授たちから非難を浴び、大学に居られなくなって、さすらいの旅をすることになりました。彼が行った先は大阪でしたが、財界人は彼のことをよく知っていてお迎えしました。その内村鑑三を喜んで、丁重に迎えたのが住友財閥でした。だから、住友銀行は未だにキリスト教に好意をもっていて融資してくれるらしいのです。内村鑑三はそうしながら、名古屋や熊本に行き、随分さすらいの旅をしました。彼は、どこでも非難中傷されましたが、一度も妬んだり、恨んだり、そしった事はありません。彼は本当にクリスチャンです。パウロも言っていますね。迫害する者をのろってはいけない、祝福しなさい、彼はそれを全うしたのです。後に、明治天皇は、内村鑑三を誉め、あれが本物だと評価され、再び招かれて明治天皇に講義をし始めました。内村鑑三のそのクリスチャンとしての姿勢が、天皇家のみならず、宮内庁の職員など、いろいろなところに波及し、非常に深い影響を与えたのでした。イエス様の十字架の贖罪がどんなに尊いものか、それが深く入っていくのです。しかも、明治天皇はある時、宮内庁の職員の幹部に命令しました。


八咫鏡(やたのかがみ)(伊勢神宮の御神体)は天皇即位にどうしても必要です。その儀式は、TVで報道されていませんが。そのなかにヘブライ語があって、真中に、「エイヘ アッセル エイヘ(=我は、有りて有
る者なり)」(出3:14)という言葉があります。ということは、天皇即位の時、それが”天孫降臨”の意味するところなのです。神から直接、天から下ってきた、天皇家としての王権を頂いた、ということなのです。ですから、日本の王権は、他の国々の王権と全く違います。日本の天皇家は、特別な王家であることが示されているのです。だから、モーセを通して与えられたレビ記に書かれてある事柄、天皇家はレビ族、大祭司の立場なのです。しかも、創世記の49章を見ますと、ヤコブが各王族に預言をしていますね。その8-10節のところから、ユダ族について言っています。ユダ族は王権を持っている者であると、だから、日本の天皇は王権を持っている者です。
しかも、高松塚の古墳(*奈良県明日香村の古墳の壁画にあるチョゴリは韓国と同じ服装、韓国にもある)には、あまりよく知られていませんが、ダビデの星があります。ダビデの星はそこだけではなく、伊勢神宮にあります。
伊勢に行くと、表参道があって、たくさんの灯篭が立っていますが、一番上に16枚の菊の御紋、その下にヘロデ大王の紋があって(*)、一番下にダビデの星があります。だから、三重県の教会は伊勢と一緒で盛んです。灯篭について、遷宮する際、石工が自分たちの思いのままに彫ろうとしたら、伊勢のほうから叱られ、このような昔のとおりにするよう強く言われました。なぜなら、伊勢はまさに神様の臨在の場所であり、この彫り物は、あのエルサレムの神殿と同じことを表すシンボルだから、という理由によったのです。日本の天皇家が、ダビデの直系であるという証拠ではないでしょうか。

伊勢音頭がありますが、初めから終わりまでヘブライ語なんです。青森県の戸来村の歌も全部ヘブライ語です。宮崎県・日向地方の地引歌、家を建てるとき大きな柱を綱で引き上げドスンと落としますが、あれもヘブライ語で神様を賛美する歌なのです。
ですから、この日本にダビデの子孫が入ってきたルートが3つあることが判明しているのです。一つは、北方ルート、日本人はアイヌの人を軽蔑しますが、学者が調べますと、アイヌの言葉に随分ヘブライ語の変形があるのです。もう一つは、中央ルート、シルクロードです。今は砂漠ですが、昔のシルクロードはオアシスがたくさんあって、中近東からも行き来がしやすかったのです。正倉院の宝物を見ますとやはりユダヤからも来ています。もう一つ、南方ルート、舟で沖縄を通ってきています。私は3年程前に沖縄に4回行きましたが、沖縄の有力な学者にお会いしました。沖縄の人が使っている言葉をすべて分けて、ヘブライ語の変形が3500ある、ということを知りました。大阪に衆議院議員で中山正暉(まさあき)という人がいます。彼は自分で本を書き、国会議員の中で特に歴史に詳しい人ですが、その本の中で、古代にユダヤから王侯貴族が日本に2万7千人以上来た、と書いています。世界中に王国はたくさんあります、イギリス、オーストリア、スウェーデン、ノールウェー、オランダ、ベルギーなど。けれども、どこの王国へ入っても、ダビデの星が出てきたり、ヘブライ語が出てくるような国は、日本だけです。日本の皇室がどんなにすばらしいか分かります。

明治天皇が聖書を読み、皇室の文化、文字などのユダヤ性に気が付かれ、ヘブライ語の分かる学者を捜させた。青山学院大学の左近よしすけ(義介?)教授が呼ばれ、彼は八咫鏡などにヘブライ語が書いてあるので驚いたそうです。私は左近先生のお孫さんに会ったことがありますが、いろいろ尋ねようとする前にお亡くなりになりました。残念です。そして、明治天皇は日本という国がどのような国であるかが分かってきたのです。
だから、明治天皇は自分の娘、仁(しのぶ)、私の母ですが、を呼んで、日本は神道と言っているけれども、本当はこれはキリスト教中心だ、そこで、”仁が結婚して男の子が生まれたら牧師にしなさい”、と言われました。
先日、中山純一先生の使いの方が堺の私のところに2人来られました。そして中山先生ご自身が翻訳されたシロニー先生の本に、直筆で小林隆利先生に、とサインして渡してくれました。彼は、元 皇宮警察のトップで位でい
えば警視総官と同等の人です。私のメッセージを聞いて、中山先生は私にこう言いました。私は神道ですが、戦争の死者の事がよく分かりました、神道とキリスト教は一つになれないことはない、そこまで言われたのです。

神道のことでもう一つ大事なことを言います。昭和26年、高松宮信仁殿下から、日本の神道の主だった宮司たちに書簡が行きました。その書簡には(私もその控えを持っていますが)、君たちは、キリスト教とタイアップせよ、との命令したものです。これは未だ手付かずです。
ところが不思議なことが最近起こりました。数年前に、日本の神社の中で最も古いものの一つ、幣立(へいたて)神宮の春樹さんが私にお会いしたいと言ってこられました。大本教(おおもときょう)の出口 王仁三郎(でぐち わ
にさぶろう)は、戦前に、日本に火が降る(戦争に負ける)と言った人ですが、その大本教の京都の総本部で、なんと数年前から、カトリックの神父、牧師、宮司らが集まって、賛美歌を歌って神様を礼拝しているのです。その写真を見ましたが良い写真でした。大きな波がそういうところにも来ています。

中山先生の使いの方は、私の顔を見て、昭和天皇そっくりだと言いました。眼鏡をはずすとそっくりだそうです。右翼の人もそう言っているらしいです。大阪に、大学の先生をしておられた方で、三笠宮崇仁殿下(たかひと、ひげの殿下の父上)と一緒に食事をした方がいます。関西学院の英文学卒で、国際会議で通訳される方で、国のお金でアメリカに長くおられた人です。その姉妹が、私を見て、三笠宮殿下と非常によく似ているので驚いたと言っておられました。沖縄の大学の先生からも同じことを言われました。彼は、私も三笠宮殿下とだいぶお付き合いしたけれど、小林先生と雰囲気がおそろしく似ている、と言いました。また別の人からは、高松宮殿下と雰囲気が一緒だと言われています。その方は、先生、やっぱり血は争えません、何かの時に必ず出てきますから、とも言いました。けれども私は、高松宮殿下とは文通できませんでした。彼は、ご逝去されましたが、妃殿下にお悔やみのお便りを差し上げましたところ、しばらくしたら、高松宮菊子妃殿下から丁重なご返事が来ました。私が手紙を書いた以上に、さらにすばらしいお言葉で、これ以上の言葉はないというほどの表現でお返事を下さいました。
この手紙を、先ほどご紹介していただいた笹井さん(* 笹井大輔氏; マルコーシュ・パブリケーション代表)にちょっとお見せしました。中身はお見せしなかったのですけれど。

それで、先ほどの高松宮殿下が昭和26年に、神道の宮司たちにキリスト教とタイアップせよ、との命令を出されましたが、今日まで何も動きはありません。恐れたのです。しかし心の中では、キリスト教と一緒にならなければならないということは相当響いているはずです。
今の天皇陛下が、昭和天皇の後をお継ぎになられて即位されました。私はすぐに、両陛下にお手紙上げまして、そのときの手紙の中で、伊勢に行かれましたら、どうか灯篭をご覧下さい、16の菊の紋、ヘロデ王の紋、ダビデの紋、・・・。そこで、皆さん出かけられて、そのときお留守番で残っていたのが、今の皇太子(幼称:浩宮(ひろのみや))です。私が言ったとおりだったので、両陛下、皆さんが、随分お変わりになりました。
どう変わったか。それこそ明治天皇のお言葉が実現しました。私の母、自分の娘、仁(しのぶ)に、男の子が生まれたら牧師にしなさい、役に立つ時が来るぞ、と。天皇陛下にお手紙上げました。皆さんそれをご覧になって、人が見られない所でご覧になりました。そして、大変化が起こりました。宮内庁の全職員の半分が、クリスチャンになったのです。右翼の方からちょっとクレームがつきましたが。
今はもう退官しました藤森長官にも手紙が行ったらしいですが、彼は知らん顔でした。その陰にいたのが、中曽根康弘です。彼は堅い人ですが、彼のお母さんはクリスチャンなのです。中曽根康弘もキリスト教には一目置いているはずです。宮内庁の全職員の半分がクリスチャン、何とすばらしいことでしょう。神様が、明治天皇の言葉を実現しているのです。

明治天皇が聖書をよく勉強された結果の御製で、次のようなものがあります。

・ 目に見えぬ 神の心にかようこそ 人の心のまことなりける (目に見えぬ 神に向ひて 恥じざるは 人の心の まことなりけり)

・ 天地(あめつち)も 動かすという ことのは(=言葉)の まことの道は たれか知るらん

・・・ 神の創造について、だれがこの聖書の大真理を知るだろうか。
だから、明治天皇の御製を調べるだけで、クリスチャンになれますよ。これはすごいことです。

・ わがくには 神のすゑ(=末)なり 神まつる 昔のてぶり わするなよゆめ (=忘れてはいけない)

・・・ モーセの末、天皇家はレビ族・大祭司の末裔、天地万物の神様を忘れてはいけない。

・ とこしへに くに守ります 天地(あめつち)の 神の祀り(まつり)を おろそかにすな

私は明治天皇の孫、明治天皇は祖父ですが、そのたましいはすごいと思います。

・ あまてらす 神のみひかり ありてこそ わが日の本(ひのもと)(=日本国)は
雲らざりける

預言書のイザヤ書には、東の国からすばらしいことが起こると書いてあります。東から、これは日本です。日本は今度は世界を動かすことになります。

・ とき(=登起)おぞき たがいはあれど つらぬかぬ ことなきものは まことなりける

・・・ 登起とは、人生の高いところ低いところ。人生には難しいときもある、楽しい人生もある、悲しい人生もある、苦しい人生もある、いろいろな生き方があるのです。人生が、どんなに違っていても、貫かないことがないものは、誠(まこと)です。これは何でしょうか。イエス・キリストの十字架の愛です。明治天皇は、聖書の中にあるキリスト様の愛が、どんなに尊いものであるか、分かっていたのです。これに勝るものはない。この愛さえあれば、どんなところにでもついていく。差別を超えて、愛は入っていくのです。

天皇両陛下、皇太子、秋篠宮殿下に、私はいつも和歌をお送りしているんです。この間、秋篠宮の佳子(かこ)さんの1歳のお祝いにお送りしました。

”ひととせを(=1年間) めぐりていよよ すこやかに 育つるふたば 香りのかんばし”



私も母から和歌の手ほどきをうけました。母は、大変素敵な人でした。大きな声を出したことはありません。しかし、一言言えば、静かですが、威厳があります。その母と、実は昭和天皇は、広島の福山で(* 公式には、静岡県の
沼津御用邸で養育されたことになっている)、6年間一緒に生活していたのです。それが川村中将(=川村純義(かわむら すみよし)海軍中将、明治天皇からの信任が篤く、昭和天皇の養
育を任じられた)は軍人ですが、大変な文人で、学者です。その川村中将宅で、昭和天皇が赤ちゃんの時から、私の母、仁といっしょに6年間生活していたのです。だから、昭和天皇にとって一番忘れがたいのは、実は、私の母です。まるで兄弟のようでした。
川村中将は、中将でありながらものすごい質素な生活をされました。まして、将来天皇になる方だから余計厳しくしつけられました。昭和天皇の好物は実はイモ類なのです。里芋、さつま芋、ジャガイモ。裕仁(ひろひと)様が6歳になった時、明治天皇は彼を学習院に入れさせました。その時の学習院の院長が、有名な乃木大将であり、さらに厳しい教育を受けました。乃木大将は自分自身を鬼にして厳しくしつけたのです。昭和天皇は小さい時からいやというほどしつけを受けているのです。

その昭和天皇の質素な生活のしつけが発揮されたのが、この戦争です。
この戦争の時は、軍部は天皇の権威を抑えるほど力がありました。東条英機の位は、天皇と同等かそれ以上の位です。船舶委員長の会長が亡くなりました。笹川良一。彼は身を張って大演説しました。中ノ島の中央公会堂で、3500人以上の人を集めて、今の昭和天皇さん弱虫で、平和主義で、日本をだめにしてしまう、と大見得を張って公演をしました。すぐに宮内庁から警察へ連絡が行っているわけですが、その時は軍部の勢いが強くて抑えようがなかったときでした。
もう一方では、軍人たちが昭和天皇に圧力をかけて、あの皇居の天皇の執務室で、軍人たちがどかどかと入ってきて、天皇、判を押したか、と言いました。押さない。皇室典範ご存知でしょうが。分かっている。 ここで、皇室典範
には、天皇は、内閣で決議せられたことは、判を押すべし、とありました。押さなくてよいではなく、押しなさい、だったのです。その内閣を牛耳っていたのは東条英機です。しかし、皇室典範に違反しても、昭和天皇は戦争したくなかったのです。これが昭和天皇の本心でした。 そこで、将軍たちは感情的になって、昭和天皇を押さえ込んで、判
を持たせて無理やり判を押させました。
そのときから、昭和天皇は戦争責任をはっきり自覚されました。日本は戦争に負けました。あの玉音放送の中で、耐えがたきを耐え、忍べきを忍んだ、と言われたことは、戦争に対してのみならず、この軍人たちのやり方に対してでもありました。
また、日本はその時に、原爆を作っていたのです。理研科学の仁科博士が中心となって原爆を作っていたのです。その総指揮官は杉山元帥でした。昭和天皇は、このときばかりはお怒りになったのです。すぐに杉山元帥を呼び出し原爆開発をやめるように言いました。その時は杉山元帥は帰ってからまた開発を続け、そしてあの失敗をしました。すると昭和天皇は烈火のごとく怒って、杉山に、原爆中止、やめなさーい、とどなりました。そのようにして原爆をやめさせたのです。その原爆に日本は負けたのですから、玉音放送の、耐えがたきを耐え、とは、ありとあらゆることを含めた言葉なのです。大変な言葉です。しかも天皇は、この戦争の全責任を負われたのです。

昭和天皇は、マッカーサー元帥のいる第一生命の本社ビルの9階に行き、彼に、”私が罪だ”と言われたのです。一般的には、国民のためにどうなってもよい、と言われたと聞いています。しかし、本当に言われた言葉は、”私は罪だ、私を処刑しなさい”でした。世界の国々で、戦争に負けた国の王様はそんなことは言わないのです。ほとんどの王様は逃げるか、殺されるか、自殺するかです。昭和天皇は真正面からマッカーサーにこのように言ったのです。 ”罪”という言葉はどこからきたのですか? その一言で、昭和
天皇がどんなに深く聖書を学んでいるか分かるのです。本当の意味での”罪”の意識は、聖書による以外にはないのです。だからそれを聞いて、マッカーサーは大変驚きました。マッカーサーがアメリカを出る時は、昭和天皇は処刑される立場にありました。しかし、日本に来て、昭和天皇が直に来られて、こう言われたので、彼は驚き、最高の心をもってこの方に仕えようと変わったのでした。彼は連合軍の総司令官です。どうしてですか? 昭和天皇のお人柄、そして、その一言によったのです。そして、その言
葉が、バイブルから来たことが分かったからです。マッカーサー自身もクリスチャンでした。彼は軍服のポケットにいつも聖書を持っていて、それを離したことはなかったのです。(マッカーサーの一番好きな個所は使徒行伝(聖霊行伝)でした。)
だから、マッカーサーは自分が防波堤となって、昭和天皇を助けることにしたのです。

その上に、さらにすばらしい人が出てきました。それが、蒋介石です。彼もクリスチャンです。彼は初めはクリスチャンではなかったのですが、奥様がすばらしいクリスチャンで、彼女の影響を受けてクリスチャンになったのです。日本は敗戦しました。日本の軍隊でもソビエトに抑留された人々もいます。餓死して、凍死した兵隊がたくさんいるのです。しかし蒋介石は、戦いは終わったのだから、日本兵を敵と思うな、今までどんなに激しい戦いがあったにしても、全部忘れてしまえ、と命令しました。しかも、日本兵が帰るときには、食べものでも何でも持てるだけ持たせてやりなさい、日本兵は大事にして送ってやりなさい、と言いました。あれだけ戦争で苦しんだにもかかわらず。さらに蒋介石は付け加え、もし、中国の兵隊が日本兵に危害を加えるなら、それを銃殺にする、とも言いました。それほど、蒋介石は立派なすばらしいクリスチャンでした。
何とすばらしいクリスチャンたちが、日本を助けてくれたのでしょうか。その上に、蒋介石総統は、あのヤルタ協定、ソビエトのスターリン、イギリスのチャーチル、アメリカのトルーマンで決めた、北海道はソビエトが取る、本州はアメリカ、四国はイギリス、九州は中国が取る、ということが内密に決まっていた、それに対して、蒋介石は、中国は日本の領土を少しも要らない、ソビエトは手を引け、日本を分割しても何の徳にもならない、と言いました。ヤルタ協定の発案者は不凍港がほしいソ連のスターリンだったのです。だからソビエトも取れなかったのです。
いうなれば、神様が、このような人たちを用いて日本を救ってくれたのです。ハレルヤ、神様は本当にこんなにして日本を愛してくださった。何と感謝ではないですか。


後になって昭和天皇は、何度も何度も、マッカーサーでよかった、と、おっしゃっていました。私は何度も昭和天皇にお手紙差し上げました。大阪には造幣局があります。数百本立っている桜がなかなか銘木です。造幣局の通りの桜を選んでアルバムにしまして、お送りしたんです。お送りしたとき、あえて、「我は有りて、有る者なり」とヘブライ語で書いて、いろいろなことを書きました。昭和天皇が崩御された後、その幹部が昭和天皇の枕元や周辺を整理して、私の手紙がたくさん来ますから、(退官された)藤森正一宮内庁長官がわざわざ私に会いに来てくれました。その半年近くの後に、侍従長が、天皇陛下の命令で、私のところに来ました。侍従長は天皇ご自身に直接仕える人です。私がそのとき思ったことは、明治天皇が私の母に、おまえが結婚して男の子が生まれたら牧師にしなさい、と言われたことを本当に痛感いたしました。日本の国で、皇室のつながりを持っている私が牧師である、母が明治天皇の命令で、小さい時からずっと教会に連れて行ってくれた、今になってそれが大きな大きな神様の恵みとなって来ているのです。神様はこのように導いてくださっておられます。ここに、横山先生(横山隆師・日本メシヤニック親交会)や皆さん、本当に日本とユダヤ教とのことを随分調べて苦労しておられる先生方がここにたくさんいらっしゃいます。それが一つになってきています。ここに本がありますが、日本を変えるのみならず世界を変えていきます。世界中の王様で、原爆やめさせた人はいらっしゃるでしょうか? 昭和天皇しかいないのです。昭和天皇のお人柄がどんなにすばらしいか分か
るでしょう。しかも、重荷を全部負って、国民の罪も、兵隊の罪も、軍部の罪も負って、私は罪だ、私を処刑しなさい、と言うほどに、イエス様のような、天皇陛下のご人格です。日本にはこのような天皇がいる。ハレルヤ。皆さん、日本のために、天皇家のためにも、祈っていただきたいと思います。

アメリカにいるとメキシコ系の人は、ここまでいじけるのか。

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離婚和解金をすべて1セントコインで払い、豆と米も一緒に送る異常な元妻。
いじけすぎ。アメリカにいるとメキシコ系の人は、ここまでいじけるのか。
どれだけ差別があるのだろうか。この人だけ特別にいじけ方がすごいだけかな。とにかく、性格が悪い。ここまでいじけさす何かが元夫にあったのだろうか?
元夫は白人で誰もが羨むようなハンサムだったのかな?
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【海外:アメリカ】50ドルの離婚和解金をすべて小銭でタッパーに入れて元夫に送った元妻
2013年8月19日 14:00
離婚というものは、結婚よりも数十倍大変なものだ。特に、お金が絡み、元妻が怒り狂っている場合には…。
アメリカで、離婚裁判の和解金の一部として、元妻が元夫に50.12ドル(約4900円)を支払うよう判決が下った裁判の後、元夫が元妻から郵送で受け取ったのは、50.12ドル分の大量のコインが詰め込まれた、豆と米のタッパーだった。
予期せぬプレゼントには、次のようなメッセージが添えられていた。
『アンディ、ここに47ドル12セントが、すべて1セントコインで入っています。残りの3ドルはタッパーの購入に使いました。もしタッパーを返品したい場合のために、購入時のレシートも同封してあります。
ああ!それから、最後に一つ。豆と米も一緒に入れて送ります。あなたがビーナー(Beaner:豆の人。アメリカでメキシコ系の人を指す俗語)と結婚していたことを忘れないように。
あたなが素晴らしい人生を送れることを祈っているわ!もちろん、私の人生はアナタがいなくなったことで、20倍素晴らしいものになることは確実だけど!』
これを受け取った元夫アンディさんは、メッセージを読むまでもなく、豆と米が混じったタッパーに入れられたコインを見て、すぐに元妻の思惑を察知した。
彼女は、自分がヒスパニック系だからすべての独身の人からじろじろ見られていると、いつもネガティブに考えていたのです。
アンディさんは、元妻からの贈り物を先週火曜日にSNSにアップした。すると、なかなかの評判となり、たくさんの人がアンディさんにコメントを寄せた。
なかには、「元妻は、タッパーではなく現金できちんと3ドルをアンディさんに支払うべきだ」というお節介なコメントもあった。
その他にいくつか寄せられた「そもそも、どうして離婚することになったの?」という質問に、アンディさんは、赤裸々に答えている。
いくら匿名にしているとはいえ、元妻が知ったら、また半端なくキレてしまうこと間違いなしだ。
アンディさんの投稿が、元妻にバレないことを、切に願う。(まあ、バレて元妻から逆襲されても、自業自得だが。)
【記事:りょーこ】
参照元:Daily Mail
http://www.terrafor.net/news_qEqsPt7TeY.html
【海外:インドネシア】ショッキング画像!有名サーファーが波乗りをする海はゴミだらけ!!
2013年8月19日 15:00
迫りくる波の弧の中で、サーファーが見事にバランスを取りながら海上を滑走する瞬間の写真は、世界で最も躍動感があり、美しい写真の一つであるハズだ。
だが残念ながら、インドネシアで撮影されたサーフィンの写真には、人間たちが捨てた大量のゴミが写り込み、世界一汚い写真となってしまった。
残念極まりない写真が撮影されたのは、インドネシアのジャワ島の海岸。国内で一番有名なサーファー、デデ・スーヤナさん(28)が見事に波に乗る海は、ゴミで一杯だ。
絶妙な技で弧を描く波の中を滑るデデさんの周りには、大量のゴミが取り巻き、悲しいことに、見事なデデさんのサーフテクニックよりも、ゴミに目が行ってしまう。海水の色がきれいなコバルトブルーだけに、汚いゴミが一層強調されて見える。
この写真は、世界中の最高のサーフィン写真を求めて撮影活動をしている、サーフ・フォトグラファーのザック・ノイレさんにより撮影された。
「ゴミは、私たちが水中から出た時に突然、目の前に現れました。車なみの大きさの木の幹や、食べ物の包み紙、空き瓶、サッカーボールまで浮いていました。この中なら、人間や動物の体が浮いていてもおかしくないと考えていました。」
ゴミに覆われてはいても、海水自体はきれいなコバルトブルーであることからも分かるように、インドネシアの元々の自然は美しい。にも関わらず、インドネシアの海は、ゴミ溜めのごとく、ゴミで一杯なことで有名だ。
これにはデデさんも心を痛めていて、
「私は、きれいで美しい海をニュージーランドやオーストラリアで目にしてきました。そして生まれ故郷のインドネシアに帰って来た時、とてもショックを受けました。汚い環境は見た目に悪いだけでなく、人体の健康にも害を及ぼしてしまいます。」
デデさんが言う通り、海や川に捨てられたプラスチック製品により、まずは魚が汚染され、それを食べた人間も害を受けてしまうことが指摘されている。
ゴミ、ゴミ、ゴミ、、、「ゴミはゴミ箱へ」「ゴミは持ち帰りましょう」ただそれだけのことが、どうして私たち人間たちはできないのだろう。
【記事:りょーこ】
参照元:Daily Mail
http://www.terrafor.net/news_qEnCL2mZqk.html?recommend

( `ハ´)「ほらやっぱり日本は移民政策を進めてるアルよ!どんどん便利になっていくアルね!」

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( `ハ´)「ほらやっぱり日本は移民政策を進めてるアルよ!どんどん便利になっていくアルね!」 【中国の反応】
やっぱり僕の予想通り、日本は新しく移民政策を始めた
日本の高齢化と年金問題。2048年人口は1億以下になり、2060年付近では7000万になり、しかもその60%が高齢者になる。皆知っている通り、日本人は労働人口が年金人口を養っているが、昔はそれが12人あたり1人の老人だったのが、今じゃ3人あたり一人の老人になってしまった。年金はどんどん不安定になり、このままだと2050年以降日本の労働人口は減少し、年金は払えなくなる可能性が高い。どのように労働人口の不足を解決するか、それは移民政策を開放するしかない。たとえ日本人を外に追いやったとしても。自分が単一民族だと思うのなら開放せざるをえない。留学ビザも緩和し、仕事ビザ以前の就職活動の政策もゆるめている。すべて日本が移民のために準備しているもので、2012年の7月の資料を見てくれ、2が日本版で3が中国語版だ。僕が日本に留学して定住するのもどんどん便利になっていくね。
1.とある中国人
素晴らしい。
10年以内に日本は外国人の人口が100万は越えるだろう。
2.とある中国人
ちょうど日本に仕事をしに行こうと計画していたんだ。
3.とある中国人
でも結構制限があるからまだ欧米に行くほうがいいよ。
4.とある中国人
こんなことをしたら日本人はますます排外的になるだろうな。
自分がいるべきところに大量の外国人が湧いて入ってくるんだから。
5.とある中国人
まだ単一民族だなんて言ってんのか。
現在日本人の体には百越人のDNAがすでに見つかっている。
百越族とは、嶺南の山のほうの現民族のことだ。
6.とある中国人
本当に移民したいんならやっぱり欧米を選んだほうがいい。
特にアメリカだね。
7.とある中国人
でも日本人は外国人とどう付き合うかを考えなきゃね。
僕たちの国際関係の先生が言ってたんだけど、今後は一クラスの半分以上が外国人になるかもしれないんだって。
日本は島国で閉鎖的だったし、外国人との付き合いには慣れていないんだから。
8.とある中国人
悠々自適の生活ならやっぱり北欧だろう。
9.とある中国人
>>8
移民はただの労働力なんだから悠々自適なんて味わえないだろ。
10.とある中国人
日本人の習慣が大きく変わるだろうな。
もっと面白い国になるように期待するよ。
11.とある中国人
この制度は納税調査が便利になるだけだよ。
12.とある中国人
将来外国人はどんどん多くなり、どんどん深く日本に入り込んでいく。
日本人と同じように扱えば便利だし早くなる。
今までは外国人は他の窓口で扱っていたからね。
13.とある中国人
便利にはなるけど、簡単じゃないよね。
必要なことはやっぱり多い。
14.とある中国人
日本のハーフが多くなるだろうね。
15.とある中国人
労働力不足は問題じゃないだろう。
今の日本側の受け入れは留学ビザを主としてその場しのぎの労働力を確保しているにすぎない。
ベトナムなどの東南アジアの国の人は皆EUに働きに出てるんだから、その人達を奪うことができればいいというわけではない。
中国人が日本に行くときに純粋なアルバイトの契約書にサインすることも少なくはないが、国内より稼げるところに人は多く集まる。
日本の人口密度はとても高く、高齢化はしているけどヨーロッパやオーストラリア、カナダのように移民を奨励することは出来ない。
留学ビザをゆるめても外国の学生がお金を稼ぐ魅力にしかならないから、長期的な労働力の不足は補えないよ。
16.とある中国人
留学ビザは下りやすいけど、一番ビザが下り辛かった時僕は東京まできてしてもらった。
後は仕事を探すのが大変ってとこ。
投資ビザが難しいかどうかは知らない。
17.とある中国人
もし外国の文化の侵入が深刻だったら、僕は日本が将来以前の日本のままなのか心配だね。
18.とある中国人
日本が文化侵略とどのように移民の質を保つのかをちゃんと考えてほしいね。
この2つがうまく出来なかったら日本は完璧に終わる。
19.とある中国人
中国も少子化が深刻だよ。
一人っ子政策の弊害だ。
今世紀は労働力を奪い合う流れになるだろうね。
20.とある中国人
>>19
政府の数字を信用してるのか?
田舎には戸籍のない子供がいっぱいいるぜ。
彼らに戸籍与えれば何の問題も無い。
21.とある中国人
>>20
俺の予想では実際の中国の人口は20億くらいだと思ってる。
22.とある中国人
もし日本の外国人が増加したら本土の人は少なくなるんだろうか。
23.とある中国人
島国で移民はダメだろう。
日本はイギリスの状況を知らないのか?
出生率上げる政策をとらないと。
24.とある中国人
いいじゃんいいじゃん。
今後、留学や旅行なんかに行く時にもっと便利になるんだから
25.とある中国人
距離が離れていれば美しいってもんだ。
得られないものこそ最高のものなんだ。
ある日君が本当にそのような生活をすることになっても、悩みは以前と同様に少なくない。
もしくは増えるって気づくだろう。
実際の生活は小説やアニメのように理想的で美しいわけじゃないんだ。
26.とある中国人
もうあの6000元の再入国費用を払わなくていいんだ・・・
27.とある中国人
百年後、日本はこうして混血国家になったのである。
28.とある中国人
じゃあ日本はすぐにアメリカやカナダ・オーストラリアのように移民の国になるね。
29.とある中国人
香港みたいになるんじゃないか?
日本人は排外的ではあるが、他国の文化をなんでも取り入れる側面もあるし。
30.とある中国人
日本が移民を受け入れると同時に欧州の教訓も参考にする価値がある。
現在ヨーロッパではアラブの移民がヨーロッパをアラブ化する傾向にある。
日本はバランスよく外国の文化と日本の文化の関係を保つとともに日本の文化が中心であることを確認しなければならない。
移民を受け入れる目的は外国人を同化することであって、外国人に同化されることではない。
中国のように人口が多くない日本人は本来少ない。
さらに日本人は生まれつき周りに合わせるという心理があるから一旦外国人を受け入れたら自分自身もすぐに異化されてしまう。
実際、日本政府の移民政策は多くの基準を設ければいいんじゃないかと個人的には思う。
東南アジア文化圏用の基準、欧米用の基準、アラブ等宗教文化の影響が強い人達の基準、というようにね。
31.とある中国人
もともと日本が大好きだけど、残念なことに日本語が分からない。
だからやっぱりアメリカを目標にするよ。
英語は日本語より簡単だしね!
32.とある中国人
異なる時期によって異なる政策をするだけの話さ。
33.とある中国人
大して今と変わらんでしょ。
相手側の受け入れよりも、我々の出国制度が問題なんだからさ。
今まで通り行きたい奴が行くだけ。
海外「日本はアメリカより安全って本当?」
【悲報】 治安悪化、待ったなし!日本、残念ながら移民受け入れ不可欠!菅官房長官に提言済み
中国人「大阪日本橋のコスプレイベントを見てみるアル!」 中国の反応
「日本の移民拒否は、『胡麻を拾って西瓜を捨てる』ようなもの」、移民政策を緩和しなければ日本は滅びるのか…在日中国紙編集長
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頂門の一針ー「はだしのゲン」はどんな本か

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「はだしのゲン」はどんな本か
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阿比留 瑠比
米国による原爆投下後の広島を生きる少年を描いた漫画「はだしのゲン」(中沢啓治著)が物議をかもしている。松江市教育委員会が市内の公立小中学校に、倉庫などにしまって図書館で自由に読めなくする「閉架」措置をとるよう指示したのがきっかけだ。
この作品の残虐表現について「発達段階の子供に適切かどうか疑問」と判断した市教委に対し、いくつかの新聞が社説で取り上げ批判する事態なっている。例えばこんな論調である。
「閲覧制限はすぐ撤回を」(20日付朝日新聞)
「戦争知る貴重な作品だ」(同日付毎日新聞)
「彼に平和を教わった」(21日付東京新聞)
どれも「ゲン」を高く評価した上で、市教委の指示に関しては「子どもたちの(原爆に関心を持つ)そうした出会いを奪いかねない」(朝日)、「子供たちが考える機会を奪う」(毎日)、「子どもたちよ、もっとゲンに触れ、そして自分で感じてほしい」(東京)などと主張する。
だが、これらの社説は、実際の「ゲン」の作品世界とは遊離していないか。社説を書いた各紙の論説委員は、本当に「ゲン」を読んでいるのかと疑問に思う。
40年近く前、小学校の学級文庫に並ぶこの作品を読んだ筆者は、そこから「平和の尊さを学ぶ」(毎日)というより、人間社会の「悪意」と「憎しみ」ばかりを印象に刻んだ。グロテスクな表現と登場人物の自己中心的な言い分にうんざりした記憶はあっても、「中沢さんの思いに子どもたちが共感した」(朝日)とはにわかに信じがたい。
日教組好みのメッセージだったから、学校現場で普及を
3紙の社説は具体的に触れていないが、「ゲン」では何ら根拠も示さず旧日本軍の「蛮行」が「これでもか」というほど語られる。
「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を引っ張り出したり」「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺したり」…。
特に天皇に対しては、作者の思想の反映か異様なまでの憎悪が向けられる。
「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「殺人罪で永久に刑務所に入らんといけん奴はこの日本にはいっぱい、いっぱいおるよ。まずは最高の殺人者天皇じゃ」
東京社説によると「ゲン」は、韓国では全10巻3万セットを売り上げるベストセラーだという。さだめし、韓国の「反日」活動の論拠の一つとして利用されていることだろう。
朝日社説は「漫画を否定しがちだった先生たちが、限られた図書館予算の中から『ゲン』を積極的に受け入れたのも、作品のメッセージ力が強かったからこそだ」と持ち上げる。とはいえ、日教組好みのメッセージだったからこそ、学校現場で普及したのだから当たり前の話である。
憲法は表現の自由を保障しており、「ゲン」のような漫画があってもいい。だが、それと教育現場にふさわしいかはおのずと別問題だ。「閉架」措置うんぬん以前に、小中学校に常備すべき本だとはとても思えない。
(政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】013.8.21 21:03

こんなの日本人じゃない。

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もしかして、社会的にバッシングを受けるtことを知っていて
ワザとやってるのかな?それとも本当にニュースなどを見ていなくて
世の中の人に丸見えになることを気にしないで
ウケ狙いだけでインターネットに投稿したのかな。
みんなが購入する食品の上に寝るということは
食べ物に対する罪だし、勝手にケースに入って写真を撮るなんて
スーパーに対する罪だ。
常識も無い。社会の中の一員としての自覚も無い。
こんな日本人が増えているということで、家や学校で
日本人になるための教育がなされていないということが
丸わかりの事件です。

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スーパーのアイスケースに入って写真撮影した学生、退学に 学校が謝罪 写真を拡大謝罪文
 食品スーパーのアイスケースに客が入って写真を撮影し、インターネットに投稿した件で、群馬調理師専門学校は8月21日、同校の生徒が「食に携わる者としての倫理観を著しく欠いた問題を起こした」として謝罪した。
 「当該店舗の関係者の皆様、ならびに世間の皆様に多大なご迷惑をおかけ致しましたことを、深くお詫び申し上げます」と謝罪するとともに、当該の生徒が退学となったことを明らかにした。今後は生徒の倫理教育の充実をはかり、再発防止に努めるとしている。
 問題の写真はフードスクエアガーデン前橋店で撮影されたもので、8月19日にTwitterに「アイスかってほしそうだったから買ったった」というつぶやきとともに投稿された。同店はケース内のアイスクリーム類を全て入れ替えて販売を再開し、返金対応も発表。このような客の不適切行為に対し「厳格に対応」するとともに「従業員の接客時のあいさつや売場の巡回を強化」するとしている。
http://news.ameba.jp/20130821-425/
またか……:客がアイスケースに寝そべって撮影→炎上 スーパー「カスミ」が商品撤去&返金対応
従業員の接客時のあいさつや売場の巡回を強化するとしています。
食品スーパーのカスミ(茨城県つくば市)は8月20日、客が店舗内のアイスケースに入って写真を撮りインターネットに投稿した件で、同ケース内のアイスクリーム類を全て入れ替えた上で販売再開したことを発表した。このような客の不適切行為に対し「厳格に対応」するとともに「従業員の接客時のあいさつや売場の巡回を強化」するとしている。
編集部でモザイク加工しています
迷惑行為が発生したのはフードスクエアガーデン前橋店(群馬県前橋市)。8月19日にTwitterへ「アイスかってほしそうだったから買ったった」というつぶやきと、若い男性がアイスケースの中で寝そべっている写真が投稿されていた。写真はすぐにネットで話題となり、過去のつぶやきから投稿者の名前や学校名が広まる事態となった。
同店舗ではアイスクリーム類全てを撤去してケースの清掃と消毒を実施した。現在は入れ替え後の新しい商品を販売している。さらに8月19日午後9時~20日午後2時の間に対象商品を購入した人には返金するとしている。対象商品のリストと問い合わせ先はこちら(PDF)。
返金対象の商品
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1308/21/news039.html
顔面にピザ生地ベットリ…バイト悪ふざけで今度はケンタッキーが謝罪
日刊ゲンダイ 8月19日(月)10時32分配信
ツイッターに投稿された問題の悪ふざけ写真
コンビニや飲食店のアルバイト店員による悪ふざけが相次いでいる問題で、今度は宅配ピザ店「ピザハット」を運営する「日本ケンタッキー・フライド・チキン」(東京・渋谷区)が謝罪に追い込まれた。
発端は、ピザハット高井戸店(東京)の大学生とみられるアルバイト店員が、8月18日未明にツイッターに投稿した写真だ。店内で撮ったものとみられ、顔面にピザ生地をべっとりと貼りつけたイタズラ写真をアップし、「ピザって息できないんだなお休み地球」とつぶやいていた。
この悪ふざけに対し、ネット上では「今度はピザ屋。なぜくだらんツイートしたがる?
人生棒に振るよ」「ピザ屋がこれはだめやろ! 最近こんな事する奴多いな~」などと批判の声が殺到。ネット上では「まとめサイト」が登場し、ツイッターやミクシィのアカウントから、この店員のバイト先のほか、実名や大学名、出身校といった個人情報が次々と暴かれた。さらに、「ピザハットに抗議しよう」という声も続出した。
この事態を受け、運営元の日本ケンタッキー・フライド・チキンは19日午前、<当社アルバイト従業員による不適切な行為についてのお詫びとお知らせ>と題したお詫び文をHP上に掲載。<食品を扱う立場として断じてあってはならない行為であると深く反省しております>と謝罪した上で、<社内調査により、画像が撮影されたのは平成25年5月9日の閉店後であり、廃棄食材が使われたことが判明しております。食材がお客様にご提供されることは一切ございませんでした>と報告した。
また、問題のバイト店員については、<弊社の社内規定に基づき厳格な処置を下す所存でございます>としている。
バイト店員の悪ふざけ写真をめぐっては、7月以降、ローソンやファミリーマート、レストラン「ブロンコビリー」などが謝罪に追い込まれ、社会問題になっている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130819-00010000-nkgendai-ent

「有機」や「オー ガニック」と表示するには、「有機JASマーク」の貼付が必要

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ドイツの会社がまた儲かっちゃうなあ。
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農産物や農産物加工食品に「有機」や「オー ガニック」と表示するには、「有機JASマーク」の貼付が必要
テュフズードジャパン、有機JAS認証の登録認定機関であるオーガニック認定機構(OCO)と業務提携
2013年7月 9日
テュフズードジャパン株式会社
有機JAS認証の登録認定機関であるオーガニック認定機構(OCO)と業務提携
国際的な第三者認証機関であるテュフズードの日本法人テュフズードジャパン株式会社(本社:東京都新宿区、代表取締役社長:アンドレアス・シュタンゲ、以下、テュフズードジャパン) は、農林水産省が管轄する有機食 品の検査認証制度における登録認定機関である、株式会社オーガニック認定機構(本社:福岡県福岡市、代表取締役:東端 國夫、以下、OCO) と、グローバルG.A.P.と有機JAS規格の認 証取得における共同審査を行うための業務提携を行います。
今回の提携 により、両認証取得を希望する同一の お客様に対しては、申請窓口の一元化による手続きの簡素化や、共同審査による監査日程の効率化などのメリットを提供できるよ うになります。
食品安全に対する意識が年々高まる中、農作物の安全性に対して、国内外を問わずより一層高い基準が求められています。たと えば農作物のサプライヤー選定の際、農業者が日々の農場運
営の中で実施すべき農産物の安全性や労働安全の向上を含めた、持続 可能性の高い環境保全型農業を実践しているかを判断する明確な物差しがこれまで以上に求められています。そのチェック項目を 定めたグローバルG.A.P.
は、ヨーロッパを中心に世界110カ国以上で実践されている適正農業規範の世界標準です。世界 の農作物市場、特に欧州の大手小売業者においては、グローバルG.A.P.認 証の取得が農業生産者に対する取引条件となっており、その傾向は日本国内の大手小売業者においても受け入れられ始めています。
また、農薬や化学肥料を使わない有機食品についても、食品安全を強く求める消費者の間でニーズが高まっていますが、その一 方で、「有機」と称する野菜が市場に氾濫し、「有機」の
定義があいまいになっていることで、有機農産物への信頼性が損なわれ ています。これを受けて定められた有機JAS規格は、品位、成分、性能等の品質を規定するJAS規格に基づき、有機農産物、 有機加工食品、有機飼料及び有
機畜産物の4品目を対象に定められた規格です。有機農産物や農産物加工食品に「有機」や「オー ガニック」と表示するには、「有機JASマーク」の貼付が必要となり、正規の 基準を満たす有機農作物や加工食品などを手に入れたい消費者の需要に応えることができます。
今回の業務提携により、生産者は、GFSI承認規格の一つであるグローバルG.A.P.認証による「安全」と、JAS規格 の一つである有機JAS規格による「品質」の認証審査を同時に受けられ るようになります。OCOは、欧州委員会規則における 「第三国リスト」において日本の認定機関として認められており、OCOで有機JAS認定を取得している事業者の場合、新たに EU認定を取得する事なく、EU域内へ有機 製品として輸出する事ができます。 輸出する際にはOCOが発行するEU向けの検 査証明書が必要となります。
OCO代表取締役、東端 國男氏は、今回のテュフズードジャパンとの業務提供に至った経緯と、今後の展望について次のように述べています。
「グローバルG.A.P認証の食品安全、 有機JAS認定の市場での優位性のコラボレーションが、今後TPP参加や輸出促進といった大きな変化に直面される生産者の皆 さんにとって重要なメリットとなることを確 信しています。ぜひ両規格での認証取得をご検討いただきたいと思います。」
テュフズードジャパン株式会社 マネジメントサービス部、西浦 正佳部長は次のように述べています。
「今回、有機JASとグローバルG.A.Pという、国内でも認められた農産物規格の認証業務提携により、両規格の認証を取 得される顧客の利便性を図るとともに、安全性と品質を兼ね備え た農産物への市場や消費者のニーズに応えるための一翼を担えれ ばと思います。」
TU"V SU"D Japan Ltd. : テュフズードジャパン株式会社
ドイツに本社を置く第三者認証機関テュフズードグループの日本法人。テュフズードは、現在世界800以上の拠点にて(アジ ア・パシフィック地域は80以上)、18,800人に上る専門家を擁して おり、認証、試験、コンサルティング、トレーニング (CTCT)ビジネスを展開しております。専門性の高いエンジニアによるきめ細かなサポートを通じて、各企業、団体のニーズ に合わせた付加価値の高いサービ スを提供しています。テュフズードジャパンでは、現在、次の8つの部門において事業を展開しています。
1)電気・電子機器、2)鉄道、3)機能安全、4)EMC/テレコム、5)マネジメントシステム & 食品安全、6)オートモーティブ、7)スマートカード、8)医療機器。
また、各種セミナー、トレーニングも多数実施しております。詳細はこちらをご覧ください。 http://www.tuv-sud.jp
http://www.nikkan.co.jp/newrls/rls20130709o-13.html

<秋田書店>不正訴えた女性社員を解雇

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コープ和泉府中(生協)の幹部らも、会員の出資金を勝手に使っていて、社員2日に不正を訴えられたら、その社員を解雇した。
社員2人は、解雇撤回を求めて提訴したが裁判で負けたらしい。
正しい者が損をする国であってはならないと思う。日本はお隣の国みたいな国じゃないんだから。秋田書店も、他人に罪をなすりつけて解雇するなんてひどい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<秋田書店>不正訴えた女性社員を解雇 撤回求め提訴へ
毎日新聞 8月21日(水)15時2分配信
実際にプレゼントされる景品の数より多い数が表示されていた漫画雑誌「ミステリーボニータ」とそのプレゼント欄=東海林智撮影
秋田書店が漫画雑誌の読者プレゼントで景品数を水増し掲載していた問題で、社内で不正をやめるよう訴えた景品担当の女性社員(28)が「プレゼントを窃取した」などとして懲戒解雇されていたことが20日分かった。女性側は「罪をなすりつけられた」と主張。「組織的不正」として景品表示法違反(有利誤認)で秋田書店に措置命令を出した消費者庁の調査で主張が裏付けられた形となり、解雇撤回を求めて提訴する考えだ。【東海林智】
【担当の元女性社員が証言】「読者に申し訳ない思いで、本当に嫌だった」
女性の説明や加盟する労働組合「首都圏青年ユニオン」などによると、女性は不正のあった雑誌でプレゼント担当を4年以上務めていた。
担当になった際の引き継ぎで不正を知り「一つの商品しかないのに、当選人数を10人にするのはおかしい」などと上司に訴えたが、「会社にいたかったら文句を言わずに黙って仕事をしろ」と言われたという。
女性は不正を続けているうちに睡眠障害や適応障害を発症、2011年9月から休職していたが、12年2月29日に「多数の読者にプレゼントを発送せず、不法に窃取した」と書かれた解雇通知書が送られてきた。
女性やユニオンは仕事を理由とした病気の発症で休職中に解雇するのは無効と主張。窃取と指摘された点について「会社の指示で当選者の数に満たないプレゼントしか準備されていなかった」としている。
ユニオンの神部紅事務局次長は「不正を強制しながら、罪をなすりつけて懲戒解雇したのは許せない」と話す。女性は「不正をやめるべきだと何度も訴えた。消費者庁に不正を指摘され、会社も認めたのだから、解雇を撤回して謝罪すべきだ」と訴えている。
秋田書店は「解雇と不正は別問題だと考えるため、コメントは差し控える」と話している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130821-00000059-mai-soci
消費者庁:読者プレゼント数水増し 秋田書店に措置命令
毎日新聞 2013年08月20日 19時27分(最終更新 08月20日 21時47分)
実際にプレゼントされる賞品の数より多い数が表示されていた漫画雑誌「ミステリーボニータ」とそのプレゼント欄=東海林智撮影
実際にプレゼントされる賞品の数より多い数が表示されていた漫画雑誌「ミステリーボニータ」とそのプレゼント欄=東海林智撮影
マンガ雑誌の読者プレゼントで当選者数を実際より多く表示していたとして、消費者庁は20日、出版社の秋田書店(東京都千代田区)に、景品表示法違反(有利誤認)に基づく措置命令を出した。読者プレゼントの水増しへの措置命令は初めて。
不当表示があったのは、少女マンガ月刊誌の「ミステリーボニータ」(3万2000部)と、「プリンセス」(2万部)、「プリンセスGOLD」(3万5000部)。2010年6月号から12年5月号にかけて、携帯型DVDプレーヤーやテレビゲーム機、商品券(1万円分)などの景品について、それぞれ1?50人の当選者が出ると記載しながら実際はそれより少ない数しか発送せず、当選者が全くいなかった景品もあった。また、当選者を発表した号では、不当表示が発覚しないよう架空の名前を雑誌に掲載していた。
同社の関係者によると、内部告発を受けた社内調査で同社が事実関係を把握し、不当表示を中止した模様だ。水増しの理由について同社は「近年、メーカーから景品の無償提供を受けられなくなり、経費削減のためやった」と消費者庁に説明している。
同社は同日、秋田貞美社長名で「読者や関係者に深くおわびし、再発防止に取り組む」などとする謝罪文を公表したが、関与した社員への処分や経営陣の責任については「コメントできない」としている。
措置命令は、消費者庁が景表法に違反して消費者が誤解するような不当表示などをした業者に、その行為の撤回や再発防止を命じる行政処分。命令に従わない場合、命令を受けた法人には3億円以下の罰金、その代表者には2年以下の懲役または300万円以下の罰金が科される。【太田圭介】
http://mainichi.jp/select/news/20130821k0000m040031000c.html

北朝鮮で強制収容所の囚人1万5000人が消えたとの情報

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北朝鮮で強制収容所の囚人1万5000人が消えたとの情報
2013.08.19 16:00
核実験やミサイル発射実験で国際社会を挑発し、その後交渉に転じて譲歩を引き出そうとする金正恩第一書記。だが、その手法は限界に達している。すでに金正恩体制崩壊の予兆とも言える異変が生じている。『北朝鮮はどんなふうに崩壊するのか』(小学館101新書)を上梓したジャーナリスト・惠谷(えや)治氏が、リポートする。
* * *
北朝鮮では政治犯の強制収容所のことを「管理所」と呼ぶ。咸鏡北道会寧市にある「22号管理所」は、JR山手線の内側の3倍の面積という広大な敷地で、ごく最近まで1万5000人ほどが収容されていたとされる。
ところが、今年に入ってこの収容所から「囚人が消えた」という情報が流れているのだ。消えた囚人たちは各種軍事施設の建設に動員された、細菌兵器や化学兵器の生体実験に使われた、といった噂もあるが、真相は今のところ不明である。
いずれにせよ、金正恩が自らの欲望を満たし、繁栄を偽装するために、この収容所を解体したものと考えられる。
北朝鮮の強制収容所廃絶運動を続ける国際団体「NO FENCE」の宋允復(ソンユンボク)・事務局 長は、私にこう語った。
「22号管理所の保衛員の親族から得られた情報では、2010年頃から当局による22号管理所からの食糧の持ち出しが頻繁になり、囚人が大量に餓死していたといいます。金正恩は平壌のマンション群や遊園地、水族館の建設など大型プロジェクトに多大な浪費をしている間、その埋め合わせのために、強制収容所からさらに収奪を進めたと考えられます」
※SAPIO2013年9月号
http://www.news-postseven.com/archives/20130819_205317.html
かわいそうに、、、。
本当は22号管理所の囚人が食べるはずの食料を当局に横取りされて
全員餓死したんだよ。1万5000人も死んだんだよ!

ロシア政治経済ジャーナル No.959

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聖書の預言によると
ロシアとチュウゴク(ゴグとマゴグ)は
最後まで一緒に行動していますけどね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
ロシア政治経済ジャーナル No.959
2013/8/22
★世界3大戦略家が語る、「中国包囲網」と日本の役割
全世界のRPE読者の皆さま、こんにちは!
北野です。
ここ数日間、私の脳は、喜びに満ちていました。
なぜでしょうか?
私は08年9月はじめ、「隷属国家日本の岐路」という本を
ダイヤモンド社から出しています。
副題は、「今度は中国の天領になるのか?」です。
●隷属国家日本の岐路
(詳細は → http://tinyurl.com/6zcszc )
この本は出した直後に「リーマン・ショック」が起こったことから、
「タイミングがすごい!」と話題になりました。
内容はいろいろですが、超簡潔にいえば、
1、アメリカの没落は決定的
2、中国崩壊論が流行っているが、
この国はまだ成長期前期にあり、立ち直りははやい
3、よってアメリカは沈み、中国は浮上する
4、日本は、アメリカを捨て、中国に走るだろう
5、日本と中国は、「尖閣諸島問題」から紛争に発展する
とまあ、こんな感じ。
その後の展開は、皆さんもご存知のとおりです。
日本では、鳩山さん、小沢さんが、アメリカを捨て中国に走りました。
そして、2010年の尖閣中国漁船衝突事件、
2012年の尖閣国有化で、日中関係は
「いつ戦争が起こってもおかしくない」状態に。
実際、中国人の「90%」は日本との戦争を支持するという、
異常事態になっています。
つまり、少なくとも08~13年の5年間、私の心配事は、
「どうすれば、日本は巨大化する中国に併合されず、
自立をはたすことができるのか?」だったのです。
(もちろん、今もそのことを頻繁に考えます。)
そんなとき、前号でもお話しましたが、再臨の諸葛孔明、
日本一の地政学者・奥山真司先生から、
世界3大戦略家エドワード・ルトワックさんの
●自滅する中国
(詳細は→ http://tinyurl.com/l2f87d6 )
をプレゼントしていただいたのです。(奥山先生監訳)
この本は、日本人に「大いなる希望」をもたらす本です。
そこで、前号では、この本のほんの一部(しかしそれは重要な)
をご紹介させていただきました。↓
http://archive.mag2.com/0000012950/20130820145459000.html
★なぜ日本人には、アメリカの対中国政策が理解できないのか?
今回は、さらに重要な内容に触れておきます。
現在世界で自然に形成されつつある、「中国包囲網」。
日本は、どんな役割をはたすべきなのでしょうか?
▼なぜアメリカは「中国包囲網」を主導しないのか?
「中国包囲網」ときいて、「そもそもそんなのあるの?」
と思われる人もいるでしょう。
前号でも書いたように、「アメリカ財務省」「ウォール街」は、親中である。
それも一つの理由ですが、アメリカが目立たない原因は他にもあります。
これはルトワックさんが書いているわけではありませんが、
ブッシュの失敗により、アメリカ外交は変わったのです。
ブッシュ時代の外交は、いってみれば「一極外交」「力の外交」でした。
国連安保理で、常任理事国の3国、フランス、ロシア、中国が
反対だったにもかかわらず、イラク攻撃を断行した。
「一極支配」を継続させようとするブッシュの強気外交は、
世界の国々に危機感を植えつけた。
結局、それに反発した中国、ロシア、インドなどが一体化し、
「反米多極陣営」が形成されていきます。
そして、彼らの反発と抵抗が、08年の危機につながったのです。
(詳しくは、「世界一わかりやすいアメリカ没落の真実」(無料)
をご一読ください。↓
http://mailzou.com/get.php?R=48689&M=22753 )
オバマさんは、ブッシュの失敗を見て、方針を転換しました。
外交を重んじ、「汚れ役」を「他国にやらせる」ことにしたのです。
それで成功したのが、「リビア戦争」。
このとき、戦争を主導したのは、フランスとイギリスでした。
アメリカは、「イヤイヤ参戦」という形をとった。
その結果、リビア戦争でオバマやアメリカが
非難されることはありませんでした。
何はともあれ、アメリカは現在、「汚れ役は他国にやってもらう」
という方針をとっている。
そして、ルトワックさんによると、「中国包囲網形成」
を担当しているのが「オーストラリア」なのです。
▼「中国包囲網」、勝敗のカギを握る国●●●
皆さん、ちょっと立ち止まって、●●●をうめてみてください。
答えを書いたら、先に進みましょう。
ルトワックさんはいいます。
<米国のリーダーシップによる同盟は、単に実現の可能性が
低いだけでなく、非常に望ましくないものだ。
なぜならこれによって、ロシアを中国の陣営に追いやる可能性が高いからだ。
そしてそのようなロシアの行動が、決定的な結果をもたらすことにもなりかねない。>
(自滅する中国 138p)
なんということ!
アメリカ陣営が勝つか、中国陣営が勝つかは、
「ロシアがどっちにつくか?」で決まるというのです。
ロシアが中国包囲網に参加すれば、アメリカの勝ち。
ロシアが中国と組めば、中国の勝ち?
なんで???
▼中国包囲網、成功のカギ
次にロシアが登場するのは、「日本」のところです。
ルトワックさんは、「日本はこう動くべき」という提言もしています。
<日本が引き続き独立を保っていられるかどうかは、反中同盟
全体の強さに大きく左右されることになるからだ。>
(同上187~188p)
↑これも結構衝撃ですね。
反中同盟が形成されない、あるいは脆弱な場合、「日本は独立を保てない」
つまり、「中国に実質併合される可能性もある」といっているのです。
じゃあ、どうすれば、日本は勝てるのか?
<もちろん日本自身の決意とアメリカからの支持が最も重要な要素になるのだが、
ロシアがそこに参加してくれるのかどうかという点も極めて重要であり、
むしろそれが決定的なものになる可能性がある。>
(同上188p)
日本が中国に勝てるかどうかを決める要因は、
1、日本の決意
2、アメリカの支持
3、ロシアとの関係
だそうです。
しかも、ロシアとの関係は「決定的」要因である。
なぜ?
<なぜならそれはロシア自身だけでなく、その周辺のモンゴル
やカザフスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン
のような、ロシアが引き続き影響力をもっている国々も関係してくるからだ。>
(188p同上)
つまり、ロシアが「中国包囲網」に参加すれば、
中央アジアやモンゴルなど、多くの国がついてくるというのです。
これにつづいて、ルトワックさんは、決定的な話をしています。
つまり、中国がますます凶暴化し、これを抑える必要が出てきたとき、
日本を「ABCD包囲網」で封じこめたように、
「経済封鎖」「エネルギー供給停止」によって
中国に打撃を与えることができるというのです。
しかし、この「経済封鎖」が成功するかも、「ロシア」にかかっている。
<必要となる原料がロシアやその臣下となる国々から提供されれば、
海上貿易が中断されても中国はそれほど影響を受けないはずだ。>
(同上189p)
わかりやすい例を。
たとえば、アメリカと「反中同盟国」が
中東から中国への資源の流れをカットできたとしましょう。
しかし、陸続きのロシアやカザフスタンから原油、天然ガスが
供給されれば、「壊滅的打撃」にはなりませんね。
<その反対に、ロシアとその同盟国たちが、米国や日本、
オーストラリアなどと共に貿易中止の輪に加わることになれば、
中国は対抗するのが極めて困難な反中同盟に
完全に包囲されることになる。>(同上)
アメリカと反中同盟国が、たとえば中東→中国への
資源のながれをとめることに成功した。
中国は、陸続きのロシアや中央アジアから資源を買おうとする。
しかし、ロシアも中央アジア諸国も、「資源は売りません」と拒否した。
こうなれば、第2次大戦時の日本のように、
中国は「エネルギー不足で崩壊する」というのです。
昔からの読者さんは、「どっかで聞いて話だな」と思われるでしょう。
そう、同じ話をRPEでは、大昔からしている。
たとえば「隷属国家日本の岐路」にはこうあります。
<中ロを分断する。
これは中国の脅威を減じるにあたって決定的意味を持ちます。
中国の最新兵器は全てロシアからの輸入なのです。
そして、アメリカが中東を抑えれば、中国は陸続きのロシアから
石油・ガスを買うしか道がなくなる。
中東、ロシア、中央アジアを抑えれば、
中国は戦争をする燃料がなくなるということ。>
▼日本の役割
というわけで、ルトワックさんは、
「ロシアが米中覇権争奪戦のカギを握っている」
ことを見抜いている。
「じゃあ、アメリカがロシアと和解すればいいじゃん!」
と思うのですが、「それは難しい」といいます。
<特にロシアが今と同じような全体主義体制を維持し続けるのであれば、
米国とその同盟諸国に大きな難題を残すことになるのは確実である。
これにより、あらゆる形の協力関係が非常に難しいものになる。>
(190p)
つまり、アメリカがロシアを懐柔するのは非常に困難だといっている。
実際、アメリカとロシアの関係は、プーチンの復活により、
ますます険悪になっています。
伝統的な対立、たとえば、「イラン問題」「シリア問題」「東欧MD問題」
から、最近では、「スノーデン問題」「同性愛者問題」などなど。
(「ロシア正教」「イスラム」の力が強いロシアでは、
「同性愛者」同士の結婚、養子に絶対反対の立場。
一方で、オバマさんは、「同性愛者」の熱心な保護者。
それで、オバマは、プーチンを嫌悪していると伝えられる。)
ここで日本が登場します。
ルトワックさんは、
「日本は、アメリカのかわりにロシアと仲良くし、
この国を『中国包囲網』に引きずりこんでくれよ!」と主張している。
どうやって?
<ロシアおよびモンゴルとの協力は、
日本にとってそれほど複雑なものとはならないはずだ。
なぜなら、その内容のほとんどが経済的なもので、
商業的な採算が取れる活動に限られるからであり、
両国政府には友好的な態度以外には何も必要ないからである。>
(190p)
もっと具体的な話として、ロシア極東には
人口が600万人しかいないことに触れています。
(そして、東北3省には日本の人口に匹敵する1億2000万人の中国
人がいる。)
この人口比が、ロシアの脅威になっている。
<中国人の投資家、管理者、そして技術者の代わりに、
脅威の少ない遠く離れた国々から外国人がきて、
中国のプレゼンスと拡大を弱めてくれた方がはるかにマシだということになる。>
(191p)
そして、ルトワックさんは、「日本の役割」について、こう断言します。
<日本はロシアを反中国同盟に参加させることに関しては、
他のどの国よりもはるかに多くのカードをもっている。>(191p)
▼まとめ
長くなりましたので、まとめておきましょう。
1、アメリカは表立って「中国包囲網」を形成しない。
その理由は、ロシアを中国側につかせないためである
2、米中覇権争奪戦、および日本の独立を守るカギを握るのは
ロシアである
3、中国と「反中国」の争いが起こったとき、
「反中国」は「海上貿易」をとめることができる
4、しかし、中国は陸続きのロシア、中央アジアからエネルギー
供給を受けることができ、「包囲網」は不完全である
5、逆にロシア(と中央アジア)が反中同盟に参加すれば、
中国は海と陸からエネルギー供給を受けることができなくなり、
壊滅的打撃をうける
6、ロシアの動向は決定的に重要だが、
アメリカとロシアの仲は険悪。
アメリカがロシアを「反中同盟」に誘うことは困難である
7、日本は、ロシアを「反中同盟」に引き入れるカードを
一番多くもつ国である
8、日本は、極東への投資を増やし、
ロシアの対中脅威を減ずることで、ロシアを味方につけることができる
9、日本の役割は、ロシアを「中国包囲網」にひきずりこむことである
とまあ、こんな感じです。
ルトワックさんの話、前々からRPEで書いていることと似ている
なと思われる方も多いでしょう。
しかし、「世界3大戦略家」の話は、「影響力」が全然違います。
というわけで、今回の話、日本がサバイバルするために、
どんどん拡散していただければうれしいです。
ちなみに
●自滅する中国
(詳細は→ http://tinyurl.com/l2f87d6 )
は、日本人にとって本当に「希望の書」ですので、迷わずご一読ください。
そして、政治家さんの友人、知人がいる方は、どんどんご紹介ください。
また、中国に進出している会社の社長さんにも、どんどん読んでもらったらいいですね。
(転載おわり)
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