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Channel: 日本のお姉さん
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lex*s*90909*(lex...)さん.

旅行に一緒に連れていきたいという考えは、飼い主の勝手なエゴ。
高くてもお金を払って獣医やペットホテルに預けるのが飼い主としての責任。
2013/8/13(火) 22:44大ちゃん(shu...)さん.
.
〉「生き物を運搬するなら細心の注意を払うべき」
あくまで荷物の延長。荷物は空調の無い荷室だがペットは空調の効いた荷室。だから¥5000必要。カウンターから航空機の間にこれ以上の事を望むなら、それなりの人件費がかかるわけだから、当然人間並みの運賃が必要になるでしょう。
「有料ならもうちょっと何か対応あってもいい気がするわ」といった疑問の声が出ていた。
だから、空調の効いた荷室で運んでくれる。
可愛いからと安易に考え過ぎ。
生き物を飼うには、それがどういう物なのか考えて飼い、常に日常と違う事をするときには一つ一つ考えながら行動しないと。
このペットの事を真剣に考えていたなら、予測はできたはず。
このくそ暑い夏なんだから。
生き物を飼うという事はそういうこと!
2013/8/13(火) 23:32日本に特亜は必要ない(it_...)さん.

他人がペットを、飼い主と同じように人間扱いしてくれると思うのは間違い。もし犬が本当に好きならば.犬には耐えきれないであろう旅行は我慢するぐらいの気持ちは必要。
2013/8/14(水) 0:51rag*d*_r*neko(rag...)さん.

弱い種類のチワワ連れて行きますかね…。
ペットホテルは可哀想、ペットシッターじゃ一匹でお留守番は可哀想と思うなら誰か一人残ればいい事。ペットを飼うという事は自分達も制限される事があるということ理解しないと。
ぬいぐるみじゃ無いんですよ。
2013/8/14(水) 1:37ミズミ(ran...)さん.
.というか、大事なペットが死にそうになってるのに
悠長にツイートしてんのか。
2013/8/13(火) 22:06bfh*q*57(bfh...)さん.

ガキのわがままで付き合わされたチワワがかわいそう
2013/8/13(火) 22:22浅草野郎(asa...)さん.
.
ウチにも犬いるけど
基本的に車で行けない所はNGだな
2013/8/13(火) 23:01にゃにゃにゃ299(nya...)さん.

この暑い時期、とくに今年は異常な暑さだし。
熱中症だとするとかなり苦しかったんだろうかと思うと、
かわいそうに。。。
ペットと一緒に旅行するなら、特に飛行機なんて利用すべきじゃないと思う。
2013/8/14(水) 2:13soresorehorehore(sor...)さん.

飛行機に乗せる前、ちゃんと獣医さんに相談しましたか?
チワワは、飛行機の荷物室に乗せると、不安と騒音で興奮して死んでしまう事が多いようです。
以前、うちで引越しのためにチワワを飛行機に乗せた時は、精神安定剤を獣医さんが飲ませてくれましたよ。
飛行機に乗る直前は、チワワの目がすわってラリってましたけど、おかげで飛行機でも無事でした。
そういうことをしないで、連れて行ったんでしょうか?
ちょっとした旅行にも連れまわすとか、安易過ぎたのでは?
2013/8/13(火) 22:56年中くりすます(mai...)さん.

チワワを飼っていた者として言わせてもらうと、あれだけ小さな身体なのだから
空輸はきつい。一緒に連れて行って思い出作りたい気持ちもわかるが、せめて
この時期を外してほしかったですね。
地方のブリーダーが空輸でワンちゃんを輸送したりもしてますが、私のお世話に
なっているブリーダーさんはさすがにこのような時期は外します。
2013/8/14(水) 1:15ppa*a*ap*radi*e(ppa...)さん.
全日空のペットサービス
◆毎年7月1日~9月30日の間、ブルドッグなどの短頭種犬はお預かりできません。
なお、上記期間以外でも気温が高い時期のお預かりは、ペットの健康状態に影響を与える恐れがありますのでご留意ください。
ちゃんと注意もうながしてる!
全日空も対応はしてると言えるのでは?
2013/8/13(火) 21:08nat(nat...)さん.

灼熱地獄を経なければいけないことをキチンと説明すべきかも
2013/8/13(火) 22:20イカ~の~♪(do_...)さん.
.
飼い主が悪い!はい終了。
2013/8/13(火) 22:18ヨピ(yop...)さん.

いくら大事なペットも飛行機に載せたら貨物。ご遺体も飛行機に載せると貨物として扱われます。
2013/8/13(火) 23:57atpkdmxhpdm(atp...)さん.

海外などへの引っ越しなら、空輸も仕方ないが、ペットを旅行に連れていくなら、最低限、車でいける範囲内にするべき。それが出来ないなら、ペットホテルなりに預けるのも、飼い主としてペットを守る方法。
ペットを離島への旅行に連れていくという判断が、一番最初の、飼い主としての判断ミス。残酷だが、連れていかないという判断をしていれば、何事も無く守れた命だ。
全ては、自分の判断で守れたんだよ。そこは、飼い主自身が、飼い主として真摯に受け止めなきゃならん。
2013/8/13(火) 22:42GKM(ta7...)さん.

ANAでは家族の一員であるペットとのご旅行をお手伝いするため
「ペットらくのりサービス」を提供しています。
このサービスのうたい文句。
これだけを見ると死亡させたのはサービス不良ともいえるのだが・・・
預ける際には死亡した場合にも文句は一切言わないという同意書を交わしている。
亡くした飼い主の気持ちはわかるが・・・
機器の故障など航空機側に落ち度が無いのであるならば同意している以上
騒がないほうがいい気がする。
2013/8/13(火) 22:21tom*no*p*geonb*oo*_r_*526(tom...)さん.

普通はペットホテルに預けついでにトリミングとかじゃないの? 人間の価値観をペットに当てはめるな! バカ飼い主!
2013/8/14(水) 10:06taro201308(tar...)さん.

飼い主さんからしたら犬は家族だし、
だからこそ旅行にも連れていきたかったのだろうとは思う。
(行き先は離島といってもリゾートではなく祖母の家だったらしい)
でも、この15歳の子が、全日空との手続き中にツイッターでつぶやきはじめて
「みなさんANAに復讐するため協力してください【拡散希望】」って発信したこと。目の前で犬が死んでるのに、ショックや悲しみが犬じゃなくてツイッターに向かうっていう精神が異常だと思った。
2013/8/14(水) 4:51不死身の雑魚(rik...)さん.

目の前でペットが死にそうだってのに、よくツイッターなんかで実況できるな。
離島まで行くほどの旅行だったら、ペットホテルに預けた方が良かっただろ。俺も犬飼ってるが、荷物扱いされる飛行機に乗せようなんて思わないね。旅行は車で行ける範囲で、犬と同乗。これが安心。
2013/8/13(火) 21:18ニホンピロ(cgg...)さん.
ショックだろうね
家もチワワいるから分かるぞ
ポポちゃんのご冥福をお祈りします。
過失は確かにないと思う
kazya(spn...)さん.
親は今回の件、どう思ってるんだろう。本音がききたい
2013/8/14(水) 1:41kok*ro*i11(kok...)さん.
ペットを取り扱う仕事をしている立場として言うと、
こういうバカな客がいるために、ペットの空輸がどんどん規制されていて仕事がしにくくなっています。
そもそも搭乗前に、危険性についての説明と同意書へのサインをしているから載せているのであって、特にこの時期は、機内は空調が効いているものの、ペットの種類・体調によっては死亡することがありますと伝えられたはずです。
私は、仕事上犬を各地に運ぶことがありますが(航空機・車等々)夏場は暑さ対策をするし、冬場はホッカイロを入れ物に貼り付けたりと、大人の犬でもきちんと対策をとっています。
ましてや旅行に行くのに連れて行くとか・・きちんと管理してくれるペットホテルに預けるのが基本なのにと思ってしまいますね・・
2013/8/14(水) 6:39tar*o*krap(tar...)さん.

犬が一番の被害者。
チワワが南の島に行きたいわけないやろ。
2013/8/14(水) 1:44white_board(gnl...)さん.
>ANAに復讐したいのでRTお願いしますっていうツイートに嫌悪感。
これ、結果的に多くに広まったということではなく
積極的に意図的にこの件を広めようとしているので
動物愛護者のお花畑野郎に世の中常識を教えてやるために
ANAは威力業務妨害でこの家族を逆に訴えろ。
2013/8/13(火) 21:48ban*e*sy*uki(ban...)さん.
一緒に乗った他の動物はどうなんですか?
これだけを取り上げられててもな。
もっと深く書けよ。
2013/8/14(水) 0:34納豆アイス(unp...)さん.
うちの家では、
犬を飼っていた13年間
一度も家族旅行はしませんでした。
犬の事がとても大切だったので。
2013/8/14(水) 0:37jfi*ji7*(jfi...)さん.
人間だって死ぬ暑さなんだぜ。
愛玩動物なんざなおさらだろう。
ベットは大事だ、家族だ、なんて言いつつ、実は飼い主がペットの命に対してあまりにも無頓着なんだよ。
ちょっとまわりを見渡してみろよ。
この暑い中、犬を散歩しているバカがいるぜ?
犬がどれだけ厚さが苦手か考えたことあるかよ。
しょせんはそんなモンなの。実はなにも考えてねえの。
今回の事故も、そういう無思考の延長で起こったの。
それだけなんだよ。
他人がすべてやってくれて当然、他人が護ってくれて当然。完璧なものばかり他人に任せ、最初から何かあれば他人の責任にすればいいと思っている。
だからこういう人たち、大人も子供も含めて、が増える。
これからも増えると思うと、なんか怖いね。
2013/8/14(水) 0:35ppa*a*ap*radi*e(ppa...)さん.
>「有料ならもうちょっと何か対応あってもいい気がするわ」
だったら、自分の気持ちを言えない動物のために、専門の獣医でもつけ、サービス料10万とか取ればいいのだろうか?
動物には気をつけていても、たかだか5,000円で、万全のサービスなどありえない!
自家用車でいけるところだけに行ってくれ!!
2013/8/14(水) 3:58tama(tam...)さん.
15歳にしてモンスターペアレント予備軍。
気持ちは解るが大人の世界に入ると納得できないことがもっと出てくる。
2013/8/13(火) 22:27nom*3ra*(nom...)さん.
ブルドッグ(佐賀生まれで羽田空港で受け取った)を飼ってるがANA、JALでは鼻の短い犬(ブル、フレンチブル、パグ等)は体温調節が苦手なので5~10月は預からないと言われた
2013/8/14(水) 1:52kok*ro*i11(kok...)さん.
ANAもJALもきちんと空調など対応してますよ。
貨物といっても、航空機内も空調が効いているし、載せる直前までエアコンの効いた場所で管理してあります。
空調がないのは、貨物の積み込み時のみで、通常は数分のはずです。
ただ、狭い環境(クレート)乗りなれていない乗り物(航空機)という特殊な環境なため、興奮して体温が上がり熱中症のような状態になってしまう犬は結構います。
短鼻の犬は特にこのような状態になりやすいので、航空会社は暑い時期は預からないようにしていますし、今まで数百等の犬を(子犬も大人の犬も)運んだ経験からしても一頭も亡くなったことはありません。
航空会社を攻めるのは完全に間違いだと思いますけどね。
2013/8/13(火) 22:21くまモンVS.バリィさん(kum...)さん.
ペット運搬するなら、全日空は万全の体勢を整えておくべきだったが、契約書を書かせてるからねー。
個人的には、どこへでもペットを連れていく人は好きじゃないが。
2013/8/14(水) 1:54khg*ff*t(khg...)さん.
フェリーにすれば、ペットルームで自分でお世話できるのに。
飛行機はこの時期怖くて乗せられないよ。荷物と一緒なんてヤダ。
2013/8/13(火) 21:26japan_civil_defense_Force(jap...)さん.
ペットを人間同様に扱うこと自体が間違い
ペットは法律上、物扱いであり
人格は認められていない
ペットマニアがカルト化していると考えられる
2013/8/13(火) 23:31I HATE KOREA(may...)さん.
そうまでして動物を旅行に連れていきたいかね。
2013/8/14(水) 3:37まいける(cal...)さん.
飛行機は犬が乗る目的で作られていないし、ペットは所詮『物』
家族の一員ならもっと自分で考えてやれよ
大体死んでも責任取れませんって念書書いたんだろ?仮に我が子ならそれで乗せるか?
家族の一員と言いつつ、「ま、なんとかなるやろ」的ないい加減さ
この子にとって世の中全て思い通りになるわけでないと学べて良かったね
2013/8/13(火) 22:54meg*rok*me*an(meg...)さん.
羽田から1時間位の離島だと船便もある様な気がする。
2013/8/13(火) 22:48taghood(irv...)さん.
超小型犬は、人間が無理やり小さく作り上げた動物だから、
簡単に死ぬ。
豆柴や、ティーカッププードル、があっという間に死んだり、
ちょっと甘い菓子たべたら、糖尿になった話は、聞いた。
2013/8/14(水) 4:15new*g*nera*io*0352(new...)さん.
犬にもよりますよ 熱いのになれてる犬とそうでない犬
乗る前に獣医に確認しとくんだったな
犬は確かに家族ですよ でも法的には 物扱いです
家族であるなら 離島に行く手段を飛行機ではなく 他の手段を見つけるのが適当です
飛行機は気圧の変化もうけます 人間の耳がキーンとなるようにペットにも起こりえます
ペット同伴でいくときは飛行機はやめましょう 以上
2013/8/14(水) 1:08ppa*a*ap*radi*e(ppa...)さん.
乗せろってうるさいんで運びます。
荷物よりは大事に扱うけど、それ以上は期待しないでね。
って意味での5,000円と受け止めるべきでしょう!
ホントにペットが大事なら、飛行機を使うべきじゃない!!

ストーン監督。日本がどれだけ反省してきたのか、何か知っているのかね?

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ストーン監督は映画だけ作っていたらいいわ。
日本が今までおとなしく、チュウゴクや韓国の言いなりになってご奉仕やらODAやらいろいろ手を尽くしてきたことを何一つ知らなことが丸わかりの発言だよ。
チュウゴクと韓国は、日本が何をしても、満足しないどころか、よけい凶暴になってきたんだよ。
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ストーン監督「被爆者証言、心動かされた」 長崎で交流
朝日新聞デジタル 8月12日(月)18時41分配信
被爆者の象徴的存在で7月に亡くなった山口仙二さんの写真に見入るオリバー・ストーン氏=7日、長崎市の長崎原爆資料館
【佐々木亮】米国の原爆投下や戦争に批判的な作品で知られる米映画監督のオリバー・ストーン氏(66)が、広島に続いて長崎を初めて訪問した。7~10日に滞在し、被爆者の言葉に耳を傾け、核兵器廃絶を訴える市民と交流した。
【写真】長崎原爆被災者協議会の谷口稜曄会長(左)に著作を贈るオリバー・ストーン氏=7日、長崎市松山町
長崎原爆資料館では、被爆者運動のリーダーで7月に亡くなった山口仙二さんのケロイドの写真、被爆者の遺品、長崎型原爆「ファットマン」の模型などに興味深そうに見入った。「視覚的でいい展示だ」と評価した一方、米国との戦争に至る日本の侵略戦争については「表現を抑えているように思う」と話した。
長崎原爆被災者協議会では、長崎を訪問中の各国の学生とともに谷口稜曄(すみてる)会長(84)の証言を聴いた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130812-00000038-asahi-soci
<O・ストーン氏>「原爆投下の正当性、米がつくった神話」
毎日新聞 8月12日(月)10時46分配信
広島や長崎での印象を語るオリバー・ストーン監督=東京都千代田区の日本プレスセンタービル内「ALASKA」で2013年8月11日、明珍美紀撮影
来日中の米国のオリバー・ストーン監督が11日、東京で開かれた「新外交イニシアティブ」設立記念パーティーに招かれ、東京大の藤原帰一教授やアメリカン大のピーター・カズニック准教授らと講演した。
被爆地の広島と長崎を初めて訪れたストーン監督は「『黒い雨』や放射能による長い健康被害、その後の社会的な差別を知ることができた」と話し、原爆投下の正当性を「米国がつくり出した神話だ」と否定した。また「米国の学生も広島や長崎の資料館を訪れ、核問題を学ぶべきだ」と言い、原爆の被害や戦争の歴史を語り伝えていくことは「文明の証しだ」と強調した。一方、日本政府に対して、過去の戦争責任や歴史認識の問題に「誠実に向き合っているのか」と問題提起した。
新外交イニシアティブは、米国や東アジアとの外交に「多様な声を届けよう」と弁護士の猿田佐世さんや藤原教授ら有志が結成したシンクタンク。【明珍美紀】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130812-00000010-mai-soci
オリバー・ストーンの広島・長崎訪問は、オバマ「献花」への布石になるか?
ニューズウィーク日本版 8月7日(水)18時32分配信
オリバー・ストーン監督という人は、自身のベトナム戦争での体験から反戦的な映画を多く制作するだけでなく、その延長上で「アメリカに対する自己反省」という「史観」を幅広く表明する活動をしています。この「自己反省」という態度は、相当に強めに一貫していて、例えばアメリカの軍事的な活動によるアジアへの「加害」という問題に加えて、中南米に対するアメリカの影響力に関する「反省」も様々な形で表現することで有名です。
ですから、今回そのオリバー・ストーン監督が広島を訪問し、引き続いて長崎、そして沖縄を訪問するというニュースはそれ自体は驚くような問題ではありません。彼としては本気であると思われるし、彼の思想に照らしてみれば一貫しているからです。
ですが、全く注目に値しないわけではありません。というのは、広島、長崎、沖縄というのは日米関係に取って重要な問題であり、特に広島・長崎に関しては「もしかしたら」オバマ大統領が任期中に「献花」に来るかもしれないわけです。キャロライン・ケネディ次期大使指名という人事も含めて、条件は少しずつ実現に向かっていると思います。
もしかしたらオバマが来るかもしれない、キャロライン・ケネディが「自分の大使としての功績」にしようと取り組む意志があるかもしれない、という政治的文脈を考えると、「オリバー・ストーンが来た」というのは、その「露払い」的な意味合いが出てきます。
どうして「露払い」が必要なのかというと、オバマが仮に現職の合衆国大統領として広島・長崎献花をする場合、アメリカ国内の一部から強い反対を覚悟しなくてはならないからです。
この「アメリカが原爆投下に対して謝罪をしてはならない」というグループは大きく分けて二種に分けることができます。
一つは、アメリカの軍事的覇権を強く支持する保守派です。「強いアメリカ」は「決して謝ってはいけない」という姿勢がまずあり、核兵器の抑止力を維持するには、核兵器の効果ということが前提としてあり、そのためにも人類の歴史の中で2回だけある使用例を否定すべきではないというロジックがこれに重なっています。
もう1つは、第2次大戦の集結局面において、戦術上正当だったという考え方です。日本側が公式に「最後の一兵まで本土決戦で戦う」と内外に宣言していた以上、日米の壮絶な殺戮合戦を回避するためには核攻撃は必要であったという立場がまずあり、これに韓国系や中国系などによる「アジア解放のための最後の一撃として正当」という史観が重なっています。
この2つのグループは分けて考えることができます。まず、前者の方は2001年以降にブッシュのアフガン戦争やイラク戦争を支持した「草の根保守」の層に重なってきます。彼等はオリバー・ストーンのことは大嫌いです。「金持ちのリベラルが反米的な映画を作って自己満足している」というのには心から反発している、その典型的な例として、マイケル・ムーアなどと並んでオリバー・ストーンは反発の対象になっています。ストーンの今回の行動は、この層を説得することは余り考えていないと見るべきでしょう。
一方で、第2次大戦の連合国の正当性をベースにした「広島・長崎での献花反対派」というのは、基本的には民主党カルチャーが背景になっています。他でもない第二次大戦を戦ったのも、戦後に日本の占領政策を遂行したのも民主党ですし、アジア系のアメリカ人の多くもこちらに属します。オリバー・ストーンは基本的にはこのグループには近い思想的立ち位置を確保しています。そのストーンが、広島・長崎に行って米国による核攻撃を「反省」するというのは、このグループへの影響力をある程度計算したものと思われます。
では、このままオリバー・ストーンの広島・長崎訪問と、米国の核攻撃への「反省」を含む言動が、アメリカ国内で大きな反発を受けずに行けば、オバマは残りの任期内に広島・長崎に来るのでしょうか?
そう簡単にはいかないと思います。外交というものには、たとえ友好国でも、同盟国でも、対等性の確保というのが絶対の原則として伴ってくるのです。オバマが広島・長崎に来るためには、まず安倍首相がハワイ、オアフ島の真珠湾にある「アリゾナ記念館」に赴いて献花を行うということが必要だと思います。
どうして安倍首相が先になるのかというと、戦史の順番として、まず真珠湾があって太平洋での戦争が始まり、広島・長崎で実質的に集結に至ったという「時間的な順序」があるからです。また、それ以上に「安倍首相のアリゾナ献花」よりも「オバマの広島・長崎献花」の方が、自国の国内における反発が厳しいだろうということがあります。そのためにも、安倍首相が先にアリゾナに行った方がストーリー的には成立しやすくなります。
いずれにしても、今回のオリバー・ストーンの行動に続いて、退任間近のルース駐日大使は今年も広島と長崎の慰霊祭に参加することと思います。思えば、この問題に関して、ルース大使は在任期間中に、本当に丁寧に被爆都市とのコミュニケーションに努め、貴重な布石を打ち続けてきました。その努力が、退任後になるとは思われますが、何とか実ることを祈りたいと思います。
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冷泉彰彦(作家・ジャーナリスト)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130807-00010001-newsweek-int
原発投下は不要だった?ストーン監督の米国タブー破りから透ける、米国内の謝罪不要論
Business Journal 8月15日(木)3時26分配信
『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』(早川書房/オリバー・ストーン、ピーター・カズニック)より
8月に入り、8月15日の終戦記念日が近づくにつれ、「広島・長崎への原爆投下は必要なかった」と訴えている米国の社会派映画監督、オリバー・ストーン氏の活動を各メディアが連日取り上げている。
ストーン氏は2012年、米国の現代史を捉え直すテレビドキュメンタリーシリーズ『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を制作。歴史学者のピーター・カズニッ
ク氏との共著として同名の書籍も刊行しており、8月11日付日本経済新聞によれば、原爆投下について「米国は日本が降伏寸前であったことを知りながら、ソ連を牽制するために投下を決断した」と断じている。
これはよく見られる分析ではあるが、多くの米国人の歴史認識としては、原爆投下はあくまで戦争の早期解決を目的としたものとされ、これによる日本の全面降伏がなければより多くの犠牲者が出ただろう、というのが一般的な見方だ。
例えば、10年8月6日に広島市で行われた平和記念式典に、米政府の代表として初めてジョン・ルース駐日大使が参列した際には、大手米メディアでも批判的な論調が目立った。ニューヨーク・ポスト紙が「日本のアジア攻撃は悲惨なもので、 原
爆は戦争を効果的に終わらせた」「謝罪する必要はない」とする社説を掲載したことを、日本テレビがニュースとして報じた。
今年8月6日付のニューズウィーク日本版オフィシャルサイトにコラムを寄稿したジャーナリストの冷泉彰彦氏は、「アメリカが原爆投下に対して謝罪をしてはならない」というグループを、2つに分類して解説した。
ひとつは、アメリカの軍事的覇権を強く支持する保守派。「強いアメリカは決して謝ってはならない」という姿勢とともに、核兵器の抑止力を維持するには絶大な効果が前提であり、人類史上2回だけの使用例を否定すべきではない、というロジックを展開しているとしている。
もう一方は、前述の「核攻撃は戦術上正当だった」という考え方だ。冷泉氏は、これに韓国系・中国系などによる「アジア解放のための最後の一撃として正当」という史観が重なっていると見ている。このような背景もあり、今回ストーン氏が投げかけた議論は、米国内でも波紋を広げているようだ。
●原爆投下をめぐる幻想
そんな中、ストーン氏は8月4日に来日すると、広島と長崎での式典に参加し、東京や沖縄で公演を行うなど、めまぐるしいスケジュールで「もうひとつのアメリカ史」を伝えてきた。5日付の読売新聞によれば、ストーン氏は「原爆を投下した米国は英雄である」と教わってきたことを説明した上で、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。
さらに、11日付日本経済新聞に掲載されたインタビューでは、その舌鋒が現在のアメリカ政府にも向けられている。オバマ大統領が掲げる「核なき世界構想」についてストーン氏は、「プラハでの演説でオバマ氏は、核廃絶のプロセスについて『米国は最後の廃棄国』という趣旨の発言をしている。私はそれを指導力とは呼ばない」と批判。「フライシャー元報道官は、オバマ政権の2期目を『ブッシュ政権4期目』と呼んでいる」として、米国を変えると期待されたオバマ大統領へ失望のあらわにした。
もっとも、ストーン氏は日本の立場を全面的に擁護、支持しているわけではない。同紙のインタビューでは、「日本には『アジアを欧米植民地主義から解放した』とする歴史観もあると思うが、実際には英仏の『帝国主義』を模倣した側面もある」「戦後・日本の歩みにも非核三原則が含む矛盾のように、(これまで語られてこなかった歴史の側面に光を当てる)『もう一つの米国史』に通じる要素がある」とも語っている。
ウェブマガジン・webDICEが12日に掲載した、原水爆禁止世界大会(8月6日・広島)でのストーン氏のスピーチの全文によると、「みなさんに聞きたいのは、どうして、ともにひどい経験をしたドイツが今でも平和維持に大きな力を発揮しているのに、日本は、アメリカの衛星国家としてカモにされているのかということだ」と呼びかけている。
ストーン氏の主張に対する賛否は別として、日米の歴史観についてあらためて議論するためのテーマが投げかけられていることは間違いない。8月5日に発生した米軍ヘリ宜野座墜落事故をめぐり、日米地位協定に対する議論も活発化している中で、氏の主張に耳を傾けてみようと考える人も少なくないのではないか。blueprint
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130815-00010003-bjournal-ent
オリバー・ストーン監督「日本は米軍事力を頼らず、中国に謝罪すべきだ」=日本を見る目、好転する―米紙
レコチャイ 8月15日(木)8時0分配信
12日、米映画監督のオリバー・ストーン氏は、日本外国特派員協会で講演し、「日本は米国の軍事力に頼らず、中国に謝罪すべきだ」と語った。写真はオリバー・ストーン監督。
2013年8月13日、米紙スターズ・アンド・ストライプスによると、米映画監督のオリバー・ストーン氏は12日、日本外国特派員協会で講演し、「日本は米国の軍事力に頼らず、中国に謝罪すべきだ」と語った。環球時報(電子版)が伝えた。
それによると、ストーン氏は昨年製作した米国現代史を独自の視点で描くドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」を紹介。米国による原爆投下の経緯について「米国は日本に原爆を投下することで、ソ連(当時)に対して優位に立とうとした」と説明した。
その上でストーン氏は、日米、日中関係に言及。日本は米軍事力頼みの現状から脱することで「偉大な国家になり得る」と主張。「まずは中国でかつて犯した罪を認め、殺害した人々への謝罪から始めれば、中国は日本を違った目で見るようになるだろう」と表明した。
さらに、米国家安全保障上の極秘文書を暴露したとして訴追された米中央情報局(CIA)の元職員エドワード・スノーデン容疑者についても「彼は英雄だ。我々の利益のため、自らの幸福を犠牲にした」と賞賛した。(翻訳・編集/AA)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130815-00000007-rcdc-cn
O・ストーン監督「中国を敵だと思ってはいけない」「日本の長期的国益は中国頼み」―中国メディア
Record China 8月15日(木)18時20分配信
O・ストーン監督「中国を敵だと思ってはいけない」「日本の長期的国益は中国頼み」―中国メディア
14日、来日中の米映画監督オリバー・ストーン氏が、このほど行われた記者会見で「日本は中国に謝罪すべき」と発言したとして、大手ポータルサイト・捜狐網(SOHU)など中国の主要メディアが一斉にこれを取り上げている。写真はオリバー・ストーン監督。
2013年8月14日、来日中の米映画監督オリバー・ストーン氏が、このほど行われた記者会見で「日本は中国に謝罪すべき」と発言したとして、大手ポータルサイト・捜狐網(SOHU)など中国の主要メディアが一斉にこれを取り上げている。
ベトナム戦争を描いた「プラトーン」など、反戦・社会派の作品で知られるオリバー・ストーン氏は今月12日、東京・日本外国特派員協会で講演を行った。
この中でストーン氏は、尖閣諸島(中国名:釣魚島)問題にも触れ、「日本の長期的な国益は中国に頼るところが多く、日本は中国との関係をもっと広い目で見直すべき」とコメント。「中国を敵だと思ってはいけない。違った角度から中国を見るところから始めたほうがいい」と話し、「それには、まず中国に謝罪し、自分たちが殺した中国人に謝罪するところから始めるべきだ」と語った。
中国のメディア各社は、日本が第二次大戦中に侵略行為を行った中国やアジア諸国に「まずは謝罪すべき」というのが、ストーン氏の主張だと伝えた。また、直面している日中の緊張関係については、「軍事力に頼るのではなく平和的なやり方でアプローチすべき」というのが発言の主旨だと報じている。(翻訳・編集/Mathilda)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130815-00000034-rcdc-asent
じゃあ、アメリカはチュウゴクに尖閣諸島を奪いたがるなときちんと制止できるのか?
チュウゴクは、フィリピンからアメリカ軍が出たらすぐにフィリピンの島々を軍事力を使って
奪ってしまったし、ベトナムの島々も軍事力で奪った。(ベトナム軍の兵士らもあっさり殺してしまった。)
アメリカは、チュウゴクを躾けることすらできていないのに、アホみたいなことを言うな。
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中国公船の尖閣航行、過去最長の25時間、日本側は厳しく抗議―日本メディア
配信日時:2013年8月9日 14時20分
8日、日本メディアの報道によると、中国海警の艦船4隻が尖閣諸島海域を航行した。うち3隻が同海域に25時間以上とどまり、2月4日の14時間16分を大幅に更新し、過去最長を記録したと第11管区海上保安本部(那覇市)が明らかにしている。資料写真。
2013年8月8日、日本メディアの報道によると、中国海警の艦船4隻が尖閣諸島海域を航行した。うち3隻が同海域に25時間以上とどまり、2月4日の14時間16分を大幅に更新し、過去最長を記録したと第11管区海上保安本部(那覇市)が明らかにしている。環球時報(電子版)が伝えた。
中国海警の艦船は、「海警1126」「海警2102」「海警2146」「海警2166」の4隻。中国公船の尖閣諸島周辺海域の航行について、外務省の伊原純一アジア大洋州局長は8日、中国在日本大使館公使に対し厳しく抗議した。
さらに、岸田文雄外相や菅義偉官房長官も「極めて遺憾」だと非難している。伊原局長の抗議に対し中国側は「抗議は受け入れられない」と返答している。(翻訳・編集/内山)
レコチャイco.jp/group.php?groupid=75364
<尖閣問題>外務省、中国公使を呼んで領海侵犯を抗議=日中両国の主張には大きな隔たり―海外メディア
配信日時:2013年8月9日 12時20分
8日、外務省の伊原純一アジア大洋州局長は、中国の韓志強臨時代理大使と会見し、双方は最近の尖閣諸島海域の緊迫した状況について話し合いを行った。写真は中国海警艦船。
2013年8月8日、外務省の伊原純一アジア大洋州局長は、中国の韓志強(ハン・ジーチアン)臨時代理大使(駐日公使)と会見し、双方は最近の尖閣諸島海域の緊迫した状況について話し合いを行った。ラジオ・フランス・インターナショナル(中国語版サイト)が伝えた。
日本側は、沖縄県・尖閣諸島の周辺海域で7日朝から中国海警局の船4隻が領海侵入し、過去最長の時間に及んだとして抗議し、全船の即時退去を求めた。しかし、中国側は日本側の抗議を受け入れなかった。
日中間の尖閣領有権問題は、日中関係に関するあらゆる外交活動を困惑させている。仏・AFP通信の速報は、「このところ中国海警局の船が絶えず尖閣諸島の領海を侵犯しているため、日本の外務省は8日午前に中国駐日大使を外務省に“呼んで”厳重抗議すると発表した」として、“呼ぶ”という言葉を使用している。
一方、中国駐日本大使館のホームページは次のように発表している。「8月8日、韓志強臨時代理大使は日本外務省の伊原純一アジア大洋州局長と“会見”し、日本の右翼が中国領海に不法侵入し、中国の主権を侵害したことについて厳重な申し入れを行い、強く抗議した。さらに、日本側のすべての船が直ちに関係海域から引き揚げるとともに、類似事件の再発を防止するよう要求した。中国海警のパトロール船隊はわが釣魚島の領海内で日本の右翼を監視し、追い払うための法執行活動を行った」。この点でも両国の主張の食い違いは鮮明に表れていると言える。(翻訳・編集/碧海)
レコチャイco.jp/group.php?groupid=75353
<尖閣問題>中国、共同開発の意思をほのめかす―韓国紙
配信日時:2013年8月2日 21時40分
1日、韓国紙・朝鮮日報は、中国の習近平国家主席が係争海域の共同開発を行う意思があるという旨の発言を行ったと伝えた。資料写真。
2013年8月1日、環球時報(電子版)によると、韓国紙・朝鮮日報は中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席が係争海域の共同開発を行う意思があるという旨の発言を行ったと伝えた。
中国メディアによると、習国家主席は31日、中国共産党政治局の会議で、「中国は争いを棚上げし、発展を促進することを望んでいるものの、主権の主張を放棄するつもりはない」と強調した。朝鮮日報は「習国家主席は具体的にどの海域であるかを明確にしなかったが、この発言は日本の斎木昭隆外務事務次官が訪中した後になされたものである」と指摘した。
2012年、日本が尖閣諸島を国有化したことは中国の激しい怒りを買った。それからというもの、中国は尖閣諸島周辺海域に対する巡視活動を強化し、日本と中国の軍事衝突が発生するのではないかとの懸念が高まった。
南シナ海においても、中国はベトナムやフィリピン、ブルネイ、マレーシアなどとの間に領有権争いを抱えている。7月、フィリピンは中国が南シナ海での軍事行動を強化していると非難し、そのような行為は当該地域の安定を脅かすものであると批判した。これに対し中国は、誤った指摘であるとして抗議している。
米国は関連国すべてに対し、近隣諸国との対立は平和的な方法で解決するよう促している。6月、米太平洋軍のサミュエル・ロックリア司令官は南シナ海の係争海域における支配権を奪うことを試みる可能性のあるすべての国に向けて、「武力によって現状を変えようとするいかなる行為にも反対する」と警告を発した。米太平洋軍は中国や日本、東南アジアなどを管轄地域としており、日本との間の相互防衛条約(日米安全保障条約)を実施する任務に当たっている。(翻訳・編集/XC)
レコチャイco.jp/group.php?groupid=75081

自然発火する人って、本当にいたんだ!

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赤ちゃんは、火傷しているんだから、このタイトルは酷過ぎる。↓
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燃える赤ちゃん? =生後3カ月、汗で自然発火―インド
時事通信 8月16日(金)6時30分配信

【ニューデリー時事】インド南部タミルナド州の生後3カ月の男児が、汗をかくたびに体が自然発火する不思議な症状に見舞われている。治療法はなく、入院先の医師は頭を悩ませている。
地元メディアによると、ラフル君が初めて発火したのは生後9日目。その後3カ月の間に3回炎が発生し、やけどを負った。
キルパウク医科大病院小児科のテンモジ准教授はラフル君の汗に含まれる可燃性物質が自然発火の原因と分析。「世界的にも非常に珍しい症例だが、どの年齢層にも起こりうる。治療法はなく、汗をかかないよう室温を下げるなどの予防策を取るしかない」と語る。

医師困惑“発火”する赤ちゃん、生後3か月にして4度火に包まれる。
2013/08/16 10:26 Written by Narinari.com編集部
インドでは今、ある生後3か月の男の子が多くの人から関心を集めている。今年5月に生まれた男の子は、生後9日目に体が自然発火する事態に襲われて以来、これまでに4度も火に包まれて火傷を負い、病院に運び込まれているそうだ。現在、入院先の病院で精密検査が行われているというが、彼の皮膚から可燃性のガスと液体が出ていることは分かったものの、なぜ出ているのか具体的な原因はつかめず、医者たちも困惑しているという。
インド紙タイムズ・オブ・インディアやインディアン・エクスプレスによると、注目を集めているのは、インド南東部の街ティンディバナム郊外の村に住むラーフルちゃんという男の子。今年5月22日に生まれたばかりのラーフルちゃんは、生後9日目で体が火に包まれる状況に陥って火傷を負い、病院へ運ばれた。引火させるような火元もなかったため、母親は我が子を襲ったアクシデントが「信じられなかった」というが、不可解にもこの後も息子の体が突然燃え出す事例が頻発。生後12日目に2度目の発火が起きた後、さらに45日目、65日目と立て続けに発生し、4度目の際には火が家中に広がり、全て焼失する事態にもなったそうだ。
現在は、ティンディバナムの北にある都市チェンナイの大学病院に収容されているラーフルちゃん。過去3度の火傷は大事には至らなかったが、4度目は「頭からつま先」まで火に包まれてしまい、仰向けで寝ていたために背中側は無事だったものの、腹部側は頭部から足まで幅広く傷を負ってしまい、今も治療が続けられているという。
問題は、なぜラーフルちゃんが繰り返し燃える事態に陥っているのか。彼の体を検査した医者は「児童虐待の兆候は見られなかった」ことから、誰かが彼の体に火を付けた可能性は低いと判断したそうだ。
そこで関係者らは、彼が「人体自然発火現象」に襲われているのではとの検討を開始。8月9日から入院した大学病院で治療を進める傍ら、彼の体に「35項目に渡る」詳細な検査を実施したという。すると、レントゲン検査や血液検査などから、彼の骨や内臓の状態は医者が「素晴らしい」と話すほど正常な状態だったが、皮膚の毛穴から「可燃性のガスや液体が放出されている」事実が分かった。しかし、なぜ彼の体内から可燃性の物質が分泌されているのか原因が分からず、ラーフルちゃんにはその原因と引火の仕組み解明に向けて、今後も検査が進められるという。
繰り返し不可解な事態に襲われるラーフルちゃんに対しては、インドの医療関係者の間でも高い関心を集めている様子。ムンバイの病院に勤めるという医師は、「腸内のバクテリアが胃に入った物質をメタンガスに変えて放出する」との自然発火の有力な仮説を紹介しながらも、「母乳がメタンガスに変わる可能性は極めて低い」と指摘する。また別の専門家は、「自然発火する赤ちゃんなどあり得ない」と話し、自然発火説を「いたずら」と言い切っているそうだ。
いずれにしても、ラーフルちゃんの状態改善に向けて原因究明が求められる大学病院では、現在全ての可能性を視野に入れながら観察を続けているとのこと。インドでは、過去にも自然発火したとされる少年の例が報告されているが、残念ながら「文書で残されていない」ため参考にできず、病院側としては「漠然として科学的根拠も見つかっていない」自然発火説を疑いつつも、慎重に原因を探っているという。

チュウゴク共産党幹部だけ秘密基地で生産した安全な食品を食べている

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中国共産党幹部に安全な食糧供給する秘密生産基地が存在する
NEWS ポストセブン 8月14日(水)7時5分配信
中国の食品の危険性が指摘されて久しいが、中国共産党・政府の高級幹部専に食糧を供給する秘密基地が全国各地に存在することが分かった。農薬ゼロの野菜やコメを生産する田畑や豚や牛などの家畜のための放牧場、あるいは魚の養殖場なども各地にあるが、「秘密基地」といわれるように、市民には明らかにされていない。
習近平国家主席は日ごろから「幹部は庶民の生活を大事にして、庶民を思いやれ」と話しているが、食だけは別というところに、自分たちは特権階級という本音が透けて見える。広東省の週刊紙「南方週末」が報じた。
陝西省の西安から30キロほど郊外に幹部専用の野菜や果物を生産する畑があり、農薬は一切使われていない。
これは陝西省農業庁の付属研究機関という名目で運営。専用の管理人のほか、数十人の農民も雇われており、関係機関の幹部から「一切口外しないよう」に口止めされている。
同紙の地元、広東省でも10数年以上前から、陝西省と同じ名目で、野菜やブタ、ウシ、アヒルや魚の養殖場があることが分かった。
同紙が中国政府の農業関係機関に取材すると、実は全国各地の22省(台湾を含まず)、チベット自治区などの5自治区、北京など4直轄市の計31の一級行政区にそれぞれ数か所ずつ、高級幹部専用の食糧供給の秘密基地が存在することが分かった。
秘密基地のもともとの由来は、1960年7月30日に中国国務院(政府)の斉燕銘・副秘書長の名前で、「高級幹部及び高級知識分子に副食品を供給する問題に関する報告」との通達が出され、中国共産党が全国31の一級行政区政府に送られたこと。この通達によって、全国各地に高級幹部専用の食糧供給基地が秘密裏に造られたというわけだ。
この通達が出された1960年といえば、中国全土で数千万人が餓死したといわれる「大躍進政策(1958~1960年)」の終わった年だ。この政策によって、当時、世界2位の経済大国だった「英国に3年で追いつき追い越せ」との毛沢東主席の号令に呼応した中国国民が日ごろの仕事を投げ打って、鉄鋼製産に取り組んだ結果、食糧が不足し、国民が犠牲になったのだ。
このようななか、高級幹部らの食糧を確保しようと建設されたのが、これらの秘密基地だった。その後、食糧生産も増加したことから、これらの基地も廃止された。が、それは一時的なもので、1990年に北京でアジア五輪が開催されたことを契機に、外国人選手らに供給するため、北京郊外での食糧生産基地が復活。
さらに、その後、中国産の農業生産物や加工食品の安全性が疑問視されたことから、中国各地でも秘密生産基地が再び、建設されることとなった。
一説によると、北京の高級幹部のために、毎日、100種類以上の農産物や家畜や魚類など全国各地から集められ、供給されているという。
1971年9月、毛沢東主席暗殺のクーデター未遂を起こし、モンゴル上空で飛行機の墜落事故で死亡した林彪・共産党副主席は毎日、北京から数十キロ離れた玉泉山の泉の水を汲みに行かせ、それしか飲まなかったという。また、清朝の独裁者、西太后は毎食に100種類以上の料理を作らせたというが、実は同じようなことが現代中国でも行なわれているわけで、まさに習近平最高指導部は「皇帝」のごとき特権階級といってもよいだろう。

中国の愛人は1000万人 高級ブランド品の3割を購買との試算
2012.05.13 07:00
中国のぜいたく品(高級品)購買力はいまや世界一といわれるが、その3割はアルナイ(二に、女ヘンに乃)と呼ばれる愛人(妻妾)が購入しているという試算結果を在米の中国評論家、伍凡氏が発表した。
世界ぜいたく品協会は今年2月1日、中国人が旧正月(春節)期間中、海外旅行で高級品を中心としたお土産を購入した金額は72億ドル(約5760億円)に達し、過去最高を更新し世界一のぜいたく品消費国になったと発表している。
それらの高級品はブランドものの高級時計やバッグなどの皮革製品、化粧品や香水などだ。これについて、伍氏は「全体の3割に当たる約21億ドル(1680億円)は中国共産党・政府の幹部が、自身が囲っているアルナイ(愛人)のために購入したものだ」と主張する。
伍氏によれば、中国の幹部にとって、アルナイを囲うことは自身のステータスのアップに通じており、「幹部は競ってアルナイを囲い、多い人は数人もアルナイを囲っている」と指摘する。中国内陸部・山西省では、ある高級幹部が一人で10人ものアルナイを囲っていた例もあるという。
また、頻繁に中国大陸に出張したり、事業を営む香港や台湾のビジネスマンが、大陸で羽を伸ばして中国人女性の愛人を作りっているというケースも少なくない。
最近は大学を卒業しても就職が難しいこともあって、大卒の女性が愛人になる例も増えており、中国大陸全体でアルナイ人口は1000万人を下らないと伍氏は指摘する。
伍氏は「中国人幹部や香港・台湾人ビジネスマンは一人のアルナイに毎月平均で5万元(約65万円)を費やしている。高級マンションや高級車、ブランドものの化粧品や洋服、あるいは高級レストランで食事をさせ、ときには海外旅行に連れて行かなければならない」と語る。
アルナイ一人の購買力は一般の中国人女性50人に相当するといわれており、北京や上海といった大都市ではアルナイ人口は全体の5%を占め、全体の消費額の20%にも達することから、伍氏は高級品市場の3割に及ぶと試算したという。

韓国系が米カリフォルニア州ロサンゼルスの公園に従軍慰安婦像の設置を計画

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【現地報告】グレンデール慰安婦像 在米日本人の「闘い」
WiLLプレミアム 8月9日(金)19時40分配信 (有料記事)
大注目の公聴会
ロサンゼルスの北にある郊外都市、人口十九万人のグレンデール市で、米国連邦政府の下院が日本軍の・従軍慰安婦・を非難する決議をした七月三十日を「慰安婦の日」とする議題が昨年、可決された。
続いて今年の七月三十日に慰安婦の像を市の中央公園に建立する議案が提出され、七月九日、その議決にあたって一般の市民が意見を述べる機会が設けられたという広報を見た友人からの連絡で、この議案に反対する日本人や以前から反対運動をしている有志などに声をかけて、市議会に出席した。
グレンデール市における慰安婦像の建立の話は、かなり以前から伝わっていた。市は韓国系の民間団体から慰安婦像の寄贈を受けて、にわかに姉妹都市になった韓国の二都市の記念事業として行うという計画になっていた。
なお、ここに建立されようとしている慰安婦像は、韓国の首都ソウルの日本大使館に向かい合う公園に建てられている慰安婦像と同一のものであり、慰安婦の記念碑が建てられた米国のニュージャージー州のパリセーズパーク市とハッケンサック市には、この像は建てられていない。米国内では最初のソウルの像の複製で、韓国が米国に建てると宣言している二十以上の慰安婦像の第一弾である。
七月三十日に像の除幕式が予定されていることは在米の日本人の間では広く知れ渡っていて、それが日本人に与えるであろう深刻な影響を懸念する人々はかなり早い時期から警戒をし、日本領事館に意見を求めたり、対策を考えてきていた。七月五日になって、ようやく九日の特別市議会の開催が公示されると、直ちに、この特別市議会において正々堂々と反対意見を陳述することによって、この議案に対処することにした。
この件に関しては、日本の「史実を世界に発信する会」や「なでしこアクション」からも、メールを通じて支援をいただいていた。南カリフォルニア在住の日本の進路に懸念を持っている人たちは、これは絶好の機会であるとして、この機会を利用して市会議員を説得し、この議案を葬り去ることを願って、多数が参加したのである。
市民のための座席は百席ぐらいあったが、すべてが満席になり、一階のロビーでテレビを注視する一般市民も出てきた。二階の会議場は、ほとんどが早くから来場した日系人で埋まっていた。http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130809-00010000-willk-pol
「慰安婦像」設置計画は間違いだ --- 長谷川 良
アゴラ 8月4日(日)17時21分配信
韓国系団体が米国内で慰安婦像の設置を計画している。米在中の日本人社会からも強い反発が起きているという。そこで当方の見解を述べたい。慰安婦像の設置計画は間違いであり、慰安婦の心情を傷つけることになるだけだ。
米カリフォルニア州ロサンゼルス近郊グレンデール市の公園に韓国系団体が従軍慰安婦像の設置を計画しているというニュースが流れてきた。韓国系団体によると、旧日本軍によって性的奴隷となったという通称・慰安婦問題を国際イシューとして世界にアピールするのが狙いだという。
「正しい歴史認識」問題に関連するが、日本と韓国両国では慰安婦問題で意見が一致していない。そこで世界の大国・米国で日本の犯罪を訴えていこう、というわけだ。これは慰安婦問題を国際イシューにし、外圧に弱い日本側の謝罪を勝ち得ていこうという試みだが、方法論として決定的に間違っている。両国間の協議が容易でないから第3国の米国の影響を期待して問題の解決を図ることは、協議の相手国・日本側に対して無礼であり、品格のある国が取るべき手段ではない。米国にしても両国間の問題を持ち込まれて当惑するだけだ。ましてや、米国に日韓両国の「正しい歴史認識」の調停を期待すること自体、無理がある。
第2の理由は、米国内で慰安婦像を設置することは慰安婦の痛みを癒すことになるか、という問いだ。「もし、あなたが慰安婦だったら、その痛みを象徴した像を外国の地に建立して世界にアピールするか」、「もし、あなたが慰安婦の父親であり、母親だったら、娘の悲しみを像にして異国の地で訴えたいか」という問いだ。明確な点は、慰安婦像の設置計画は元慰安婦たちから出たものではなく、慰安婦が体験した戦争の悲劇を継承した人々たちからの発想だという点だ。
当方はこのコラム欄で「傷跡のない悲劇の継承者たち」(2013年5月22日)で以下のように書いた。
「韓国や中国では、旧日本軍兵士から迫害され、弾圧された人以上に、その悲劇を継承した人の憎悪のほうがより激しい場合が少なくない。彼らの総身には日本軍兵士から受けた殴打の傷跡はないが、体に傷跡をもつ犠牲者以上に憎悪に燃えている。あたかも、今、体から血が流れているように。注意しなければならないことは、悲劇の継承者の反日感情は体験の裏づけのないものが多いことだ。だから、ある日、彼らは同じような蛮行を繰り返すことができる。一方、体に傷を抱える犠牲者は加害者の謝罪をいつかは受け入れようとするものだ。なぜならば、恨み、憎悪を抱えたままでは自身が幸福になれないと悟るからだ。彼らは過去の悲しい束縛から解放されるために、加害者の謝罪を受け入れようとする。それと好対照は悲劇の継承者だ。彼らは加害者の謝罪を受け入れない。なぜならば、謝罪を受け入れれば、その瞬間、自身のアイデンティティが消滅する、といった懸念を感じるからだ。彼らの加害者への憎悪、恨みは体験や傷によって裏づけされていないから、時間の経過とその必要性からさまざまな形態に変容できる」
少々、厳しい指摘となるかもしれないが、米国で慰安婦像を設置しようとしている韓国系団体は反日感情の拘束から解放されない人々ではないか。「正しい歴史認識」を叫びながら、それと真摯に取り組むだけの意思力、熱意がない。あるのは憎悪だけだ。そこからは建設的な考えは期待できない。
和解は「謝罪を求める側」と「それを受け入れる側」の合意がない限り、成立しない。日本側は心からの謝罪が必要だ。韓国側はそれを受け入れなければならない。なぜならば、韓国側には謝罪を受け入れる以外に他の選択肢がないからだ。さもなければ、憎悪の虜となるだけだ。それでは不幸だ。韓国側に多くを要求しているようで申し訳ないが、韓国に「国家の度量」を示して頂きたい。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年7月28日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。
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長谷川 良
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130804-00010027-agora-pol

歴史問題については「日本対米中韓」の構図ができつつあるのも確かです。

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中国 ソ連の脅威消滅で靖国利用し日本に圧力と櫻井よしこ氏
NEWS ポストセブン 8月14日(水)7時5分配信
安倍首相の靖国神社参拝をめぐって中国、韓国からの攻勢がますます強くなっている。自国を守るために戦死した先人の霊を悼む行為は国家指導者にとって万国共通の責務であるはずだが、我が国では残念ながらそうではない。なぜ首相の靖国参拝はかくも“政治問題”となってしまったのか。ジャーナリストの櫻井よしこ氏が解説する。
* * *
これまでの報道や安倍首相自身の発言から、安倍首相が靖国参拝の深い意味も、靖国参拝が「問題化」した経緯もよくよく理解されていることが伝わってきます。
いわゆるA級戦犯の方々は1978年秋の例大祭の直前に合祀され、1979年春に毎日新聞によってスクープされました。1979年、大平正芳首相は春の例大祭にも秋の例大祭にも参拝しましたが、その年の暮れに中国を訪問すると、大平首相は大歓迎を受けました。
その翌年、靖国参拝で知られていた中曽根康弘氏が訪中した際には、中国人民解放軍副参謀長の伍修権氏が、日本の軍事費の倍増を求めました。つまり、中国は靖国参拝をまったく気にも留めておらず、まして日本の軍国主義と結びつけて考えてはいなかったのです。それは韓国も同様です。
その後も、日本の首相は靖国神社を参拝し続けました。中国が方針を換えたのはA級戦犯の合祀が明らかになってから6年半も後、中曽根康弘首相が1985年8月に参拝した後のことです。
ソ連が弱体化し、1985年3月にゴルバチョフ大統領が誕生すると、中国はソ連の脅威を言い立てる必要がなくなり、今度は日本に圧力をかけるために靖国参拝を利用するようになりました。つまり参拝批判は「国民感情」ではなく、あくまでも政治的要因だったのです。
安倍首相は今年5月にアメリカの外交雑誌『フォーリン・アフェアーズ』のインタビューを受け、2006年の小泉首相の靖国参拝を「心の問題」として支持した、ジョージタウン大学のケビン・ドーク教授の見解を引いて、こう答えました。
「ドーク教授は、南北戦争での南軍将兵が埋葬されたアーリントン国立墓地を歴代大統領が訪れたが、南軍がその保持のために戦った奴隷制の承認を意味はしないと言明しました。靖国参拝についても同じことが言えると思います」
このように、靖国参拝がA級戦犯の方々や軍国主義を賛美するものではないと説明し続けることこそ、大切です。
※週刊ht
tp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130814-00000003-pseven-cnポスト2013年8月16・23日号
中韓仕掛ける歴史問題の対日闘争 米に執拗で巧妙な働きかけ
NEWS ポストセブン 8月13日(火)7時5分配信
安倍首相の靖国神社参拝をめぐって歴史問題をてこにした中国、韓国からの牽制がますます強くなっている。アメリカを巻き込んだ中韓の対日攻勢についてジャーナリストの櫻井よしこ氏が解説する。
* * *
歴史問題の構図はこれまでは「日本対中国・韓国」でした。しかし、橋下徹氏の慰安婦発言は波紋を呼びました。無論、橋下発言だけが原因ではありませんが、現実を見ると、歴史問題については「日本対米中韓」の構図ができつつあるのも確かです。日本が世界で孤立しかねない状況が、確かにあるのです。
アメリカ国務省は在日米軍に風俗の活用を勧めた橋下氏の発言を受けて「言語道断で侮辱的」と述べ、強い拒否反応を示しました。シーファー元駐日大使も記者会見で、靖国参拝については一定の理解を示しましたが、慰安婦問題については「いかなる正当化もできない」と厳しく批判しました。
アメリカの世論が中国・韓国の側に立ち、日本を責める状況が生まれているのです。
歴史問題はいうまでもなく中韓が仕掛けている対日闘争ですが、両国は日本の同盟国であるアメリカに影響を及ぼすべく、執拗かつ巧妙に働きかけてきました。
中国は2010年7月に中国版CNNともいえる国営新華社通信運営の「CNCワールド」という国際放送を開始し、24時間、365日休むことなく中国の立場に立ったメッセージを発信し続けています。CNCはニューヨークのタイムズスクエアに大きなスタジオを構え、引き抜いてきた有能なアメリカ人キャスターに、流暢な英語で中国の視点に立った情報などを伝えさせています。
CNCでの放送に加えて中国はまた、アメリカを中心とする海外のシンクタンクや大学、研究者、シンポジウムなどに巨額の寄付をし、識者や政治家、マスコミなど、さまざまなレベルに働きかけ、日本がいかに卑劣な国であるかを伝え続けています。世界中に増え続けている中国語教育機関である孔子学院も、そうした情報戦略の一環です。中国政府が毎年費やす対外広報予算はなんと、9000億円を超えます。
こうして中国の視点に基づいた情報が、継続的かつ大量にアメリカに注入されてきた結果、中国の主張がアメリカの識者や指導層にまで浸透し、ボディブローのように効き始めているのではないでしょうか。それが「日本対米中韓」へと構図が変化した一因であることは間違いありません。
※週刊ポhttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130813-00000000-pseven-soci&pos=1スト2013年8月16・23日号

発電機とガソリン、冷却スプレーとたばこにご注意

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発電機のガソリンに引火、電源切らずに注入か=屋台店主聴取へ―京都・花火大会爆発
時事通信 8月16日(金)10時8分配信
京都府福知山市の花火大会会場の屋台が爆発し多数の見物客らが重軽傷を負った事故で、火元とみられる屋台の店主が発電機の電源を切らないままガソリンを投入し、引火した疑いのあることが16日、京都府警捜査1課への取材で分かった。同課と福知山署は同日午前、詳しい事故原因を調べるため、同市消防本部と合同で現場を実況見分した。店主も負傷し治療を受けており、回復を待って、業務上過失致傷容疑を視野に事情を聴く方針。
府警は同日午前9時半ごろから約35人態勢で実況見分を始めた。屋台3店舗のうち、ベビーカステラの屋台が最も激しく燃え、骨組みもほとんど焼け落ちていた。
当初ガスボンベに引火して爆発したとみられていたが、目撃情報から、発電機を作動させたまま携行缶からガソリンを投入しようとしたため引火、爆発したとみられることが判明した。
実家に帰省していた東京都羽村市の女性(37)は家族と訪れ、数メートル離れた場所で事故の瞬間を目撃。「シューという音がしたので振り返ると、屋台の近くで男性が赤い缶を必死に手で押さえていた。液体か何かが吹き出していて、すぐに爆発が起きた」と証言した。
炎は屋台を一気に包み、また爆発が起きた。周囲はパニック状態になり、女性は「目の前で火だるまになった人が倒れ、周囲で『消せ、消せ』という叫びが聞こえた。男の子もズボンに火が付き、坂を駆け上がっていた」と振り返った。
事故は15日午後7時半ごろに発生。府警によると、男女計60人が病院に搬送され、うち18人が重傷で、全身やけどを負った男児(10)が集中治療室で治療を受けるなど、3人の症状が極めて重いという。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130816-00000043-jij-soci
車内で冷却スプレー噴射→たばこ着火で爆発
< 2013年8月14日 19:39 >
 警察によると、14日正午頃、千葉県銚子市の駐車場に止まっていた車の中で爆発があり、乗っていた40歳の男性と27歳の女性の2人が顔や腕に軽いヤケドを負った。
 2人は「車内が暑かったので冷却スプレーを噴射した。その後、たばこに火をつけたら爆発した」と話しているという。
 警察は、気化したガスに引火したものとみて原因を調べている。
http://www.news24.jp/articles/2013/08/14/07234335.html
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【千葉】冷却スプレー車内で噴霧→たばこに火→爆発で2人やけど
1 :歩いていこうφ ★:2013/08/14(水) 22:13:06.46 ID:???0 14日午前11時55分ごろ、千葉県銚子市川口町2の展望施設「銚子ポートタワー」の
駐車場に止まっていた乗用車で小規模の爆発があり、車内にいた西東京市の専門学校講師の
男性(40)と知人の女性(27)が顔やひじに軽いやけどを負った。
 千葉県警銚子署によると、男性が車内に冷却スプレーを噴霧した後、たばこを吸うため
ライターに火をつけたところ、爆発したという。男性は「車内を冷やすため冷却スプレーをまき
ドアを閉めた」と話しているという。同署は、車内に充満した可燃性ガスが引火したとみて
調べている。
 今回の事故を受け、同署は「使い方を間違えれば、引火し爆発する恐れがある」、銚子市
消防本部も「窓や扉を閉め切った車内などの密閉空間では、火気厳禁でスプレーを使用する
こと」と注意を呼び掛けている。
181 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 08:12:33.90 ID:QI6l+MTj0喫煙者の標準知能
182 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 08:20:06.00 ID:5sqs8KAgOスレタイ見て未成年DQNかと思ったら40かよ
183 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 08:37:41.46 ID:MH+af1iKiこんなのが講師www
しかも40にもなってスプレーして火をwww
今までの人生何してきたんだw
・・・愛人と火遊びか
184 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 08:46:59.33 ID:jW1pzYsS0>>165
何で規制されたの?
185 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 08:52:16.72 ID:gRVHlorq0人がいる車内でタバコに火をつけるなよ
死ぬなら一人で死ねジャンキー
186 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 12:22:12.23 ID:0LHA3inui>>36
想像しただけで息苦しい
187 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 12:31:06.65 ID:0LHA3inui>>154
瞬間凍殺ジェット
じゃダメなの?
188 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 14:23:15.96 ID:kWqH15yf02人の関係が冷え切ってすずしい
素晴らしい冷却効果
189 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 14:45:56.59 ID:GfUFGLh+0パーマ代が浮いて良かったね
190 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 14:53:41.06 ID:4RzRXd7jOド・ド・ドリフの大爆笑
191 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 14:54:10.72 ID:Wg8KLF9E0こんなバカは淘汰されたほうがいい
192 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 14:54:39.61 ID:e/rf2MHz0だめだコリャー 次、行ってみよー!
193 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 14:56:30.46 ID:43jecstj0むしろ引火しない冷却スプレー作ったら差別化できそう
194 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 14:56:58.98 ID:mulM1wAh0あさイチで気をつけてねって言ってたのに~
195 : 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2013/08/15(木) 14:58:58.56 ID:fAs3eb1d0日本語が読めなかったのか
196 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 15:04:05.52 ID:IZ0ptmCs0冷却と謳っておきながら爆発するとか酷すぎだろ
197 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 15:04:08.49 ID:Wqys2gws0>>13
フロン禁止になってからスプレーは基本的に全部可燃性ガスが入ってると思った方がいい。
198 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 15:11:02.95 ID:f7tKYMX1Pそもそもスプレーを夏の車内に置きっぱにするのが怖い。
199 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 15:52:08.58 ID:tKLYV1X+Oとっろwwwwwwwww
こんなんが専門学校講師とか生徒が可哀想・・・
200 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 15:53:10.12 ID:e/rf2MHz0>>197
消火用のスプレーも?
201 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 15:55:39.28 ID:D+vXTgUQ0盆回りが再生された
202 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 15:59:33.17 ID:c0cTLENi0交際相手って書かれないって事は不倫か?
203 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 16:00:50.06 ID:8f0SyGJ2Oイモムシ?
204 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 16:01:06.63 ID:dWwcORBh0銚子にのりやがって
205 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 16:01:59.12 ID:MdGti8ha0ガス吸入してて手足吹っ飛ばした奴居たよね
206 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 16:36:10.11 ID:xRdq3tMyPゴキブリや虫を凍らせるスプレーを初めて台所で使ったら2秒程度でガス漏れの警報装置が鳴り出した
すぐにドアを開けてうちわで下にたまってるであろうガスを扇いで外まで誘導を何度も繰り返した
怖かった
207 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 16:47:20.01 ID:6RreVyKKOバーカ
208 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 16:49:12.15 ID:qFw/iqo10こないだ大阪で車1台燃えたのに繰り返すとかばかじゃね?
209 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 16:50:53.73 ID:wpdDJqJO0いやこれそもそもが、気体に反応して冷却するものじゃないだろ
人体など、固体に対して用いると冷却されるってタイプだろ
気体の冷却は、その気体そのものの熱を奪わないといけないはずだが
210 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 17:03:38.28 ID:ISj9pTs70え?車内を冷やすために冷却スプレー撒いたの????頭おかしすぎだろ・・・
昔あった事故はあくまでも冷却スプレーは自分に使ってたぞ。
211 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 17:20:37.58 ID:/kVJXRiX0こういう商品は実際にあるぞ。
> Dmax 車内用冷却スプレー 消臭抗菌プラス 420ml
>
> 商品の説明
> ●暑くなった車内を素早くクールダウン。 乗用車・建設機械などの車内の冷却用スプレー。
> ●炎天下駐車による車内全体の熱気がスプレーするだけで解消されます。 エアコンと一緒に使用すると効果的。
> ●1回5秒噴射で約20回使えるたっぷりサイズ。
> ●消臭・抗菌作用もプラス!
>
>
> 使用上の注意
>
> ※保管の際はキャップをしてください。 高温になると破裂の危険があるため、直射日光の当たる所など温度が40℃以上となるところに置かないこと!
212 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 17:28:43.24 ID:f7tKYMX1P>>211
> 直射日光の当たる所など温度が40℃以上となるところに置かないこと!
車内って、70℃とかの温度を下げようっていうスプレーが、40℃で爆発しちゃいかんだろ。
213 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 17:32:45.92 ID:/kVJXRiX0>>212
使いたい夏に、車内に置いていたら爆発するな。w
214 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 17:45:36.79 ID:LjK4Iuqv0タバコ吸う人間は原因と結果が想像できない奴が多いよね
215 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 17:48:04.08 ID:LjK4Iuqv0http://livedoor.blogimg.jp/hanagenuki-jet/imgs/b/5/b5db3fe7.jpg
216 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 17:48:44.37 ID:ANtSkUGW0>>204
地味だけど、GJ。
まあ、地味だけどな。
なんせ銚子だし。
217 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 17:55:02.99 ID:JK3KKcf70喫煙者って中国人みたいだと思ってしまう
中華街行った時の中国人の印象が強くて・・・
218 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 18:08:41.96 ID:t9pWyswNOそもそも先を読める人間や慎重な人はタバコ吸わないよな
アホしか吸わない
219 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 18:14:52.16 ID:MMCZKStO0日本の爆発シリーズ、、、、
やめろー!
220 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 18:17:18.06 ID:c2asOrIy0クルマの映像が出てたけど、レカロシート付けてたなw
221 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 18:22:59.19 ID:Bxu7jo+80貧乏くさい古いスカイラインだったな
222 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 18:37:28.21 ID:jh6xzgcL0>>205
あれは、ほんとうにカワイソウだったな
両手足がないじょうたいで病院を抜けだして
自殺したんだから、ほんとうに悲しい
223 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 19:02:55.33 ID:WLon6KXI0この手があったか・・・
いや、なんでもない
224 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 19:06:35.40 ID:gRVHlorq0【車の中に散布した後タバコに火をつけないでください】
こんな注意書きがなかったらメーカー訴えろよ
かねが入る
225 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 19:11:37.81 ID:2+3im8yoOバカガキが!
と思ったらいい年したおっさんだったでござる…
226 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 19:58:32.19 ID:K0gqdXyc0これだから喫煙者は
227 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 21:42:59.09 ID:vxam1LN80なんだ死んでないのか、残念。
228 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 22:17:48.37 ID:JOSBEXgM0>>222
イモムシU太ならデマだよ
229 :名無しさん@13周年:2013/08/15(木) 23:48:59.00 ID:jh6xzgcL0>>228
え、動画どっかになかったかな
見たようなきがするんだけど
話がデマなのそれともまるっきりウソなの
230 :名無しさん@13周年:2013/08/16(金) 04:03:53.56 ID:IjX9Q87h0講師やってるやつがこんなに頭悪いとか信じられない

8/9この爆弾を投下したのはアメリカです。

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8/9この爆弾を投下した
日本のお姉さん
のはアメリカです。天気が悪かったから、小倉から長崎に場所を変更しました。なぜ天気が悪いと原爆の投下場所を変更するのでしょうか?
フィルム撮影がうまく出来ないから。
爆心地がずれて正確なデータが取れないから。
放射能と水は相性が悪いから。
戦争を終わらせるだけなら広島だけで十分でした。
アメリカはもう一発落とす必要がありました。...
広島と長崎に落とした原爆の種類が違ったからです。
広島はウラン。長崎はプルトニウムです。
ちなみに福島第一原発の1、2号機はウラン、3号機はプルトニウムです。
マンハッタン計画で莫大な開発費を投入したため、アメリカ議会でその成果を証明する義務があったからです。
言い訳のための大科学実験です。
だからフィルム撮影も、投下後の医学データの収集も完璧だったわけです。
キリスト教信者の多いアメリカ国民の感情を考慮して、長崎の天主堂も慌てて破壊して建て直しました。原爆ドームのようにシンボルにされるとまずかったわけです。
実験のために原爆を投下したアメリカに対して憎悪の感情を持たないように、戦後教育とハリウッド・エンターテイメントで、日本国民を洗脳してきました。
今、アメリカを憎んでいる日本人はどのくらいいますか?
ほとんど忘れてます。
洗脳に加担する日本人のおかげです。誰なんでしょうか?アメリカの言いなりになっているのは?
今日は、現代史をもう一度学び直すには最適な一日です。せめて今日一日だけでも、アメリカが何をやったのかを思い出したいものです。
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どこかのフェイスブックの記事の紹介です。

広島の1000倍だと?こんな暴論が平気でまかり通っている日本の現状

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科学を装う「非科学的」イデオロギー放射線論
ヘレン・カルディコットという小児科医がさる7月7日、東京国際文化会館で、福島放射線問題に関して講演を行った。ノーベル平和賞受賞グループに所属している専門医なのだから、良心的で科学的な話をすると誰でも思うだろうが、ところがバッテン、とんでもない無知とドグマに満ちた講演であることが明らかとなった。
講演録を放射線問題の専門家である札幌医科大学の高田純教授にお送りして検討して戴いたところ「高田純のHカルディコット講演への反論」と題する反論を放射線防護センターのサイト http://rpic.jp/ に発表してく
ださった。下記の通りである。皆様に是非お読みいただきたくご紹介する次第である。
高田純の反論 カルデイコット講演
何しろひどい。福島3号機の単なる水素爆発が、広島原爆の1000倍だというのである。熱量にしても、放射線量にしても、10万を超える死者(これは大部分熱線によるものだが)を出し、放射線量で言えば36,000,000ミリシーベルト/時という広島の1000倍だとどうなるのか?一人の死者も出さず、最大被曝量が「年間」で50ミリシーベルト、瞬時の最大が2ミリシーベルト/時という福島とそもそも比べるのがおかしいのである。それを逆に広島の1000倍だと?
こんな講演に対して、直ちに「人をなめた、馬鹿、ウソを言うな!」という抗議が上がっておかしくないと思うのだが、こんな詐欺以上のウソを当たり前に聞いている人がいたというのだから驚くほかない。尤も全国から札付きの反核カルトが聴衆に加わっていたようであるが。
彼女たちの間では、「今やヒロシマではなくフクシマだ」と言うのが合言葉のようになっているというのだが、どうもこれには隠された「黒い」心理、というより意図があるのではないかと想像したくなる。
原爆投下はアメリカ人の大きなトラウマになっていることは間違いない。フーバー元大統領もその回顧録『Freedom Betrayed』の中で、「原爆投下はアメリカ史上並ぶもののない残虐行為 である。それは永遠にアメリカ人の良心に重くのしかかるであろう」(p.882)と書いている。
「フクシマ」をそのトラウマを消す事件に仕立て上げたいと思っているのではないかと推測してもおかしくはないだろう。(カルデコット女史はオーストラリア出身だが、オーストラリア人は一般にアメリカ人以上に反日傾向が強く、グループのアメリカ人たちと意識を共有していると見ることもできよう。)
ともかく、こうでも考えないことには、こんな暴論を正義、良心面を装って平気で言える心理を私には理解できない。
ただ問題は、こんな暴論が平気でまかり通っている日本の現状である。さる6月18日、高田純博士の「タリム盆地核ハザード調査報告会」のご案内の中で私は、「私はあえて断言したい。放射線恐怖を撒き散らす反核論者はよくいって偽善者、ズバリ言えば「詐欺師」である。」と書いたが、その確信をますます深めている次第である。
平成25年8月14日 茂木弘道

安倍首相が靖国神社に行かなくても行っても、どうせチュウゴクは、暴れる予定だったのだ。

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安倍首相が靖国神社に参拝してもしなくても、チュウゴクは最初から難癖をつけて暴れる予定だったということが丸わかり。
日本の官僚が何をしようが、チュウゴクなどとは関係のないことだ。内政干渉もはなはだしい。何様のつもりなのか。チュウゴクは、すでに日本の主人になったつもりなのか。
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靖国参拝に怒り…中国が空母動員して武力示威
中央日報日本語版 8月17日(土)10時20分配信
中国の空母「遼寧」
中国が空母まで動員して日本に圧力を加えた。日本の敗戦日の15日、日本の閣僚の靖国神社参拝強行と政府の歪んだ歴史認識への対応レベルだ。一方、日本政府は韓国との早期首脳会談が消えたという判断に基づき、中国との関係改善を先に模索するという観測が出ている。
16日の中国官営中央テレビ(CCTV)によると、山東省青島港の空母「遼寧」が15日昼、渤海湾に移動したと伝えた。「遼寧」は今後数日間、東海(トンヘ、日本海)海上で艦載機の離着陸と実弾射撃訓練を実施する予定だ。また母艦の夜間機動訓練も行い、総合的な戦力増強を狙っている。「遼寧」の海上訓練は今年3回目。
中国海軍も15日から尖閣諸島(中国名・釣魚島)から近い南中国海(南シナ海)上で実弾射撃訓練を実施中だ。この訓練は18日まで続く。浙江省寧波海事局はこれに関し、「象山沖で強力な海上機動と射撃訓練を行う」と明らかにした。中国海警局も靖国参拝に対する抗議の意味で尖閣領海に海警船を進入させ、監視活動を強化するという。
中国の海軍専門家の李傑氏は「日本の敗戦日に合わせて空母が東海に向けて出港し、海軍が強力な射撃訓練に入るのは、日本の右傾化と軍国主義復活の動きを中国軍がこれ以上座視しないという強力な警告であり、武力示威の性格が強い」と分析した。
一方、テレビ朝日は「安倍政権の核心関係者が韓国との首脳会談は遠のいたという判断の下、中国と先に首脳会談を推進する方向に旋回した」と報じた。官邸関係者も16日、「米国での慰安婦少女像建設、強制徴用勤労者に対する韓国裁判所の賠償判決、韓国国会議員の独島訪問などに安倍晋三総理が極めて不愉快を感じている」とし「韓国とはしばらく何もできないという考えを固めた」と伝えた。
これを受け、安倍政権は10月7日から2日間、インドネシア・バリで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、安倍首相と中国の習近平国家主席が非公式で会うことを推進し始めたと伝えられた。
また日本メディアは朴槿恵(パク・クネ)大統領の光復(解放)節の演説に関し、「(日本との対話を意識して)予想より程度を下げた」と分析しながらも、その評価は分かれた。朝日新聞は「独島(ドクト、日本名・竹島)や慰安婦などの表現も自制し、日本国民と政治家の間の境界を明確にした」と分析した。
しかし読売新聞の場合、「日本を重要な隣国と言うなら」と題した社説で、「歴史認識問題で日本に一方的な譲歩だけを求めて、対話や交流を拒むようなやり方を、韓国は改めてもらいたい」と批判した。
朝日新聞はまた、安倍晋三首相が戦没者追悼式の式辞でアジア国家の国民に対する謝罪と反省の表現を抜いたことに関し、「安倍首相が『白紙から(式辞を)作りたい。誰のために開かれる行事なのか根本的に見直してほしい』と参謀に指示した」とし「これを受け式辞は戦没者の英霊に訴える形で作成された」と報じた。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130817-00000004-cnippou-kr&pos=1

ラオスの麻薬地帯に豪華なチャイナタウンが出現した

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★小誌愛読者20500名!
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成25(2013)年8月19日(月曜日)
通巻第4003号
ラオスの麻薬地帯に豪華なチャイナタウンが出現した
焦るベトナムとタイ、今後もラオス投資を増加させる構え
***********
先月、ラオスの首都ビエンチャンに三日ほど滞在した。街中を歩き回ってみても、中国の存在はまるで目立たず、西北にばらばらと点在するチャイナタウンは見窄らしく、そもそも高層ビルもない。
ラオスの首都では中国語新聞は発行されていない。ボロボロな小屋が雲南料理レストランで、ブティックは流行遅れのファッション、傾きそうな中華風の建物がホテル、いったいこれはどうしたことか、と訝った。
どっこい、ラオスのチャイナタウンはミャンマー、タイ国境の北西部ボケオ県に完成していた。
唐風の中華門があって西安のような町並みが再現されたチャイナタウンは既に一万人近くが暮らすという。
http://www.dailynews.co.th/thailand/225588
ラオス語ですが、中華街入り口の写真
http://www.nampudo.com/2m/zz_Laosmap-1.html
ボケオ県の地図はここで確認できます
香港に登記された「キングロマンス集団」が、このボケオ県に3000ヘクタールを租借し、大々的な開発をしてきた。名目は経済特区(免税特典がある)。しかしカジノホテルが早くも完成していて、中国とタイからの博徒で賑わっているという(アジアタイムズ、8月16日付け)。
地図を確認されたい。ボケオ県はミャンマー、タイと国境を接する「黄金の三角地帯」。いまも麻薬密売のメッカとされ、治安が悪い。
この地にキングロマンス集団は4憶9000万ドルを投じて大規模なチャイナタウン建設を成し遂げ、ラオス政府高官を招いての開所式を行った。
すでにホテルの他、70軒のレストランも店開きしており、多くで人民元が通用する。中国から引き連れてきた建設現場労働者は、中国の労働請負企業が斡旋した。同集団は2020年までに、あと22億ドルを投資し、大規模な工業団地を造成すると豪語している(中国全体のラオス投資は800件、40億ドル)。
このチャイナタウンの本格出現に焦るのはラオス投資の筆頭、ベトナムである。もともとベトナム共産党は、ラオス共産党と親密である。
ベトナムはすでにラオスに50億ドルを投資し、449件のプロジェクトを抱えているが、主としてエネルギー、鉱山開発と農業部門、これから2015年までに70億ドルへ投資を拡大すると公言している。
タイも760件のプロジェクトに48億ドルを投資している。
中国のいきなりのラオス進出、それも首都ビエンチャンではなく、北西部の国境地帯から入り込んでいつの間にか地域の多数派となっていたのも、ミャンマーと同じパターンである。
□ ◎ ◎◎ ▽
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@
【知道中国 953】
――「お酒は飲み放題である」・・・これを太平楽という(柳田の9)
「北京」(柳田謙十郎 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
さぞや会場が割れんばかりの拍手が起こったことだろう。「この会が終わると、中国和平委員会副主席廖承志さん」が「多くの人をかきわけ」てやって来て、「大きく太く厚い両手」で、柳田の「手をかたくにぎりしめてくださった」。
柳田も廖も無言だったが、「何かひとこと『柳田さん、ありがとう』というような低い、しかし力のこもった声がきこえたように思ったが、ゴタゴタとしている中でハッキリとはわからない。だが心は通じた。私の誠意は少なくともこの人だけには通じたと感ぜざるを得なかった」と、柳田は大感激である。
孫文の秘書として働いた国民党左派の代表格とも言える廖仲凱を父に、国民党左派の女性指導者の何香凝を母に、東京で生まれ東京で育った廖承志は、早稲田大学第一高等学校に学ぶ。
共産党内では知日派の代表であり、建国以降は一貫して対日工作を取り仕切っていた。であればこそ、廖が柳田を楽屋から操っていたと考えて間違いない。ならば廖にすれば、狙い通りに演じた柳田の手を握って「よくやったね」といったとこだろう。
会場からの拍手に逆上せ上がってしまったのだろう。柳田は日本人――柳田の用法に従うなら「ミイ氏ハア氏」ということになるはず――に批判の矛先を向ける。
「日本では人間の誠意がそのまま通ずるというということは、むしろまれなことである。今の日本人は『金』の前にはいくらでも動かされる。権力の前には無条件で頭をさげる。また地位の高い人の前に出るとわけもなく有りがたがる。けれども誠意に対しては意外に無関心である。万事が金の世の中というものはそういうものなのであろう」と記した後、いうに事欠いて「新中国の人たちは金では動かない」と言い切った。
「新中国の人たちは金では動かない」という件を目にした時、思わずブッ飛んでしまった。おいおい正気かいと、柳田の神経を疑わざるを得ない。柳田というゴ仁は、本当に哲学者なのだろうか。「地位も権力も金もない一介の野人」などと自らを謙遜気味に語っているが、じつは哲学者を僭称している、単なる俗人ではないか。「新中国の人たちは金では動かない」などというマトモな大人なら口に出しても恥ずかしい限りの台詞は、怪しげな新興宗教が信者勧誘の際に使う常套句のようなものであり、柳田が揶揄する日本の「ミイ氏ハア氏」であったとしても、口にすることはないだろう。
にもかかわらず柳田は、何の臆面もなく「今の日本人は『金』の前にはいくらでも動かされる」と口にし、「新中国の人たちは金では動かない」と記す。全く語るに落ちたとは、こういうことを言うのだろう。とんでもないインチキ哲学者だ。
万に一つ、いや億に一つでもいい、柳田の言い分が正しかったとして、それをそっくりそのまま21世紀初頭の現在の中国人に聞かせてやりたい。おいおい、建国当初、「新中国の人たちは金では動かな」かったそうだが、60年程が過ぎると、金でなければ動かなくなってしまったようだな、と。金で動く現在を革命精神の大後退と落胆すべきか。あるいは見事なる先祖還りと看做すべきか。まあ、後者だと思いますがネエ。
翌7月28日午前は新築中の児童病院の見学である。
ベット数600、建坪3万1千坪。「子供のためのこんな大きな病院は、日本にはもとより一つもないであろう。日本では共産主義といって目のかたきにしているが、大人も子供も男も女もみんなこんなにも幸福になってくらしているのに一体どこがわるいというのであろう」と。こう真顔で問われても、返答に窮してしまう。柳田の戯言は続く。
「共産主義の悪口をいい、共産主義をおそれている日本国民の方がどれだけ生活が苦しく不安定で不幸でいるかわからないではないか、まことに世の中というものはおかしなものである」と。う~ん、「まことに世の中というものはおかしなものである」なあ。
《QED》
(宮崎正弘のコメント)廖承志記念館は広州市の南、孫文元帥府跡の近く、ぐるりと貧民眼を入り込んで、小学校のなかにありました(2004年のこと、いまもあるか、どうかは確かめようがないですが)。父親の寥仲凱と一緒に、古ぼけたパネルなどが飾られ、見学者はわたし一人という寂しさ。いまの若い世代の中国人はもちろん寥親子の名前も知らないでしょうね。
(読者の声1) 貴誌前号の阿羅健一『秘録・日本国防軍クーデター計画』の書評についてですが、全般はともかく、ノモンハンが日本の勝利もしくは辛勝であったという説は軍事を知らない一部の評論家がいう妄説がありますが、宮崎先生は同調されない方がよいと思います。
確かに死傷者はソ蒙軍の方が多かったのですが、赤軍の軍事ドクトリンは敵の三倍程度の損害は「想定内」としています。
例えば独ソ戦など両軍の損害を比較すると圧倒的にソ連軍の方が多いのですが、歴史的にはあくまでソ連軍の勝利です。戦争の勝敗はあくまでもクラウゼヴィッツがいうように政治目的を何れが達成したかです。
ノモンハンも関東軍は勇戦奮闘し敵に多大の損害を与えましたが、もはや撃つに弾なく一方ソ連軍は援軍が続々やってきてやむなく停戦に応じたものです。そもそもノモンハン戦はこれを指導した服部卓四郎や辻政信が敗北を認めているのです。
(HT生、杉並)
(宮崎正弘のコメント)ノモンハンは政治的には日本が負けたのでしょうね。辻は「負けたと思ったら負けだ」と言っておりましたから。
小生は石川県人ですので辻政信は郷土の英雄。清河八郎が山形県へ行くと英雄扱いされているのと同列ではないのですが、全国的にいえばね評判は芳しくないですね。とくに辻嫌いの半藤一利の辻批判は滅茶苦茶です。
ところで、ノモンハンの現場、小生は内蒙古省ハイラルから車をチャーターして行きました。またウランバートルでは展示館(ジェーコフ記念館のなかにある)へ行きましたが、「ノモンハン事変」でもなく「ハルハ河戦争」として小さく扱われていました。ウラジオストックの戦争記念館では「日露戦争」そのものの展示が少なく、ガイド(朝鮮系ロシア人)に理由を聞くと「あれは、小さな戦争ですから」と言ったのには魂消(たまげ)ました。
阿羅健一さんの当該書籍は力作ですが、ちょっと叙述が散漫でした。しかし前作のドイツの蒋介石秘密支援の秘密を暴いた作品(『日中戦争はドイツが仕組んだ―上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ』)と云い、未踏の分野に挑んでいるのは大変な作業と思われます。
(読者の声2)貴誌に書評のでた『秘録 日本国防軍クーデター計画』(阿羅健一著 講談社)に関して。
本書は「南京事件日本人四八人の証言」で有名な近代史家・阿羅健一氏が軍人・服部卓四郎大佐を中心に戦後の日本の再軍備事情を調べた作品である。
日米双方の知られていない重要な史実が記されており国防再建に関心を持つ人は必読である。服部大佐は開戦時の対米英戦を総括した陸軍の俊才で敗戦時は支那派遣、会津若松歩兵第65連隊の連隊長であった。
戦後は戦史編纂事業を行いながら政府や米軍、国防関係者と連絡を取り日本軍再建の準備に尽くした愛国者である。ノモンハンの最前線では歴戦の辻政信参謀が驚いたほど沈着剛胆で、以来辻が最後まで兄事したというのだから相当な人物であったことは間違いない。
あらゆる独立国家は軍隊から始まる。
そこで米国は日本を占領すると直ちに日本軍を武装解除し解散させた。しかしその後、大陸ではソ連の支援する中共軍が優性となり米国は一九四九年には支那満州から追い出されてしまう。このため米国は日本占領の意味がなくなり、それどころか日本の国防代行が無駄になったのでそれまでの占領非武装政策から日本再軍備に方針を一八〇度転換した。
マッカーサーも更迭された。
SF講和条約も日本を再軍備させるのが狙いといえる。一九五三年にはニクソン副大統領が来日し日米協会の昼食会で憲法九条は誤りであったと公式に声明を出した。こうした占領状況の激変の中で服部大佐らは米軍に協力して戦史を編纂しながら同志の人々と来たるべき再軍備に備え連絡を取り合っていた。
一九五〇年スターリンは米国の関心を欧州からアジアにそらすために朝鮮戦争を起こした。その直前ダレス長官が来日し吉田首相に再軍備を要請した。しかし吉田は軍人や軍隊が大嫌いなので経済復興優先を名目に再軍備を拒否したという。
しかしこの裏で吉田は新日本軍十万が朝鮮半島に国連軍名目で突っ込まれることを恐れたので必死に再軍備に反対したという説もある。結果的に日本は青年を殺されずに朝鮮特需で経済復興に進んだ。ただ軍隊の役割を持つ警察予備隊を作ることにした。
米軍は旧軍人を予備隊の幹部にするつもりであった。
戦後のドイツ国防軍と同じである。このため服部大佐は自分を含めて旧軍人四百名を幹部候補生にリストアップしていた。
しかし突然、旧軍人の採用はやめになり内務省警察官僚がトップを占めることになった。この原因は政府内の国防利権争いであったという。
警察官僚が反日占領憲法の文民支配を根拠に国防事業を軍人の手から奪ったのである。内局支配のはじまりである。しかし軍隊は特別の専門家の世界であり門外漢は無力である。このため米国はさらに強く再軍備を日本政府に要請したので、中佐以下の旧軍人の参加が認められるようになった。
日本政府は元軍人を排除するために自衛隊は軍隊ではないと強弁してきた。
それが異常な階級名(一尉)や兵器名(特車)になったのだろう。また内局は自衛隊三軍の統合を軍の強化と見なして警戒したという。このあたりの事情は長らく疑問を持っていたので大変勉強になった。
しかし世界に素人を軍隊のトップにすえる国はない。
この結果、ドイツが戦後の国防軍の再建に旧軍の幹部を登用していち早く国防力を回復したのに対し日本は戦争指導に無力な人間が自衛隊を統括して今日に至る。国家的見地から見ると大損害であった。
服部大佐はその後も旧軍人のグループを維持し、軍事史的に大変価値のある「大東亜戦争全史」を完成した。戦史は東京裁判とは違っていたが、荒木光太郎が「裁判は裁判、戦史は戦史」と述べたというのはおもしろい。
なお服部らのクーデター情報は、後年になってCIA情報から時事通信が見つけて報道したものであるが、関係者は一様にまったく聞いたことがないと述べている。
政府内の反軍人派のたれこみだったのだろうか。
現在の日本人は米国任せで本気で国防を考えない慣習になっている。しかしトロッキーは「人間が戦争を忘れても戦争は人間を忘れない」と述べている。世界の軍隊はこれを不変の原理として油断なく日夜戦争に備えている。
本書は危機到来で日本の国防体制の正常化が急がれる今、ぜひ読んでおきたい一冊である。
(東海子)
(宮崎正弘のコメント)そうですか。トロッキーは「人間が戦争を忘れても戦争は人間を忘れない」と述べたのですか。蓋し名言。
(読者の声3)アメリカの有名映画監督オリバーストーン(Oliver Stone)が、8月12日東京の外国人記者クラブにおいて講演し、アメリカの原爆投下を批判し、また「日本は、日本がしたことについてシナに謝るべきだ」と言ったと伝えられています。
原爆投下批判は良いとして、日本に対しシナに謝れとは、彼は史実を正確に知っているとは思えません。反米・反日の姿勢を取ることが知的であるとの錯覚によるものではないでしょうか。
彼に問いたい。当時のシナと日本の関係や実際に起こったことを正確に知って、この発言をしたのか。蒋介石軍が周到な準備をして少数の日本軍を攻撃した第二次上海事件や、大勢の日本人が虐殺された通州事件を知っているのかと問いたいのです。シナの宣伝「南京事件」などを信じているのではないでしょうか。
また、こういう発言を批判する動きも見られないのは嘆かわしいことです。せめてと思い貴誌に投稿しました。
(杉並の噛みつき亀)
(宮崎正弘のコメント)ま、アメリカの所謂「知識人」ってのも、この程度でしょう。日本のインテリを称する人たちが世界情勢にまったく暗いように。真珠湾攻撃はルーズベルトの罠という説明をしても、「この修正主義者め」とだけの反撃。あとは聞く耳を持たない人が多いのは事実です。
(読者の声4)韓国海軍と海自との共同訓練ありえない。韓国は朴槿恵大統領出席の前で8月13日潜水艦(1800トン)の進水式を行った。艦名は「金佐鎮」といい韓国が独立運動史という物語(事実は住民、金融機関から食糧金品の強奪ゲリラに日本の警察憲兵及び守備隊が鎮圧、1920年)からを作り上げて青山里戦闘(これも韓国が言っているだけだが)に参加した金佐鎮という運動家(単なる不法不満分子かもしれないが)の名にちなむそうだ。
1番艦「孫元一」、2番艦「鄭地」、3番艦「安重根」に続く214型潜水艦の4番艦である。安重根はハルピン駅ホームで伊藤博文を暗殺したテロリストの名前である。鄭地は14世紀朝鮮に侵入した倭寇と戦った武将である。孫元一は韓国海軍創成期の軍人だからまあいいとしよう。
2007年に就役した初の揚陸艦(14000トン)に「独島」(日本名竹島)と名づけている。また2008年就役の初のイージス艦(満載10290トン)には「世宗大王」その前のクラスには「李舜臣」と名づけている。
日本の竹島である韓国名「独島」の名を最新の揚陸艦の名に与えて日本を挑発しているのである。世宗大王は15世紀対馬などを侵略した李朝4代目の王である。李舜臣は豊臣秀吉の朝鮮征討軍に反撃した武将でソウル大統領官邸前のメイン道路に像も建てて韓国人が崇める英雄である。
これでは米軍が期待する海上自衛隊との共同訓練など出来る筈がない。
この所特に朴槿恵大統領は政治基盤弱いという事もあろうが歴史認識を持ち出すなど反日的言辞が目立つが、韓国海軍の主要艦艇の名前を見れば反日挑発的名前が並ぶ。
そもそも韓国海軍の拡充の目的は何なのか。北朝鮮対応には必ずしも必要でない海軍力拡充は日本を仮想的敵国にしているのではないか疑いたくなる。
(SF生、岡山)
(宮崎正弘のコメント)韓国の軍備は事実上、日本向けです。韓国が北朝鮮の核武装を内心で支援するのは、統一の暁には日本向けになるからで、歓迎しているようです。
李舜臣は、作られた英雄で安重根と同じでしょう。
安重根が撃った弾丸は、伊藤博文に命中せず、となりの外交官に当たりました。伊藤の致命傷となった狙撃は後ろからです。ハルビン駅二階のレストランの影から発射されたもので、ロシアの関与、いや黒幕は山県だの、いろんな説がいまも飛び交っています。小生は二回、ハルビン駅頭で伊藤暗殺現場を見て写真にも収めましたが、数年前ハルビン駅の新築にともない、現場の名残さえなくなりました。
(読者の声5)普天間の米軍ヘリ墜落により、乗員一人が死亡したそうです。一方、沖縄、マスコミ、そして政府までが、事故を非難する論調で、亡くなった搭乗員の死を悼み哀悼の意を表するものがありません。
亡くなった方は故郷を遠く離れ、日本の防衛の為に使命に殉じたのです。これに誰も哀悼の意を表明しないとすれば、日本人は人としての真っ当な心を失ったとしか言えません。
政府も原因の究明を言う前に、まず亡くなった方への哀悼の念を表すべきでした。これらの人たちに対し、人として軽蔑の念を抱かざるをえません。
(杉並の噛みつき亀)
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頂門の一針ー韓国司法が理不尽なら経団連の出番だ 泉 幸男

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韓国司法が理不尽なら経団連の出番だ
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泉 幸男
人間だれしもラクをしたい。
8月18日の産経1面に、新日鉄住金が 3,500万円のみかじめ料を払うつもりらしいとの記事が載った。
「みかじめ料」とは、わたしが端的に表現した用語だが。
戦時徴用された朝鮮人(=当時は日本人)4名が、韓国人として旧日本製鉄(=いまの新日鉄住金)を相手取り、個人補償を求めて韓国の裁判所に訴えた。
ソウル高裁の判決では新日鉄住金が負けた。
いま最高裁で争っているわけだが、最高裁でも負けたら新日鉄住金は賠償に応じる意向であることが分かったと、産経は書いている。
新日鉄住金なりの観測気球だろうか。
■請求権は相互に放棄したのだが■
日米戦争の敗戦で領土としての朝鮮を放棄させられた日本だが、日本国民が朝鮮に有した膨大な私有財産を即座に放棄する必要はなかった。
略奪や強姦(=ほんらい明確に賠償請求権あり!)に遭いながらも、いさぎよく半島を一斉に後にした日本人だが、法的には韓国に対して巨額の請求権が残っていた。
この巨額の請求権を、日本国民を代表して日本政府が放棄したのが、昭和40年の日韓請求権協定である。
請求権の放棄は、相互の取り決めだ。
日本統治下で戦時徴用を受けた韓国国民も同様に日本国と日本国民への請求権を放棄したわけで、個人補償を求めることはできない。
それを条件に日本は、昭和40年のおカネで無償3億ドル(=1,080億円)、有償2億ドルを供与し、日韓国交正常化が成った。
韓国の行政府は、さすがに今でもこの立場である。
ところが韓国の最高裁判所が平成24年5月に「韓国人は依然として日本に対して個人請求権を有する」という卓袱台(ちゃぶだい)返しをやってしまった。
司法の暴走である。
■出張者の身柄拘束? ■
三権分立とはいえ、大統領府が調整して正道に戻すべきところだ。
ところが大統領府は傍観を決め込んでしまった。
ラクをしたいわけだ。
新日鉄住金が今後、韓国の最高裁で敗訴したとしても、韓国の裁判所が日本に来て新日鉄住金の財産を没収することはできない。
韓国の裁判所が手を出せるのは、新日鉄住金が韓国内にもっている資産だ。
新日鉄住金は韓国には駐在事務所を持っていないから、事務所の財産が差し押さえられることはない。
社員が韓国に出張したら身柄拘束になるのだろうか。
身代金は約3,500万円という寸法か。
あるいは新日鉄住金が韓国の取引先に対して持っている売掛債権が狙われる。
韓国の会社に突然、韓国の司法当局が来て、「新日鉄住金に払う予定のカネは、我々に払え。韓国人4人への賠償金に充てるから」と宣告するわけである。
■ラクになりたくて出した「河野談話」だが■
そういう混乱が起きたら面倒だから、3,500万円くらいのハシタ金なら払ってしまおうという、至極合理的な思考が、冒頭の新日鉄住金のコメントだろう。
まさに、韓国司法部という組織暴力団を黙らせるためのみかじめ料ではないか。
これを支払うのは、重大なコンプライアンス違反だと思うが。
はっきり言って一部上場企業にとって、3,500万円などゴミみたいな小額である。
従業員ひとりを雇用するのにかかるコスト(給与+福利厚生+オフィス費用等々)に等しい。
おそらく新日鉄住金はこの訴訟対応だけで年にウン億円のコストがかかっているはずだ(弁護士費用や法務部社員のコストをはじめ、社内の数多くの部署の社員のコストを合算するとそうなる)。
3,500万円払って、ラクになれるものならラクになりたい!
いまや悪名高い、平成5年の「河野談話」だって、そのときの官僚たちが
「この談話ひとつでラクになれるものなら、ラクになりたい!」
と思って準備したのだ。
ところが、ラクになれると思ったら後々とんでもないことになったのが河野談話だ。
新日鉄住金の3,500万円だってそうだ。
韓国や中国で怒濤のような理不尽訴訟のラッシュとなるだろう。いまや、だれでも想像がつく話だ。
■個人請求権を解禁するとどうなるか ■
新日鉄住金や三菱重工などが孤軍奮闘するのに任せるのではなく、業界団体の経団連が正道をつらぬく大方針を打ち出すべきだ。
訴訟のための外部費用(外部弁護士起用の費用など)は、日本政府が経団連を通じて企業に対して補助してもよいのではないか。
日本政府も、韓国人と日本の私企業の争いという整理で傍観者を決め込んでラクをしているところがないだろうか。
新日鉄住金も、かつて日本製鉄や八幡製鉄などの社員が朝鮮にもっていた私有財産をリストアップしてみてはどうか。
昭和20年の帰国時に理不尽な仕打ちをうけた社員やその家族がいなかったかどうか。
韓国の最高裁が新日鉄住金に対する韓国人4人の個人請求権を認めるとすれば、理屈の上では新日鉄住金も自社の昔の社員らの個人請求権を盾にとって韓国側と争える道理だ。
そういう泥沼の闘いになりますよと、非常識な韓国人裁判官らを教育することも必要だ。

韓国はゆすりとたかりのヤクザ国家だ

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◎どうやらわかりました。最近、韓国がいろいろ「イチャモン」をつけるわけが。やはり、お金でした。
2018年に、韓国の平昌で開催される「冬季オリンピック」開催、運営のお金が韓国には無いので、日本に、踏み倒し前提の借金の要請です。お金が無いのに、日本のお金をあてにして候補地の立候補をしたらしいのです。
しかも、それを日本の前民主党政権下で内諾を得ていたらしいのです。
まさに、「イラ菅」ですね。 菊地正拝
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井上太郎さんのブログより抜粋転載ですっ!!!!!
言っても無駄だけど、南朝鮮よ、いい加減にせい!!(冬期オリンピックで日本に多大な要求!?)

2013/08/16 16:50
一昨年の夏にIOC国際オリンピック委員会は、2018年の冬季オリンピックに南朝鮮の平昌での開催を決定しました。まあ日本の札幌オリンピックから約半世紀、その間に日本は長野オリン ピックも開催されていますが、どうにかアジアで日本に続き、半世紀も経ってしまったけれども南朝鮮でも冬季五輪がやっと開催されることになりました。
それだけなら「南朝鮮よかったね、でもそれまでにユン・ソナはおばあさんになっちゃうよ、そうだサッカー等でも経験のある得意の例の手がありますね、がんばって ください。」で済む話しですが、日本も少なからず影響受けるとなっては大変な問題だと思います。
日本と南朝鮮の間では(南朝鮮に限らず各国と、主として外務省が)いわゆる官僚の事務レベルにおいて様々な分野で協議が続けられています。
その中でどうしても両国の間では 歴史問題等に目を奪われがちですが、日本国民として少しでもその内容を漏れ聞くと怒りが噴出するのが、南朝鮮からの支援の依頼です。
言葉が悪くなりますが、弁解させていただけばあまりにも南朝鮮のバカさ加減につい冷静さを若干失います。おそらく読まれる方、日本人なら「国交断絶」と叫ぶレベルになると思い ます。
従って時々言葉悪くなりますがお許しください。何処まで図々しい厚顔無恥の破廉恥国家なのか、その理由と更にその理由の一つとして民主党が原因なのですが、日韓基本 条約にまで遡らなければなりませんが、
それは後半のもっと深刻な事案の中で説明します。とりあえず事務レベル協議が定期的に開かれ、そのほとんどは日本へのタカリだということを理解してください。
そして平昌オリンピックについてです。まだ5年以上先であり特にメディアも取り上げていませんが、既にとっくに南朝鮮による日本へのタカリは始まっているのです。そして そのタカリは、日本の歴史問題に絡め当然のごとくであるとの要求という畜生にも劣らざ るものといわざるをえません。
元々何故南朝鮮の平昌が選出されたのか?地形からしてアルペン競技(滑降
の確か3種目、回転競技等)は無理といわ れていました。
つまり雪質に恵まれ且つ、競技できる充分な広さの地形に恵まれていないということです。さらには予算面が明確に確保されておらず、何処の空港使うのか、いずれにしろ国際空港は確かわずか3空港しかないのに、空港から競技会 場までの交通アクセスに疑問がありました。
南朝鮮のIOCへの説明計画書では、アルペン競技は山を削り整備するというものです。まあ南朝鮮人は海に遊びで作る砂山と同じような感覚だとしか考えられな いアホなので無理もありません。
スーパー大滑降ともなれば急斜面もあれば、距離も全長4キロメートルくらいになります。少なくとも標高の高低差も数百メートルは必要なので大滑降なのです。
簡単に山を削るといってもコース幅も場所によっては500メートルくらい必要な場所もあります。
現在はとてもそのような整備は不可能といわれています。
さらに深刻なのがリージュとかボブスレーです。現在南朝鮮内にはたった一つのコースもありません。
ジャマイカチームの映画くらいは見たことあるのかも知れませんが、競技人口はゼロといわれているのです。
つまり用具も南朝鮮内にはないということです。あきれ果てるより何か惨めに思え、つい同情したくなります。
というのはウソで 他のことを考え合わせるとどうして冬季五輪に名乗り 出たのか気が狂ったとしか思えません。
元々狂っているのだからという声も聞こえますが思わずその声に納得してしまいます。
コースの設計ノウハウもなく資金も予算化されていない、果たしてどうすればコース等が完成するのか、リージュは世界初の室内で何とかなるなどともう異常です。それではどん な思惑があるのでしょうか?
はい、皆さんこの先を読む前に理解してしまいました。
そうです、日本の技術とコース設計、そして資金を要求してきています。
日韓サッカーワールドカップで、スタジアム建設費用の300億円を借款しておいて利息も一文も払わずにすっとぼけている盗人国家であること忘れてはいけません。
もっと驚くことに日本の協力が得られるとの言葉を了解もなくIOCに発言していたのです。
そして日本への言い分として、そして紛れも無い事実なのですが、オリン ピック直前合宿や調整等、南朝鮮内では不可能なので各国選手と役員等数万人が日本に滞在し経済効 果がある、それは平昌オリンピックのおかげなんだから資金を援助しろと要求してい るのです。
(情報収録・中山)

蒋介石は晩年、クリスチャンをやめ

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蒋介石は晩年、クリスチャンをやめて
他人をいっさい信用せず、終いには実の息子のことも
嫌ったと本で読んだことがある。
息子は超男前。
~~~~~
反キリストの蒋介石
1 神の僕は見ぞ・・ ID:WyZ766JE 2009/03/01 23:00
蒋介石が信仰列伝に載ってる誤りに気付かないキリスト教会・・・・
彼はキリスト者では全くありませんでした。
奥さん4人に妾をもうけ、ポルポト・ミルシェビッチ並みの独裁者。
何故、彼が信仰者であったのでしょうか。
彼は先ず最大の詐欺師でした。
教会に大富豪の娘が居るので、騙して結婚し、財産をせしめることが目的で、洗礼を受け信徒に成りすまします。計算どおりに騙して結婚し、直ぐ、捨てて町に出ます。捨てられた第一婦人は事実を知り、傷心のあまり結核で寝込み、若くしてこの世を去ります。死の数ヶ月前の写真も観ました。
蒋介石は計算どおり、財産を根こそぎにします。
偽クリスチャンになるもう一つの大事な目的は、アメリカの助けを受けて、中国本土から独立することでした。クリスチャンと偽って援助を受けようとし、まんまと騙すのに成功しました。宣教師派遣まで要求したので、クリスチャンと信じ込んだようです。
彼の日記にも友人宛の手紙にも、詳しい記述が残っています。(なくなる一人目の奥さんの写真と共に観ました。)
台湾史の専門家なら誰でも知っている事実です。
何故に、日本のキリスト教会は、学ぶ、調べる、といった基本が出来ていないのでしょうか。
聖書も正しく学べるのでしょうか。神学校でいい加減なことを学ばされても、ただ鵜呑みで洗脳されるだけなのでしょうか。
知性を尽くして、あなたの神なる主を愛せよ・・・がもっとも大切な戒めな筈ですが・・・、
http://board.christiantoday.co.jp/read.php?id=983
蒋介石 2006/8/25(金)
第二次世界大戦終戦後、中国は天文学的数字にのぼる戦争賠償金を日本に請求する権利を持っていました。 しかし、当時の指導者である蒋介石はクリスチャンであり、「汝の敵を 愛せよ」というキリストの教えに従い、他の連合国の指導者を説得し、日本への賠償金の請求を放棄しました。
今の日本の繁栄と平和の背後には、
キリストへの愛に従った一人のクリスチャンがいたのです。
蒋介石についての記事をWebで見つけましたので紹介します。
出展は、
http://www.eonet.ne.jp/~m-hirose/ijinden/10gatu/1031.htm
第2次世界大戦終了時、彼は、戦勝国・中国の総統として、他の連合国と共に、敗戦国である日本に対する処置を決定する権限を持っていました。
彼は、彼の祖国である中国を、無惨にも踏みにじった日本兵の残虐な行為をつぶさに見ていました。彼自身も何度も生命の危険にあっていました。しかしクリスチャンであった彼は、そのときキリストの「汝の敵を愛せよ」の教え、またそれに基づく、「怨みに報いるに徳をもってせよ」の精神のもと、米国のルーズベルト大統領や英国のチャーチル首相を説き伏せ、敵国・日本に対するまれにみる寛大な処置を実現させたのです。
その寛大な処置とは、
天文学的数字にのぼる莫大な戦争賠償金を日本に請求する権利を放棄すること
連合軍が主張する、日本の分割占領の阻止
中国大陸にいた200余万の日本軍民の帰国をすみやかに実現すること
天皇制の存否は、日本人の考え方にゆだねる
ということでした。このように彼は、終戦後の日本の処置について、歴史上まれにみる寛大な策を主張し、実現させたのです。
終戦当時、中国大陸には日本軍の将兵130万人、また民間人85万人がいた。総計200万人以上にのぼる彼らは、これからいかに身を処するかということで、途方に暮れ、また、一体どのような仕返しがなされるであろうかと恐怖におびえていた。
しかし蒋介石は、「神は愛なり、汝の敵を愛せよ。日本人に危害を加える者、また物資を奪う者は死刑に処す」という放送を流し、彼らを捕虜としたり、虐待したりすることなく、すぐさま日本に帰国させるよう手配をとった。この返還輸送のために、全中国にある列車や船舶の、80%が動員されたという。そして10ヶ月余りという空前の短期間に、大陸にいたすべての日本軍民の祖国復帰が実現したのである。
蒋介石 ――終戦のメッセージ―― (抜粋)
現在われわれの抗戦は、ついに勝利を得たが、まだ最終的勝利ではない。この戦勝の持つ意義は、単に世界の正義の力が勝を制したことだけにとどまらず、世界の人類もわが同胞と同様、今次の戦争が世界文明国家参加の最後の戦争となることを、切望しているものと信じる。もし今次の戦争が、人類史上最後の戦争となるならば、たとえ形容不能の残虐と屈辱を受けたとはいえ、決してその賠償や戦果は問うまい。
ここまで述べてきた余(私)は、「己(おのれ)に対するごとく人にもせよ」「汝の敵を愛せよ」と命じられたキリストの教訓を想いだし、まことに感無量である。わが中国の同胞よ、「既往(過去のこと)をとがめず、徳をもって怨みに報いる」ことこそ、中国文化の最も貴重な伝統精神であると、肝に命じて欲しい。
われらは終日一貫、ただ侵略をこととする日本軍閥のみを敵とし、日本人は敵としない旨を声明してきた。今日、敵軍はすでに連合国に打倒されたので、一切の降伏条項を忠実に遂行するよう、もちろん厳重に監督すべきである。しかし、決して報復したり、さらに敵国の罪のない人民に対して、侮辱を加えてはならない。われらはただ日本人民が、軍閥に駆使されてきたことに同情を寄せ、錯誤と罪悪から抜け出ることを望むのである。
もし暴行をもって敵の過去の暴行に応え、奴隷的侮辱を持って誤れる優越感に報いるなら、怨みはさらに怨みを呼び、永遠にとどまる所がない。これは決してわが正義の師の目的ではなく、わが中国の一人一人が、今日とくに留意するべきところである。
世界永遠の平和は、人類の自由平等の民主精神と、博愛に基づく相互協力の基礎の上に築かれるものと確信する。それゆえわれらは、民主と協力の大道を邁進し、もって世界永遠の平和を、協力し擁護してゆかなければならない。同盟国の諸士、ならびに全同胞よ、武力によって勝ち得た平和は、必ずしも恒久平和の完成ではない。
日本人が理性の戦場においても、われらに教化され、もって徹底的に反省改心するよう導かれ、われらと同じく世界平和愛好者になった暁にのみ、今次世界大戦最終目標、すなわち人類希求の平和が初めて達成される、と信じるよう切望する次第である」
(長谷川太郎氏訳)
http://blogs.yahoo.co.jp/fim_inoue/18008216.html
2012年09月30日12:06
カテゴリ コラム 日常のこと
蒋介石は熱心なクリスチャンであった
「敗戦真相記」(永野 護著)を読んだ。この本のすごいところは、終戦直後の9月に著者が広島で行った講演がベースになっているのに(彼は当時55歳)、太平洋戦争の敗戦理由を一般日本人の当時の捉え方も含めて科学的・多角的に分析しているところである。そして、その教訓は現在の日本にもそのまま当てはまる。永野護は毀誉褒貶相半ばする人のようであるが、先入観なしに一読されることをお勧めする。
この本の本流ではないが、現在我々日本人から見れば誠に理不尽なことを言っている中国に関して次のような趣旨の箇所があり興見深く読んだ(一部ネット情報を含む)。
1945年(昭和20年)8月15日、八年以上にわたる抗日戦争に勝利をおさめた国民政府の蒋介石はラジオを通じて勝利宣言を行い、敗戦の身になった日本軍将兵や中国残留の日本人に対して報復をしてはならないと呼びかけた。
「自分はいまさらのごとく『爾の敵を愛せよ』『爾ら人にせられんと思うごとく人にしかせよ』と訓えられたキリストの言葉を想い出すのである」
「我々は報復を考えてはならず、まして敵国の無垢の人民に汚濁を加えてはならない。・・・・・・もし、暴行を以ってかっての敵が行った暴行に報い、奴隷的な辱めを以ってこれまでの彼らの優越感に報いるならば、報復は報復を呼び、永遠に終わることがない。これはけっして我々仁義の士の目的ではない」
この蒋介石の勝利宣言にもとづいて、第二次大戦の“戦勝国”中国は“敗戦国”日本に対して歴史上まれに見る寛大な処置を行ったのである。それは一千万人を上回るといわれた中国軍民の血の犠牲と天文学的な物的損害に対する膨大な戦争賠償金の全面放棄であり、中国大陸に残留する日本軍民二百万人の安全帰国の早期実現などであった。日本が何故今持って中国にODAを続けるのか分からなかったが、膨大な戦争賠償金を月賦で払い続けていると考えれば理解は出来る。
今の中国からはとても想像できないことである。
日本から最も甚大な被害を受けた中華民国の指導者がこのような常識では考えられないような寛大な処置をとった理由は、当時蒋介石が毛沢東一派と戦うために日本の物資が欲しかったからだと言う人もいるが、当時の日本には外国にあげる物資なんてなかったハズだ。
この蒋介石のラジオを通じての勝利宣言は、8月15日の玉音放送に匹敵するものと考えてよいと思われる。その放送の中でキリストの言葉を引用しているので、蒋介石が熱心なクリスチャンであったのではないかと思いネットで検索してみた。
やはり、蒋介石は熱心なクリスチャンであった。
蒋介石は、上海・浙江財閥の娘、宋美齢(そうびれい)と結婚した。宋美齢の名は著者の親の代の日本人にはよく知られた名前で著者も母からよく聞かされた名前だ(長寿で105歳でニューヨークのマンハッタンで死んだ)。宋美齢は9歳からアメリカに留学した英語ペラペラのプロテスタント信者。自分自身は、1928年にアメリカ人牧師からキリスト教の洗礼を受けた。
蒋介石は宋美齢をアメリカに派遣して、各地で、ありもしない日本の「悪行」を涙ながらに訴えさせ続けた。蒋介石は「異教徒の日本人と戦う敬虔なクリスチャン指導者」というイメージを作り上げ、アメリカの信者を味方につけることに成功した。アメリカの著名人・マスコミ・政治家はすっかりこの夫婦に騙されてしまった、という話もあるが、もし本当だとしても、必死に国を守ろうとする国のリーダーとしてのロビー行動として十分理解できるし、敵ながらあっぱれだ。
今、中国は一党独裁の国で、表向きは宗教の自由を認めているが実質共産党が許可した以外は布教の自由はない。しかし、格差の広がりと共にキリスト教信者が急速に増え、人口の1割を超えたという話しもある。因みに、日本ではキリスト教信者が人口の1%を超えたことはない。http://www.eigo-akahige.com/archives/1713845.html
国共内戦と二・二八事件[編集]
日本が敗戦した1945年8月以降は、イギリスやアメリカ、フランス、ソ連と並んで中華民国が第二次世界大戦の戦勝国、及び国際連合の常任理事国となり、蒋介石も連合国の1国の指導者として扱われることとなる。
同時に再び中国共産党との間で国共内戦が勃発するものの、この年に新たにアメリカ大統領となったハリー・トルーマンは、前大統領のルーズベルトとうって変わって蒋介石及び中国国民党への援助に消極的となる。なおこの背景にはアメリカ政府内に入り込んだソ連や中国共産党側のスパイの活動があったと言われている。これと反対にソ連は中国共産党への支援を活発化させていったため、次第に劣勢に追い込まれていくことになる。
また1947年2月27日に、台北市で行われた抗議デモに対して憲兵隊が発砲し、抗争はたちまち台湾全土に広がることとなった。本省人は多くの地域で一時実権を掌握したが、国民党政府は大陸から援軍を派遣し、武力によりこれを徹底的に鎮圧しするという二・二八事件が起きた。その後蒋介石は台湾全土に戒厳令を敷き、以降白色テロによる支配を行うこととなる。なお蒋介石は1948年に中華民国の初代総統に就任するが、反発を受け1949年に辞任した。
台湾へ[編集]
同年に中国共産党に敗北し首都南京を脱出し、重慶などを経て、12月に成都から、息子の経国とともに飛び立ち台湾島の台北に遷都することになる(台北は臨時首都)。1950年3月に再び総統に就任し、アメリカからの全面的協力を受けて大陸反攻を目指すこととなる。しかし同年に香港に植民地を抱えるイギリスが中国共産党が建国した中華人民共和国を承認したほか、朝鮮戦争への国連軍側としての参戦をアメリカから拒否されるなどの逆風を受けた。
これ以降もアメリカとは冷戦下における同盟国として強固な関係を保ち続けたが、1971年7月にリチャード・ニクソン大統領が、中華人民共和国と和解し、「中国を代表する国家」として承認することで、冷戦下でアメリカと中華人民共和国の両国と対立を続けていたソ連を牽制すると同時に、北東アジアにおける覇権を樹立することを狙い、ヘンリー・キッシンジャー大統領特別補佐官を、秘密裡にパキスタンのイスラマバード経由で中華人民共和国に派遣した。またこれには、ベトナム戦争に早期に決着をつけるとともに、アメリカ軍のベトナムからの早期撤退を公約としていたニクソンは、北ベトナムへの最大の軍事援助国であった中華人民共和国と親密な関係を築くことで北ベトナムもけん制し、北ベトナムとの秘密和平交渉を有利に進める狙いもあったと言われている。
この訪問時にキッシンジャーは中華人民共和国の周恩来首相と会談。その後の記者会見で、「近日中にニクソン大統領が中華人民共和国の北京を訪問する」と発表し、世界を驚愕させた。その後ニクソンは1972年2月21日にエアフォース・ワンで北京を訪問、毛沢東と釣魚台で会談し、中華人民共和国との国交樹立への道筋を作った。しかし、中華民国との断交など解決しなければいけない懸案が多かったことから、アメリカと中華人民共和国の間の国交樹立は、ジミー・カーター政権下の1979年1月になってようやく実現することとなる。
さらに1971年11月には中華民国の国連追放を提起した「アルバニア決議」が可決されてしまう。中華人民共和国が国連に中華民国の追放を最初に提起したのは1949年11月18日で、以後「中国代表権問題」と呼ばれ、長らく提議されては否決され続けてきた。転機となったのはベトナム戦争が泥沼化し、アメリカが北ベトナムとの停戦交渉を進める中で中華人民共和国の協力が必要となったためである。
アメリカはベトナム戦争終結に向けた中華人民共和国の協力を得るため、国連常任理事国の継承は合意したが、中華民国の国連追放までは考えていなかった。しかしこの事を事前にアメリカから伝えられた蒋介石は激怒し、アメリカや日本の説得を無視してしまい、最終的に中華民国の自主的な国連脱退と西側諸国との国交断絶を招いてしまった。さらに経済発展を続ける中華民国との国交継続を願う諸国は多かったが、「台湾と国交断絶しない場合は、中華人民共和国から国交断絶する」などの外交選択やそれに伴う経済的不利益、さらには国連での拒否権発動をちらつかせるなど有形無形の外交圧力を加えたため、中華民国は国際社会でほぼ孤立することとなった。
その後1972年6月に肺炎にかかり一時重篤な状態になったが持ち直した。しかし、これを期に以後は公の場に姿を現す事はなくなってしまった。しかし1975年に死去するまで総統の地位にあり、死後は総統の座を息子で行政院長の蒋経国が継いだ。
介石の歴史的評価[編集]
宋美齢とともに台湾を訪問する蒋介石
蒋介石の歴史的な評価については、日中戦争を戦い抜き、台湾に移ってからも強力な指導力で中国共産党と対峙した中華民国の指導者として賞される面と、二・二八事件における数々の虐殺行為や、戒厳令を敷き、白色テロによる支配を行ったという独裁者としての面がある。
なお蒋介石と毛沢東に会ったアメリカの外交官は、座り方に注目して両者の違いを見極めようとした。背筋を伸ばし、気品を備えた蒋介石に対しゆったりと温和であった毛沢東を比べている。
台湾[編集]
戒厳令時代には、中華民国の指導者、そして「中国4000年の道徳の体現者」として尊敬の対象とされ、蒋介石の銅像が中華民国のあちこちにあった。さらに台湾の学校には孫文と蒋介石の肖像画が必ず飾られていた。切手等には蒋介石にかかわるものが必ずある。さらに蒋介石は台湾の高雄に澄清湖(チョンチンフー)という観光スポットを作った。これは中国大陸にある西湖を真似たものだといわれている。そこには中興塔をはじめ八つの見所がある。
実務的な貢献としては大陸から撤退するにあたって大量の美術品[83]、巨額の金銀やドル紙幣、料理人を含めた優秀な人材を運び込んだ。このことが後に中華人民共和国における文化大革命時の美術品の組織的破壊から守ることとなった上、インフラ整備や経済発展の原動力となったという説もある。また、戦後の台湾島一帯は、冷戦下においてアメリカと強い関係を持つ蒋介石が統治したため、共産主義者の手に落ちなかったと主張する人もいる。
蒋介石と宋美齢
しかし一方では、二・二八事件における数々の虐殺行為や、戒厳令を敷き、白色テロによる支配を行ったため、「アメリカは、日本には原爆を落としたが、台湾には蒋介石を落とした」として、(特に本省人の間には)根強い拒否反応を持つ者が多い。また、蒋介石が本省人知識階級を大量虐殺し、日本語の使用を完全に禁止[84]したために、台湾経済の発展は大きく後退したとの説もある(台北二二八紀念館の資料等)。また、蒋介石が「反攻大陸」のことを第一に考えたためアメリカや日本などの説得を無視して、国際連合を脱退してしまった。そのため、台湾は現在の様な国際的に国家としては承認されない状況に陥ってしまったと考える者は少なくない。そのため息子の蒋経国などと比べると本省人の間では評価が低い。陳水扁前総統が「二二八の元凶は蒋介石」と言明したが外省人はすぐに反対しており、馬英九総統は「現在の外省人は事件に直接関与したわけではない。二二八の原罪を背負う必要はない」と言って、本省人を憤慨させた。
戴国煇は「(蒋介石は)政治的にも軍事的にも戦術家としては一流であったが、戦略家の器ではなかった」と評し、後継者を息子の経国に指名したことを「毛沢東は周恩来を信じられたが、蒋介石は息子以外誰も信じることができなかった。陽明学の信徒としての限界ではないか」としている。
日本[編集]
[85]蒋介石を日本亡命中に庇護していた犬養毅と頭山満とともに(1929年)
蒋介石は、日本の高田の砲兵学校で軍事教育を受け、日本に亡命した際には日本政財界による支援で清朝打倒に奔走する他、宋美齢との結婚式を日本で挙げることを希望していたなど、その後敵味方に分かれて戦うことになった日本と、生涯に渡り深い関係を持っていた。
1927年、蒋介石率いる国民革命軍が南京に入城すると、革命軍の一部が日・英・米などの領事館を襲撃するという事件(南京事件)が起きた。英米の軍隊がこの行為に対して徹底的に反撃を加えたのに対し、日本は死者を出しながらも無抵抗を貫いた(幣原平和協調外交)。しかしこの政策は裏目に出て、むしろ中国側が日本を侮るようになってしまった。この事件は主に中国軍兵士によるものであるが、日本においては「蒋介石の侮日政策」として知られるようになる[86]。
蒋介石は日本軍との戦いには消極的で、むしろ中国共産党を警戒していた。しかし張学良による西安事件が起こり、共産党と協力して、日中戦争から1945年までは日本軍と戦う事となった。その当時の自身の日記では一転して日本を「倭寇」と表記し終始蔑んでいた。
日本の敗戦後は、「以徳報怨」(徳を以って怨みを報ず)と称して日本兵の中国大陸からの復員に最大限の便を図った。これは当時中国に駐留する日本軍が強力で、戦争中の国民政府軍が兵力は日本軍を上回っていたにもかかわらず連戦連敗であったため、なるべく刺激せずに穏便に撤退させたかったというのが真相のようである。但し、この撤退については後述するように蒋介石を好意的に評価する日本人もいる。
蒋介石が、8月15日に行なった終戦演説で対日抗戦に勝利したことを宣言した一方で次のように国民に訴えた。
「わが中国の同胞は、『旧悪を念わず』と『人に善を為す』ということがわが民族伝統の高く貴い徳性であることを知らなければなりません。われわれは一貫して、日本人民を敵とせず、ただ日本の横暴非道な武力をもちいる軍閥のみを敵と考えると明言してきました。今日、敵軍はわれわれ同盟国が共同してうち倒しました。彼らが投降の条項をすべて忠実に実行するように、われわれが厳格に督励することは言うまでもありません。但し、われわれは報復してはならず、まして無辜の人民に汚辱を加えてはなりません。彼らが自らの誤りと罪悪から抜け出すことができるように、彼らがナチス的軍閥によって愚弄され、駆り立てられたことに、われわれは、慈愛をもって接するのみであります。もし、かっての敵が行なった暴行に対して暴行をもって答え、これまでの彼らの優越感に対して奴隷的屈辱をもって答えるなら、仇討ちは、仇討ちを呼び、永遠に終ることはありません。これはわれわれの仁義の戦いの目的とするところでは、けっしてありません。これはわれわれ軍民同胞一人一人が、今日にあってとくに留意すべきことであります」
日本に関するエピソードにはほかに以下のようなものがある。
日本を連合軍が分割占領することや天皇制廃止には消極的だった。日本のことを熟知していた蒋介石は、ルーズベルト大統領からしばしば意見を求められている。「日本の起こした戦争の主犯者は日本軍閥であるから、日本の国体問題に対しては戦後の日本国民自身が解決すべきであると考える」と述べている(日本の占領政策に関するルーズベルトとの手紙のやりとり)。
終戦時に中国大陸にいた日本人の数は、軍人120万人、民間人80 - 90万人で、復員・引揚には数年を要すると言われていたが、蒋介石の便宜により10ヶ月で復員・引揚を完了させている。しかし、BC級戦犯として、多くの日本軍人を処刑したのも蒋介石の率いる中国国民党政府であった。
カイロ会談では、中華民国は日本に進駐する考えのないことを表し連合国側の占領政策を変えさせた結果、ソ連の北海道進駐を阻止する重大な起点になった[87]。もっとも、蒋介石は、戦後の国共内戦の勃発を予想しており、兵力を日本占領に割くことをためらっていたという説もある。兵力の不足は、台湾の占領が漸く10月になってからであったことや、陳儀長官と共に台湾へ渡った中国軍のレベルが低かったことなどからも十分想像できる。
文化や習俗の面で、非常に日本を尊敬していた。寒い冬の朝でも冷たい水で顔を洗う(貧しかった幼少期蒋介石は冷水で顔を洗っていたが、一般的に中国人にはこのような習慣はない)日本人の話を聞いて、感心したという。また、明治天皇を尊敬しており、戦後も総統代理として蒋経国を明治神宮へ公式参拝させている[88]。
上記の冷水で顔を洗う習慣を耐寒と合理的側面(顔を洗うための湯を沸かす時間と燃料の節約)から中国の軍事教練に取り入れようと考え、総統職についてからも宿舎などを抜き打ちで視察して風紀が乱れていないかを細かくチェックすることを好んだなど日本式の教育方針に影響を受けていた。しかし体罰教育だけには不快感を示し、面子を大事にする中国人を教育するにあたって不適当であるとして導入を避けた。
第二次大戦中に、日本軍が拉孟・騰越で連合軍の大軍[89]を相手に戦い、それぞれ味方の6倍の損害を与えて玉砕したことを讃え、「東洋道徳の範とせよ」と中国軍に訓令を発している[90]。
戦後、台湾へ移ってからは、富田直亮少将を団長とする旧日本軍の将校団(白団)を招き、国府(中華民国国民政府)軍を秘密裏に訓練させた。米国政府はこれを厳しく非難し、国府軍内にも反対の声が挙がったが、蒋介石は白団による教育訓練を断固推進した。1949年10月、中国人民解放軍が金門島等へ大挙侵攻を図った際は、旧日本軍の根本博中将[91]らが国府軍を作戦指導し、人民解放軍を完膚なきまでに撃破している[92](金門砲戦)。台湾には米国から正式な軍事顧問団も派遣されたが、蒋介石があえて旧日本軍将校を頼りにしたのは、楊氏によれば「物量が頼りの米軍方式ではなく、劣勢の兵力でいかに優勢な軍に勝つかという日本軍の作戦が上策だった」からと言われている。
日本の保守派の蒋介石観の変遷[編集]
戦後、日本の歴代政権は中華民国を反共陣営の一員として、また国連の常任理事国として修好に努めていたが、日本と中華人民共和国の間に国交樹立の機運が高まると中国国民党は危機感を強め、日本の保守メディアに急接近し様々な宣伝活動を行うようになった。代表例としてサンケイ新聞による蒋介石秘録の連載、國民新聞による反中国共産党パンフレットの発行、マスコミ総合研究所の雑誌アジア・レポートの発行。そのような中で「以徳報怨」は多くの自民党政治家や保守言論人がこの言葉を引用し蒋介石礼賛を行った。
しかし1990年代半ば、中華民国の民主化が進み、「台湾独立派」の政党が誕生すると、蒋介石の後継である「ひとつの中国」を標榜する国民党は、むしろ親中共派的な位置に立つ事となった。日本国内において活動する台湾独立運動家たちが、敵の敵は味方、反中国の観点から日本の保守派に接近した。独立派の代表的人物である金美齢がコーディネートしたとされる漫画家小林よしのりの「台湾論」が成功を収め、日本の若者に対しても蒋介石=悪玉論が広まった。黄文雄の著作にいたっては蒋介石は共産主義者であったかのような記述も垣間見られるようになった。
日中戦争における日本の立場を肯定する立場の言論人も、中華民国側に非がある理由として、蒋介石の「侮日政策」をあげつらうようになった。蒋介石を高く評価する理由のひとつである「以徳報怨」も、日本軍に対抗出来ない状況による窮余の策である事が指摘されるようになった。それに引き摺られる形でかつて蒋介石を礼賛していた産経新聞や保守言論人も蒋介石に否定的な意見を述べるようになっている。
このような現況に対し、平沼赳夫は2008年1月28日にマスコミ総合研究所の会合で、「蒋介石が日本の天皇制を守ってくれた」と擁護し、「日本と中華民国の国交が断絶した後も、日本の政治家が中華民国を訪れた時は蒋介石の墓に参るのが礼儀であったが近年は行われなくなった」との批判を行った。また、小林よしのりの著作にも、蒋介石を「単純な悪玉」としてあげつらうことには否定的と見られる記述がある。
2009年12月23日日本李登輝友の会が主催した日台共栄の夕べに出席した自民党青嵐会出身の森喜朗が、金美齢の面前で「日本が今日あるのは蒋介石のおかげであり、日本人は蒋介石に感謝しなくてはならない」とのスピーチを行った。
中国大陸[編集]
蒋介石とは大陸で内戦を戦い、中華民国が台湾へ移った後も海峡を挟んで長らく対立していたため、その評判はすこぶる悪かった。しかし、中国国民党の台湾化が進み、民主進歩党などの野党が結成され、台湾独立運動が盛んになってくると、蒋介石の役割が再評価され始めた。これは、生前の蒋介石が「反攻大陸」を国是とし、共産党とは別の立場から「一つの中国」を主張していたため、蒋介石の評価を高めることによって「台湾独立」を牽制する狙いがあると見られている。
人物[編集]
陽明学の信奉者だった。
戦後にGHQが安岡正篤を戦犯に指定しようとした際に、蒋介石が反対したとも言われている。
遺されている小物や衣服、写真を見てわかるとおり、公式の場で特注の軍服などを着用していたものの、プライベートでは派手好きな妻と反対に非常に質素な生活を好み、静養地でも読書に耽っていたり、妻と茶などを楽しむ程度だった。
総統に就任してからも、毎朝5時に起床し、朝食までの時間を漢書を主とした読書などといった勉強の為にあてるなど、普段から規則正しい生活を送り続け、終生生真面目さを失わなかったと伝えられている。
第一次国共合作の頃は、「赤い将軍」として共産主義を礼賛していたが、欧米の圧力や浙江財閥との関係により、「上海クーデター」以降は反共主義者となり、日中戦争勃発の前は抗日闘争よりも共産党を弾圧する政策を優先した[93]。また、スターリンは、毛沢東よりも蒋介石を高く評価していた[94]と言われ、毛と中国共産党を犠牲にしても蒋介石を通じて、中華民国を赤化させるつもりであったという説もある。実際、西安事件の際は、毛沢東は蒋介石の処刑を主張したというが、スターリンは許可しなかった。蒋介石の息子である蒋経国は、実質的な人質としてモスクワへ留学している。
辛亥革命前後に青幇に加入し杜月笙http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%8B%E4%BB%8B%E7%9F%B3とは義兄弟の関係であり[95]、上海クーデターの際には青幇の協力を得て共産党員の大量殺害を行なった。その後も青幇の麻薬資金が蒋介石の経済的基盤となる。杜月笙の墓地には蒋介石揮毫による「義節聿昭」の牌がある。

8月11日 トルーマンのオクスナム主教への回答

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8月9日 アメリカ・キリスト教会連盟オクスナム主教「多くのキリスト教徒は、日本の都市に対する原子爆弾の使用に深く心を痛めております。何故なら、原爆の使用は必然的に無差別破壊をもたらし、人類の未来にとって極めて危険な前例となるからです。……原爆は人類に託されたものと見なすべきであり、日本国民に対して新型爆弾に関する事実を確認させ、降伏条件の受諾に十分な機会と時間が与えられるべきである事。そして、日本国民にこれ以上の原爆による破壊がもたらされる前に、日本が最後通牒について考え直す十分な機会が与えられる事を謹んで要請する」
8月11日 トルーマンのオクスナム主教への回答「私ほど原爆の使用に心を痛めている人間はいません。しかし、私は日本の宣戦布告なき真珠湾攻撃と戦争捕虜の虐殺にも非常に心を痛めました。日本人が理解する唯一の言葉というのは、私達が日本人に対して原爆投下をする事のように思えます。『獣』と接するときは、それを『獣』として扱わなければなりません。非常に残念な事でありますが、それが真実です」
http://d.hatena.ne.jp/nisikiyama2-14+kurigonn-1957/?of=32

司教を虐殺したのは中国人である。

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異教徒との戦い
今度はカトリック新聞、捏造と闘おう
まことに憂慮すべき捏造が、カトリック新聞オンラインに掲載され、カトリック信者のネットワークを通じて、
まず、世界の全カトリック信者とカトリックの総本山であるバチカンが、「日本人は残虐な世界の敵」だと認識し、
次にそこから世界の全キリスト教徒さらに無数の良識のある人々が、「日本人は異常な残虐性をもつ敵」だと思いかねない事態が進行している。
世界のキリスト教信者は二十二億人であり、そのうちカトリック信者は十一億六六〇〇万人であり、良識ある人々はそれこそ無数である。
これは、今までの中国と朝鮮・韓国による、南京大虐殺と従軍慰安婦の捏造による反日プロパガンダに加えて、
日本人は西洋人の聖職者も殺戮していた人類の文明に対する敵だという強烈なプロパガンダを可能にする捏造である。
このことは、祖国日本を愛する女性(自衛隊佐官)から戴いた手紙によって、靖国神社の参拝を終えた本日朝、教えていただいた。彼女は、知人から、カトリック新聞に気になる記事が掲載されていると指摘され、知るところとなった。
彼女の了解を得ていないが、一刻も速く、諸兄姉に知っていただきたいと思い、ここに記すことにする。
1(文献1)、
April 11、2013(2013年4月11日)「カトリック新聞オンライン」
見出しは、
「旧日本軍に殺された司教、列福へ一歩前進」
そして、
「2012年10月に行われた殉教75周年記念式典で、日本からのメッセージを代読する深水正勝神父(手前)」
との説明をつけたオランダでの追悼ミサの写真が掲載されている。
記事の内容は以下の通り
昭和12年10月に河北省のカトリック施設に日本軍が来て、施設内の200名の女性を引き渡すよう要求し、それを拒否したオランダ人司教以下9名の宣教師を殺害した。
後日、日本軍の宣撫班のカトリック信者の将校がやってきて、追悼式を実施し、日本軍も参加した。
昨年2012年10月に日本カトリック司教協議会から派遣された司教が、当時の日本の行為を謝罪した。
2(文献2)、
1937年11月12日、26日の
「Catholic Herald」
1937年11月23日の
「The New York Tims」
彼女は、カトリック新聞オンラインが伝える事件の日付けから当時の「Catholic Herald」と「The New York Tims」の記事を調べた。
すると、全く逆の次の事実が報道されていた!
9人のオランダ人聖職者達は、中国の山賊に誘拐され身代金5万ドルを要求された。
日本軍は付近の地域一帯を徹底的に捜索して山賊を追い司教を救出しようとし、地元自警団2000人も日本軍に協力したが、誘拐された聖職者は山賊に殺されていた。
この(資料2)の報道は、当時為されたものであり真実であろう。しかも、事件から七十六年後の(資料1)の記事の奇妙な点も解決する。
この奇妙な点とは、日本軍将校が殺害された司教の追悼式を実施し日本軍も参加した、という点だ。
つまり、司教を殺害したのは中国の山賊であり、司教を救出しようとして懸命に付近を捜索したのは日本軍である。従って、日本軍が追悼式を実施しそれに日本軍が参加したのである。
これが真実だ。
司教を虐殺したのは中国人である。
またしてもそれを日本人が為したと捏造され世界に流布されようとしている。誰が捏造しているのか。
とにかく、この明々白々の捏造を反転攻勢の梃子にして我が日本民族への侮辱を一挙に払拭しなければならない。西村眞悟ホームページ2013.4.23
http://www.cathoshin.com/2013/04/11/schrave/
どこから書いたらいいのだろう
カトリック新聞オンライン 「なぜ今、奄美か」正平協全国会議
正平協=日本カトリック正義と平和協議会
http://www.cathoshin.com/tag/%E6%AD%A3%E5%B9%B3%E5%8D%94/
http://osaka9.web.fc2.com/
日本カトリック正義と平和協議会会長松浦悟郎氏は九条の会おおさかの呼びかけ人である
またエキュメニカル運動と称してNCC日本キリスト教協議会(西早稲田2-3-18)とも超宗派による反日活動をしている
【wiki】エキュメニズム
エキュメニズム (Ecumenism) は、キリスト教の超教派による結束を目指す主義、キリスト教の教会一致促進運動のことである。世界教会主義(せかいきょうかいしゅぎ)ともいう。転じて、キリスト教相互のみならず、より幅広くキリスト教を含む諸宗教間の対話と協力を目指す運動のことをさす場合もある。
【wiki】カトリック正義と平和協議会
諸団体と協力・連携し行っている主な活動
カトリック正義と平和協議会公式ホームページやカトリック新聞によると、現在次のような諸団体と協力・連携して取り組んでいるとされている。
東京教区正義と平和委員会に参加・協力
「慰安婦」問題。国際連合から日本政府に対して慰安婦に謝罪と補償を求める勧告が出されるようにロビー活動を行い、その結果、国連人権委員会でクマラスワミ報告書が出された。
死刑問題
冤罪問題
拷問禁止条約問題
進出企業問題等
NCC(日本キリスト教協議会)との連携・取組み
外登法問題(外登法問題と取り組む全国キリスト者連絡協議会参加)
靖国、平和祈念館問題(「NCC靖国委員会」参加)
「平和-核問題委員会」参加
宗教法人法/政教分離問題
全国キリスト教学校人権教育研究協議会
RAIK(在日韓国人問題研究所)協力
外国人労働者問題 外国人住民基本法案
また、在日本韓国YMCAは反天連はじめ様々な反日活動の拠点になっているが
YMCAが反日活動の拠点なのは戦前からのことだ
反日ネットワークの正体
今回の西村眞悟議員のメルマガを読んで更に知ってもらいたい部分があるので引用したいと思う
『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾』 江崎道朗著 展転社p130~p132
欧米キリスト教社会において、大きな組織力を誇るYMCAは蒋介石中国国民党政権とは背後で深く繋がっていた。
1858年の天津条約で、中国での布教を保障された欧米のキリスト教伝道団は宣教師を派遣した。
ところが1923年、国共合作に踏み切った中国国民党のもとで中国共産党は、学生と労働者を組織し、排外ナショナリズムを煽った。その余波を受けて、キリスト教大学でも「宗教教育必須化の廃止」「YMCA活動の抑制」などを求めて学生たちが連日のようにデモやストを行った。この影響で1927年には、キリスト教系大学の入学者数は前年比の三割減となり、このままだと廃校に追い込まれる恐れが出てきた。
多額の資金と人材を投入して築いた布教の拠点であるキリスト教系大学を、この過激な学生運動から救ったのが、蒋介石であった。
学生運動を指導していた「全国学生連合会」の背後には、「スターリン・グループのタカ派」と呼ばれた周恩来ら中国共産党の暗躍があった。このままだと共産党に政権を乗っ取られるという危機感を抱いた蒋介石は1927年4月、上海で共産党員の粛清を断行し、7月には国共合作を中止した。このため、学生運動は一気に終息したのである。
同時並行で蒋介石は1926年7月、各地を割拠する軍閥を打倒すべく北伐を開始しており、1928年6月に北京を占領、ほぼ中国統一を成し遂げていた。
しかも蒋介石は1927年12月にクリスチャンの宋美麗と再婚し、翌1928年に南京国民政府の国家主席に就任の後、1930年10月、洗礼を受けクリスチャンになっていた。
かくしてYMCAを始めとするアメリカのキリスト教団体は、軍閥が割拠していた中国の統一を成し遂げつつあるクリスチャンの蒋介石を「中国のジョージ・ワシントン」、「キリスト教の保護者」と見なし、熱烈に支持するおうになったのである。
このような経緯からYMCAらアメリカのキリスト教徒にとってみれば、日中戦争は当然のことながら、「中国のキリスト教化を支援するクリスチャンの蒋介石」と「異教徒の日本」との戦いであった。 自分のイメージで言え
ば一神教とは
こういう二元論に成り立つ世界で引用部分はそれがよく表れていると思う
反日を追うようになってからキリスト教会というのも相当政治色があり政治利用されたり工作員が入り込んだりするものだと分かった
勿論キリスト教を全否定するものではないが相当疑ってかかる必要があるように思う
「汝偽証するなかれ」
これはキリスト教の言葉ではなかったか....
「正義」「平和」をうたっているが
事実を偽って他者を悪魔化(demonize)するのが許される宗派なのだろうか
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/tag/%E8%92%8B%E4%BB%8B%E7%9F%B3
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韓国系YMCAや日本キリスト教団が韓国の団体に貸している事務所は、日本で働く反日工作員らの巣になっています。
日本キリスト教団は、韓国の団体に事務所を貸さない方がいい。
住所や電話番号が韓国の工作員らに利用されている。

韓国系の教会は日本の教会に戦争経験者を送って、戦争中日本軍が韓国のクリスチャンを迫害したと宣伝している。
本当に迫害していたようなので、事実なら仕方がない。
天皇を拝まない韓国人(当時は日本人)は、徹底的に迫害したようだ。
日本人のクリスチャンも、殺されるほど殴られたり、投獄されたりしていた。
韓国の日本人だから特に迫害されたわけではない。
現在の韓国系教会の中には、異端が多く存在している。
ただし、アメリカの韓国系のバプテスト系の教会はちゃんと福音を伝えている。

日本キリスト教団は、戦争の時、政府に協力していた。今は、韓国に協力して反日政策を援助している。おかしいんじゃないの?

実は、日本キリスト教団も日本人のクリスチャンは、利用されていることも知らないのではないかと思う。
だいたい、日本キリスト教団のみなさんの中には、実はイエス・キリストを信じていないけれども
自分はクリスチャンだと思っていて、日曜日は教会に行く人が多い。
ただし、酒も飲むしタバコも吸うし、偶像礼拝もする。他人の葬式で手を合わせ、焼香をし、地域の祭りに参加して神輿を担ぐ。そんなクリスチャンは、いない。つまり、日本キリスト教団のクリスチャンは、ほとんど、本当はクリスチャンではないのだ。
聖書の言葉に従わないし、従う気も無いし、イエス・キリストが自分の罪の救い主で神様のひとり子だと信じていないのだから、クリスチャンなわけがない。

ソチ五輪に参加する同性愛者は、ロシアにいる間は、未成年にアプローチしない!

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「ソチ五輪が露反同性愛法の影響を受けてはならない」、IOC会長
2013年08月19日 13:15 発信地:ベルリン/ドイツ
ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領(右から2人目)と国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ(Jacques Rogge)会長(左)。2014年ソチ冬季五輪の会場予定地、
ゴルナヤ・カルーセル(Gornaya Karusel)リゾートで(2013年2月6日撮影、資料写真)。(c)AFP/RIA-NOVOSTI/ALEXEY DRUZHININ
【8月19日 AFP】国際オリンピック委員会(International Olympic Committee、IOC)のジャック・ロゲ(Jacques Rogge)会長が、2014年に開催されるソチ冬季五輪は同性愛者を含む全ての参加者にオープンであるべきだと語った。
ロゲ会長は18日付のドイツ紙ターゲスシュピーゲル(Tagesspiegel)で、「IOCは、スポーツをすることはひとつの人権であると認識しており、民族、性別、性的指向にかかわらず全ての人が参加できるものでなくてはならない」と語った。「五輪は全ての人にオープンでなくてはならない。それは観客、役員、ジャーナリスト、そしてもちろんアスリートにも当てはまる」
IOC会長を12年間務め来月退任する予定のロゲ氏は、「IOCは五輪が差別なく開催されるよう努力を続ける」と付け加えた。「この原則を脅かそうとする動きには全力で対抗する」
ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領は6月、未成年者に対する「同性愛プロパガンダ」を行った者に罰金を科すことを定めた法案に署名した。活動家たちは、同法が同性愛者の弾圧に利用されたり、ソチ五輪参加者に対して適用される可能性があると懸念している。(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/sports-others-others/2962493/11215524?ctm_campaign=txt_topics
「未成年者に対する「同性愛プロパガンダ」を行った者に罰金を科す」
これはいい法律です。
なぜなら、未成年者は経験が少なく、精神的にも未熟な者が多いので、年齢が上の者や経験豊富な者に引っ張られるからです。
同性愛者が未成年者にプロパガンダを行うと
未成年者が負けて同性愛嗜好に引きずられる可能性が高くなるからです。
IOCは、韓国人がスポーツの場所に日本を貶めるプロパガンダを持ち込まないよう指導ができるのか。できていないから、彼らはスポーツの場で政治的プロパガンダを繰り返すのだ。
そういう大事なことをきちんとやらないで、同性愛者をかばってどうする。
個人の性的嗜好または、精神的な病をかばってどうする。
聖書には、はっきりと「罪です。」と書いてあります。
自然に反することだからです。 ソチ五輪に参加する同性愛者は、ロシアにいる間は、未成年にアプローチしないようにしたらいいだけです。

現代の日本人の間に見られる無神論は、日本民族が堕落した結果

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古代日本とユダヤ・キリスト教
古代日本人はヤハウェを信じていた
神道の多神教以前に、ヤハウェ信仰があった。
日本の伝統的宗教である「神道(しんとう)」では、神は「八百万(やおよろず)の神」と言われ、数多くの神々がいるとされています。
しかし、古代日本人は、本当に初めからそのような多神教の神々を拝んでいたのでしょうか。
最初に一神教があり後に多神教になった
以前、多くの人類学の本の説明では、宗教は次のように発展してきた、と説明されていました。
すなわち、はじめに石や樹木などに宿る精霊(しょうりょう)を拝する「精霊信仰」(アニミズム)などの原始的形態があり、そこから「多神教」に発展し、さらに進んで多くの神々の中から一つの神だけを拝するゾロアスター教などの「拝一神教(はいいつしんきょう)」が生まれ、さらにそれが高度化して、高度な倫理体系と整備された教理を持つユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの「唯一神教」が生まれたのだ、と。
しかし、二〇世紀の考古学の発達は、事実は全く逆であったことを明らかにしました。
すなわち、宗教は決してこのような進化論的な形で発展してきたのではなく、はじめにあったのは、ただおひとりの神を信じる"一神教"でした。そこから、堕落した形態として"多神教"が現われたのです。
たとえば、人類学上最も古い民族の一つとされるスメリヤ人は、その文化の終わり頃には五千の神々を持っていました。しかし、その文化の初期には、ただひとりの神「空の神」がいただけです。
この「空の神」は、聖書の教える「天の神」に通じるものでしょう。元来は同じ神に違いありません。
また、有名なエジプトの考古学者フリンダース・ペトリ卿は、エジプトの宗教ははじめは「一神教」だったと言っています。
オクスフォード大学のスティーブン・ラングドン博士は、バビロニアで碑文を発見し、その研究から、世界最古の宗教が何であったかについて、言及しています。それによるとその碑文は、人類最初の宗教は唯一神の信仰であって、そこから急速に多神教と偶像崇拝に傾いていったことを、示していたとのことです(ラングドン著『セム族の神話』)。
W・シュミット、W・コッペルスなどの有力な学者たちも、豊富な資料に基づき、一神教こそはあらゆる原始的宗教の基本となるもので、これが後に堕落変形して、他の様々な宗教形態が生じた事実を、明らかにしました。
このように、宗教は精霊信仰→多神教→拝一神教→唯一神教と進化発展してきたのではなく、むしろ、唯一神教→多神教→無神論と堕落してきたのです。
考古学者たちは、一神教が堕落して
多神教になった事実を明らかにしている。
とすれば、日本神道で言われている「八百万の神」の多神教も、じつは初めからそのような多神教だったのではなく、もとは一神教であり、それが堕落してできた形ではないか、という推測が出てきます。
初期の日本人は非常に霊性の高い人々だった
私たちは古代の日本人について調べてみるとき、彼らが霊性の非常に高い人々であったことを知ります。
今日、日本人の精神的荒廃が叫ばれて久しくなりますが、古代の日本人は、ある種の風格と高い霊性を持つ民族でした。
たとえば、初代天皇である神武天皇の生涯を日本書紀に読んでみても、神武天皇はつねに天の神を祀り、信仰していた人でした。そして、
「わがみおやの霊よ、天より降りみそなわし、我が身を照らし、助けたまえ」
と祈る敬虔、かつ謙虚な人物であったことがわかります。
神武天皇は、篤く天の神を敬う人だった。
神武天皇はまた、長随彦(ながすねひこ)に和議を拒まれたのみか、さんざんに攻めあぐまれたとき、言いました。
「私は日の神の子孫であるのに、日に向かって敵を討つのは、天道に逆らっている。一度は退却してたとえ弱そうに見せても、神をうやまい祀ろう。
背中に太陽を負い、日の神の威光をかりて、敵に襲いかかるのがよいだろう。このようにすれば、刃に血をぬることなく、敵はきっと敗れるだろう」
と。天皇は戦況の悪化の中にも、神を第一にして退却したのです。
彼は先祖の神を拝し、声高く雄叫びして祈願しました。こうして難をのがれたのですが、そののち神の祝福と導きがあって、戦況は一転し始めました。
そしてついに、長随彦の大軍勢も降伏し、国は平定されたのです。
神を第一とした神武天皇のこの敬虔さは、イスラエル民族の指導者ヨシュアにも比すべきものです。ヨシュアも、天の神をあつく信仰しつつ、約束の地カナンを目指して民を率いた人物でした。
ヨシュアは、「先祖の神」すなわち「アブラハム、イサク、ヤコブの神」に祈りを捧げながら、その力を得て敵に打ち勝ちました。そしてついにカナンの地を平定しました。
確かに、ヨシュアの信じた神は唯一神ヤハウェであり、一方、神武天皇の信じた神は、日本書紀によれば多神教の神であるという違いはあります。
しかし、世界の多神教をいろいろ調べてみると、多神教を拝む人々というのは、これほどに高い霊性を持っていないのが普通なのです。一般に多神教は、みだらなものであったり、愚かしいものであったりするのが普通です。
ところが、神武天皇の信仰などを見てみると、その信仰は一神教の信仰に比すことができるほど、ひじょうに気高いものとなっています。あたかも、古代イスラエル人が唯一の神に対して抱いた信仰にも、似ていると言えるのです。
古代日本人は、「清く、明るく、さやけき(汚れなき)心」で、神に仕えようとしました。これは旧約聖書が教える神への信仰にも通じるものです。
原日本人は、非常に高い霊性――気高い宗教的情操を持っていました。その霊性は本来、多神教のものというよりは、一神教の信仰を偲ばせるものです。
最初の至高神
日本書紀によれば、神武天皇は、「日の神」の威光をかりて敵を討とうと言いました。「日の神」とは、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」です。
では天照大神は、神道の神々の中で一番偉い最初の神様なのかというと、そうではありません。天照大神の生まれる以前に、もっと偉い神様がいたことになっています。
天照大神の両親は、「伊邪那岐神(いざなぎのかみ)」と「伊邪那美神(いざなみのかみ)」でした。天照大神にはまた、「須佐之男命(すさのおのみこと)」という弟もいました。
さらに、伊邪那岐神と伊邪那美神が生まれる前に生まれた神々も、います。
古事記の中では、神々の中で一番最初に現われたのは「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」、「高御産巣日神(たかむすびのかみ)」、「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の三神とされています。
これら最初の三神の中でも、「天之御中主神」は、天上界の中心にいて、天地を主宰する中心的な神です。この神は、親も系譜もない単独の神であり、姿を現わさず、目に見えない神とされました。最初の神であって、至高神なのです。
ここらへんの『記紀(きき)』(古事記と日本書紀)の記述は、なにやら聖書の教える三位一体の神に、どこか似ていると思わせるものがあります。
神武天皇や、古代の日本人は、天照大神だけでなく、これら最初の三神を祀り、信奉していたとされています。また、その三神のあとの宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)や、天之常立神(あめのとこたちのかみ)、そして「神世七代(かみよななよ)」の神々などを信奉していたとされています。
しかし、古代の日本人は、本当にこのように多くの神々を信奉していたのでしょうか。
日本神話の多神教はバビロニア等の多神教の影響を受けている
聖書の教える唯一の神は、お名前を「ヤハウェ」(ヤーウェ Yahweh, )といいます。
人間に、太郎や花子といった固有の名前があるのと同じように、ヤハウェは神ご自身の固有のお名前です。ヤハウェにはまた短縮形があり、その短縮形は「ヤハ」(ヤァ)といいます。
一方、「神」という普通名詞は、ヘブル語で「エル」といいます。これは単数形で、複数形はエロヒムです。
アブラハムの子孫、イスラエル民族などにおいては、神は唯一のお方として信じられ続けました。しかし他の民族においては、宗教的堕落とともに、多神教が発生していきました。
多神教は、次のような形で生まれていきました。たとえばバビロニア(メソポタミヤ)では、しだいに堕落した人々は、「エル」はおひとりではなく、妻や子どももいるのではないか、と考えるようになりました。
「エル」に妻がいると考えるようになった人々は、その妻を「アシュタロテ」と呼びました。また、元来は普通名詞だった「エル」も、彼らの間では固有名詞化して使われるようになりました。
また、エルとアシュタロテからは、「バアル」という息子と「アナト」という娘が生まれた、とされました。こうして、最初の神から子どもが生まれたと考える形で、多神教が発生していったのです。
じつは、この「バアル」という神は、日本のスサノオノミコトという神によく似ています。
バアルは、ラス・シャムラ土板という古代の碑文によると、嵐の神です。彼は牛の角のついたかぶとをかぶり、鎚矛(つちほこ)と電光を放って、武装しています。
また雷鳴と電光の中に現われ、秋と冬の雨をもたらします。バアルは人身牛頭の神であり、嵐の神なのです。
これは日本神話のスサノオノミコトの姿に、じつによく似ています。スサノウは別名「牛頭天王(ごずてんのう)」と言われ、嵐の神とされているのです。
京都の八坂神社では、スサノウは牛頭天王として祭られています。スサノウはまた、天上界で乱暴狼藉を働いたとされる荒ぶる神であり、暴風雨を司る神です。
一方、女神アシュタロテは、やがてギリシャでは、「アフロディテ」、ローマでは「ヴィーナス」の名で信奉されるようになりました。
日本の神話では、このアシュタロテとアナトが同化して、アマテラス(天照大神)になったのではないかと、神道家の鹿島昇氏は見ています(鹿島昇著『日本神道の謎』光文社カッパブックス)。
アシュタロテ。この女神は、
ギリシャではアフロディテ、
ローマではヴィーナス、
そしておそらく日本では
アマテラスオオミカミの名で、
信奉されるようになった。
このように、アマテラスやスサノオの神話は、バビロニアの神話が若干変形しながら伝わってきたもの、と見ることができそうです。
ほかにも、日本の神話の中には、ギリシャや、インド、インドネシア、中国の神話と同型同根(どうけいどうこん)のものが数多く見られます。詳細は省きますが、日本の神話は、それらの地方から伝わった様々な多神教神話の集合体であることが、明らかなのです。
つまり、『記紀』に述べられた八百万の神の多神教神話は、あとからのものであって、元来はもっと別のものだったでしょう。
実際、古事記と日本書紀とでは、神々の神話内容に、いくつかの相違や矛盾が見られます。それはそうした神話が、あとから付け加えられたものであることを示しています。
古代の日本人は、みなが多神教を信じていたのではありません。じつは古代日本人の中には、堕落した多神教ではなく、唯一の神ヤハウェを信じる人々もいたと思われるのです。
アジアには古来ヤハウェ信仰を持つ民族がいる
こう書くと、ある人々は、
「まさか。神ヤハウェを信じていた人々は、イスラエル人だけだったのではないのか。日本は、その地からはるかに遠い所にある。どうして日本にヤハウェ信仰があるだろうか」
というかも知れません。しかし、ヤハウェ信仰は古来、アジアにもあったのです。
たとえば、東南アジアに位置するミャンマー(旧ビルマ)に、カレン族という人々がいます。彼らは、先祖伝来のヤハウェ信仰を今も保持しています。
彼らは、神の御名ヤハウェを短縮形の「ヤァ」(Ya)で呼んでいます。短縮形ヤァは、聖書にも何度も出てきます。たとえば、詩篇一一八・五の
「私は主を呼び求めた」
の「主」は、原語のヘブル語では「ヤァ」(ヤハ、Yah, )なのです。古代イスラエル人も、神を「ヤァ」と呼んでいたのです。
カレン族は、ヤァは永遠、完全な唯一神であり、宇宙を創造し、人を創造された全知全能のお方であると言い伝えてきました。彼らにはまた、聖書の内容に酷似する人間堕落伝承や、大洪水伝承、バベルの塔や、民族の起源に関する伝承もあります。
カレン族には古来、ヤハウェ信仰がある。
カレン族はこれらの知識を、決してキリスト教の宣教師に教わったわけではありません。ただ大昔の先祖に教えられたことを、大切に言い伝えてきたにすぎないのです。
カレン族のヤハウェ信仰は、聖書の流れとは独立して言い伝えられてきたものです。(詳しくはレムナント七七号「カレン族に先祖代々伝わるヤハウェ信仰」参照)。
また、ニュージーランドなどに住むマオリ族にも、古来、ヤハウェ信仰があります。
マオリ族もまた、永遠、不死の至高の神、宇宙を創造し人を創造された全知全能のおかた、恵み深い見えない神を信じています。彼らにはまた、聖書の内容に酷似する人間堕落伝承があります。
彼らはその創造者なる神を、「ヨォ」(Io)または「ヤェ」と呼んでいます。これはヤハウェの短縮形「ヤァ」の若干なまったものと理解できそうです。
彼らはこの神について、宣教師から教わったわけではありません。単に大昔から、先祖の教えた神を忠実に言い伝えてきたにすぎないのです。
マオリ族にも古来、ヤハウェ信仰がある。
マオリ族は東南アジア方面から来た民族であることが知られています。彼らのヤハウェ信仰も、聖書の流れとは独立して存在してきたのです(Creation ex nihilo, Vol.18 No.4, CSF)。
中国の苗族(ミャオ族)にも、古来、同様のヤハウェ信仰があります。
苗族にもまた、天地を創造し、あらゆる生物と人類を創造された創造主なる神に関する言い伝えがあります。またその言い伝えは、大昔の大洪水と人類の絶滅、箱舟によって一家族が助かったこと、またバベルの塔、民族の起源などに関するものも含まれ、その内容は驚くほど聖書のものに酷似しています。
苗族の言い伝えもまた、キリスト教の宣教師によるものではありません。彼らは単に、大昔の先祖の言い伝えを忠実に保持してきたにすぎないのです(聖書と科学の会『インパクト』一五九号)。
苗族にも古来、ヤハウェ信仰がある。
(苗族の子どもたち)
このように現在も、カレン族、マオリ族、苗族などに、ヤハウェ信仰が見られます。さらに昔にさかのぼれば、もっと多くの民族がヤハウェ信仰を持っていたことでしょう。
カレン族にしても、マオリ族にしても、苗族にしても、みな日本人の祖先と非常に関係の深いと言われる民族です。彼らの顔形は日本人とほとんど変わりなく、言語や風習においても似たものがあり、近縁であることは明らかです。
カレン族、マオリ族、苗族などは、周囲の民族が急速に多神教に堕落していく中でも、それらに毒されることなく、古来のヤハウェ信仰を保持してきました。
彼らや、他の幾つかの民族が混血して、日本人となったと言われています。そうであれば、古代の日本人にヤハウェ信仰があったとしても、決して不思議なことではありません。
イサク伝承を日本に伝えた人々
さて、先月見たように長野県の諏訪大社に、旧約聖書のイサク伝承と全く同型のものが、祭りとして、少なくとも江戸時代くらいまでは存在していました(レムナント九六号「諏訪大社に伝わるイサク奉献伝承」)。
その祭りでは、子どもが縛られ、竹のむしろの上に置かれ、小刀が出されますが、使者の到来と共に子どもは解放されます。またこの祭りでは、動物のいけにえがなされるのです。
そこには「守屋山(もりやさん)」(モリヤ山)と呼ばれる所があり、その地の神は「洩矢神(もりやのかみ)」(モリヤの神)と呼ばれています。また「ミ・イサク・チ」という名前も登場します。
このように、この祭りはまさに、モリヤの地でイサクを捧げようとしたアブラハムの手を止められた神に関する記憶、と考えるほかありません。イサク伝承は、ヤハウェ信仰の人々以外は持っていないのです。
ちなみに、ヘブル語の「モリヤ」()は、「ヤハウェの啓示」の意味です。諏訪大社に「モリヤの神」とイサク伝承を伝えた人々は、明らかにヤハウェ信仰の人々だったでしょう。
諏訪大社では古くから、なんと
イサク伝承が祭として伝えられていた。
また、レムナント九二号「日本神道のルーツは古代イスラエル宗教」でも述べたように、日本の神社の構造が古代イスラエルの幕屋にたいへん似ているのは、一体なぜでしょうか。
神主の服をはじめ、おみこし、みそぎ、そのほか日本古来の風習の多くが、古代イスラエルの習慣にあまりにもよく似ているのは、一体なぜでしょうか。
さらに、日本の民謡にヤハウェ信仰の痕跡が随所に見られることは、興味深いことです。これについては、レムナント八九号「日本ヘブル詩歌の研究」でも紹介しましたが、同じくこれを研究した手島郁郎は、こう述べています。
「じつは、サンフランシスコ教会の牧師だった川守田英二博士は、日本の全国いたる所に残っている神社の祭りの唄やハヤシ唄の中に、ヘブル語の痕跡が残っていることを広く考証して、数冊の著書を出しています。私は、卓抜な研究だと思います。
たとえば、桃太郎が鬼ガ島を征伐に出かけたとき『エンヤラヤ、エンヤラヤ』と歌って家来を鼓舞したという物語は、日本人なら誰でも知っている童話ですが、さて『エンヤラヤ』とは何か? と子どもから聞かれると、
親たちは困ってしまいます。
エンヤラヤ( エァニ・アーレル・ヤ)とは、『私はヤハウェを讃美します』というヘブル語(ユダヤ人の言葉)となります。
熊本の八代の妙見社の御祭を見物したことがありますが、御輿をかついで『ハレルヤ、ハーリヤ、ハーリヤ、トーセ・・・・ヤウェ、ヤウェ、ヨイトンナー』と、ヘブル語そのままに歌われていました・・・・」(キリスト聖書塾刊『生命の光』二五〇号、四頁)。
また、神武天皇の物語の中にも、ヤハウェ信仰の痕跡が感じられます。ユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグは、神武天皇の物語を読んだとき、昔イスラエル民族がカナンの地に向かった時のことを思い起こさざるを得なかった、と言っています。
日本書紀によると、神武天皇は「キノエトラ」(甲寅)の年に、「東征」に向かい、「葦原(あしはら)の国」の中心である大和に旅立ちました。一方、古代イスラエル民族はシナイ山で「律法を授かった年」に、北東へ旅立ち、「カナンの地」に向かいました。
アイデルバーグによると、この「律法を授かる」は、ヘブル語で「キニヤ・トラ」といいます。キニヤは得る(箴言四・七)、トラ(トーラー)は律法の意味です(出エ一二・四九)。
一方「カナン」は、「カネ・ナー」の合成語と考えると、それは「葦原」の意味だといいます。カネは葦(Ⅰ列王一四・一五)、ナーは原です。
つまり、神武天皇が「キノエトラ」の年に「東征」に向かい、「葦原の国」の中心地・大和に旅だったという物語は、かつてイスラエル民族が律法を授かった年に北東に向かい、カナンの地へ旅だったという物語を"下地"としている、と思われます。
モーセが律法を授かった(キニヤ・トラ)年に
カナン(葦原)に旅だったように、神武天皇は、
キノエトラの年に葦原の国の中心地へ旅だった。
日本書紀の記述には当時の大和朝廷の政治的意図がかなり混入していますが、こうしたことを考えるなら、日本書紀や古事記以前には民の間にヤハウェ信仰がまだ色濃くあったのではないか、と思われてくるのです。
記紀にみるヤハウェ信仰
また『記紀』(古事記と日本書紀)には、ヘブル語起源と思われる言葉が多いのも、興味深いことです。
神武天皇は即位したのち、種族の長たちに「アガタヌシ」(県主)の称号を与えた、と書かれています。これは全く、ヘブル語と同じです。
これがヘブル語の「アグダ・ナシ」だとすれば、それは"集団の長"の意味です。アグダは集団、ナシは長の意味(出エ一六・二二)です(ただし現代ヘブル語ではナシ・アグダ)。
『記紀』では、神々や天皇はみな「ミコト」と呼ばれています。これはどういう意味かと言ったら、日本語では単に尊称と解する以外にないでしょう。
しかし、これがヘブル語の「マークート」から来たものとすれば、それは"王"の意味なのです(Ⅱ歴代七・一八)。
また天皇は、「ミカド」と呼ばれることもあります。これがヘブル語の「ミガドル」から来たものとすれば、それは"高貴なお方"の意味です。
また、日本は古来「ヤマト」と呼ばれてきました。これには「大和」「倭」「日本」などの漢字が当てはめられたりしますが、いずれも当て字です。漢字は中国から輸入されたもので、それ以前から「ヤマト」という音があったのです。
ヤマトがヘブル語の「ヤ・ウモト」なら、それは"ヤハウェの民"の意味です。ヤは神の御名ヤハウェの短縮形、ウモトは民の意味です(民数二五・一五)。
とすれば、日本民族は本来は、神ヤハウェの民であったことになります。
さらに、ユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグ氏は、神武天皇の正式称号「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」はヘブル語だと言っています。
もしこれを日本語として解釈すれば、これといった意味はないが、ヘブル語として読めば、それは、
「サマリヤの王、神ヤハウェのヘブル民族の高尚な創設者」
の意味になるのです(詳しくはレムナント出版発行『古代日本にイスラエル人がやって来た』五二ページ)。またアイデルバーグ氏は、
「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、ここの、とお」
も、ヘブル語だと言っています。まさかと思う人もいるでしょうが、実際これはヘブル語としか思えないのです(詳しくは同書五三ページ)。
このように古代日本には、ヘブル語を話し、神ヤハウェを信じる一群の人々がいたはずです。『記紀』においてヘブル語源のものが残っているのは、そうした人々の名残でしょう。
しかし、やがて多神教や、異教的な伝承を持つ人々たちが勢力を持つようになると、日本の起源に関する伝承は、『記紀』に記されたような多神教的な物語に作り替えられていきました。そしてヤハウェ信仰も、少なくとも表向きには、消し去られていったのです。
ヤハウェ神に立ち帰れ
今日の日本神道の多神教形態と、現代の日本人の間に見られる無神論は、日本民族が堕落した結果にほかなりません。
本来、日本人は、宗教心あつく、霊性高く、至高の神を敬い、拝する民族でした。初期の日本人は、聖書の教えると同じ神ヤハウェを知っていたことでしょう。
私たちが、本来の民族的ルーツに立ち帰るにはどうしたらよいのでしょうか。それは、神ご自身が下さった啓示の書『聖書』に学び、聖書の教える神ヤハウェを信じることです。
そして父なる神ヤハウェが、私たちのためにお送り下さった御子イエス・キリストを、救い主として知ることです(イザ五三・六)。
そのときに、私たちは霊性を回復し、祖先の信じたと同じ唯一の至高の神に立ち帰ることができるのです。
Back to Yahweh our God!
ヤハウェに立ち帰れ。
久保有政著(レムナント1997年8月号より)

小さな王国トンガに贈られたチュウゴク製の「危ない飛行機」はいまや、政治的にも危険な飛行機に

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小さな王国トンガに贈られたチュウゴク製の「危ない飛行機」はいまや、政治的にも危険な飛行機になってきた。
「危ない中国製航空機」に追い詰められる「トンガ王国」
配信元:
2013/08/19 12:09更新
南太平洋のトンガ王国に中国が無償供与した小型旅客機が、トンガとニュージーランドの外交問題を引き起こしている。
この中国製飛行機「新舟60」は2年前の墜落事故に続き、今年も3件の事故を起こした札付きの「危ない飛行機」。
安全性への懸念を理由にニュージーランドがトンガへの観光援助を停止し、これにトンガが不満を表明して批判の応酬になった。
カメルーンの航空会社が導入を見合わせるなど、メード・イン・チャイナ機への安全懸念も広がっている。(坂本英彰)
■世界で最もひどい安全記録をもつ飛行機
7月6日、トンガの空港に中国・西安飛機工業製作のターボプロップ機「新舟60」の姿があった。
国王ツポウ6世臨席のもとに行われた引き渡し式だ。
交通相を兼ねるバイプル副首相は、中国への感謝とともにこんな言葉を口にした。
「この飛行機が米国やニュージーランドで承認されていないのは残念だ」
西安飛機工業は国有の軍需関連企業である中国航空工業集団の傘下にあり、新舟60は航空産業の世界進出を担う。
2000年に開発され、中国国内ほか、英紙ガーディアンによると、今春までに80機が各国に納入され、3年先までの予定も165機にのぼる。
ただし欧米先進国は含まれず、アフリカやアジア諸国への販促を狙った無償供与も多い。
先進国で飛べる安全性を備えているかは疑問視されてきた。
疑いを強めたのが5月から6月にかけて立て続けに起きた事故だ。
インドネシアの空港ではハードランディングでエンジンと翼が折れ曲がり、ミャンマーでは滑走路からはみ出す2件のオーバーランを起こした
。いずれも人身への影響は軽微だったが、ミャンマー航空当局は「機体に問題がある可能性が高い」として、同型機の国内での運行を停止した。
11年5月には、インドネシア国営メルパティ航空の新舟60が東部の西パプア州で墜落、25人が死亡している。
オーストラリアABCラジオによると09年以来、新舟60の事故は11件にのぼる。
同ラジオは「世界で最もひどい安全記録を持つ飛行機のひとつ」と評した。
■事故にあったら自己責任で…
トンガに供与された新舟60は同国内で旅客機として使用される予定。
この事態を受けてニュージーランド政府は7月、トンガの観光発展を促すために使われる約820万ドル(約8億円)の援助を停止した。
マカリー外相は同国メディアに「新舟60には重大な安全懸念があり、国民の税金を支出することはできない」と指摘。
「安全性を調べる航空専門家の派遣費を持つという提案もトンガは拒んだ」と述べた。
ニュージーランドはトンガへの旅行者に対し、「新舟60は多くの事故に関与しており利用は自己責任で」と、外務省ホームページで注意喚起の情報を流しはじめた。
トンガも黙ってはいない。
新舟60の導入の中心人物であるバイプル副首相はニュージーランドのメディアに「中国で飛んでいるのだから国際基準は満たしているはずであり、中国の飛行機のことはトンガではなく中国に言うべきだ」と、不満をぶちまけた。
トンガでは今年はじめまでニュージーランドの会社が国内線を運行していたが、新舟60の提供を見越した新会社「リアルトンガ」が設立されたため撤退。
今年末までさらに1機の新舟60が届く見込みだ。
■人口10万人の小国に、多数の中国人
援助停止の背景には、中国傾斜を強めるトンガに対するニュージーランドのへの政治圧力という側面もある。
ニュージーランドの庭先ともいえる南太平洋の国々で、中国の存在感は飛躍的に高まっている。
トンガは1998年、台湾との外交関係を断ち中国に乗り換えた。道路や官公庁などの建物の多くに中国の援助や融資が入り、2006年の民主化暴動で破壊された首都ヌクアロファ中心部の復興にも約7千万ドルの融資を行った。
米紙ウォール・ストリートジャーナルはトンガの対外債務の6割以上は中国に負っているとし、「中国は米国にとって戦略的重要な南太平洋の貧しい小国に静かに影響力を広げつつある」と指摘している。
人口約10万人の小国に、いまでは数千人の中国人が住む。
日本の外務省が「中国人と間違われて白昼に暴行を受けるなどの可能性がある」と海外安全情報のホームページで注意を促すほどで、ビジネスなどで成功する中国人に対する現地の人々の感情は複雑だ。
トンガ指導層と中国政府の癒着の噂も渦巻く。
今年5月にはオーストラリアのABCラジオが、王族系企業に中国の不透明な金が流れているとの民主化団体の告発を伝えた。
また英BBCは7月、雨が降ればあふれて道路脇の家に流れ込む側溝や、冷房や維持費がかかる大仰な建物などを現地の気候や事情に配慮しない援助を報じている。
■トンガ揺るがす中国からの危険な「贈り物」
新舟60の安全性に関心を寄せているのがアフリカなどの国々だ。
供与された1機を軍用に使用しているカメルーンは、予定していた3機の旅客機導入の一時停止を表明した。
中国は連鎖反応による安全懸念の高まりを懸念しているとみられるが口を閉ざし、沈静化を待っているようだ。
ニュージーランドと中国にはさまれたトンガは、新舟60の扱いに苦慮しはじめている。
「国際的な安全基準を満たすまで運行は許可しない」との声明を出すなど、ニュージーランドにも配慮を示してバランスを取ろうとしているようだ。
トンガからの報道によると、リアルトンガは8月に入ってから新舟60の運行を開始した。
操縦にはトンガ人とともに中国人もあたっているという。
国際機関からの認証を得たとしているが、ニュージーランドが警告を発するなかでの運行開始。
小さな王国に贈られた「危ない飛行機」はいまや、政治的にも危険な飛行機になってきた。
いまでは格安航空のメッカとなった関西空港だが、新舟60は日本の空には就航していない。
ただウクライナの航空会社が新舟60を導入するなど商圏は途上国から拡大の様相。
海外旅行で新舟60に乗り合わせる“危険”は増大しそうだ。
リアルトンガとウクライナの新舟60だけは乗りたくない!

蒋介石はこの停戦が「命取りとなって1948年冬、我々は東北で最終的な敗北を喫した」と述べている。

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安全保障第115号(新年号)
中国駐米大使胡適の「日本切腹、中国介錯論」
――コミンテルンの上を行くペキンテルン――
元防衛大学校教授 平間洋一
太平洋戦争への道程を国際的に見れば、日中や日英の対立をはじめ、ルーズベルトの謀略(裏口参戦論)やスターリン(コミンテルン)の謀略など多くの要因があり多々論じられてきたが、本日はルーズベルトと中国、コミンテルンと中国、特に「孫子の兵法」的に他国を利用する中国独特の戦略的謀略という視点から申し上げたいと存じます。
なお、講演では時間の関係で省略した部分や根拠となる文献を紹介するとともに、補足的な解説も加えていることをあらかじめお断りしておきます。
中華人民共和国はアメリカが造った
ジョセフ・マッカーシー上院議員はヤルタ会談でヨーロッパの平和を、テヘラン会談でアジアの平和を失ったとルーズベルトを非難し、中国共産党を強化し国民党を敗北させた「元凶」として、一九四六年六月に長春への国府軍の進撃を停止させ、八月には国府軍への武器売却や武器輸送禁止を命じたジョージ・マーシャルとディーン・G・アチソンの二人の国務長官を非難しているが、特にマーシャル長官に対しては一七項目の罪状を列挙して激しく非難している 。

また、アン・コールターも『リベラルたちの背信』で、ルーズベルトはスターリンのスパイだったアルジャー・ヒスを傍らにはべらせて、ヤルタ会談で東ヨーロッパを売り渡しただけでなく、国連総会での三票と国連ナンバー・ツウの高官を指名する特権と拒否権をソ連に与えた。

ハーリー・S・トルーマン大統領は非米活動委員会が開かれると、コロンビアに亡命したロークリン・カーリー、クレムリンのスパイのヒスを擁護し、ハーリー・D・ホワイトをIMFの理事に任命し、スパイだと指摘されても解任しようとしなかったと非難している 。

「ハーリー・D・ホワイト(米財務次官)」
1945年2月のヤルタ会談が行われていた時は、ソ連が強引にポーランドに親ソ政権を樹立し、ブルガリアやルーマニアを支配下に置こうとしていた。
これに対してルーズベルトは世界赤化というソ連の野心を見抜けず、米英ソの協調が可能との思いこみからソ連に譲歩することにより、1920年代のような安定した戦後体制が確立できると考えていた。

そして、ヨーロッパではドイツの分割のみならず、東ヨーロッパ、バルト三国をソ連の勢力圏と認め、アジアでも南樺太と千島列島を対日参戦の代償として認め、旅順や大連港の優先的使用、南満州鉄道の中ソ共同管理などを認めた。
それが中国共産党に中国全土と満州を制圧することを助けた。
また、蒋介石への援助を凍結し、共産軍に不利な戦局となると蒋介石に進撃中止の圧力をかけ続け、中国の共産化に手を貸すという大失策を犯したため、二年後に朝鮮の戦場で6万3000人余りの若者が、次いで10数年後には、さらに多くの青年の血がベトナムの戦場で流されたと、在華米軍司令官兼蒋介石の参謀長であったアルバート・C・ウェディマイヤー少将も、マーシャルとアチソン国務長官を非難している 。

またユン・チアン、ジョン・ハリディは『マオー誰も知らなかった毛沢東』で「ワシントンに救われる」、謝幼田は『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』で「巧みに利用されたアメリカ人」、蒋介石は『蒋介石回想録』で「こじれた中国軍の指揮権問題」の一章を設けて、マーシャル国務長官や中国駐在の外交官や在華米軍司令官兼蒋介石の参謀長であったジョセフ・スティルウエルなどが、いかに共産党寄りの政策をしたか、また中国共産党やクレムリンが如何にアメリカを利用したかの策謀の詳細を明らかにし、マッカーシやウェディマイヤーなどが指摘した事実が正しかったことを裏付けている 。

「ウェディマイヤー少将」
さらに謝幼田は国府軍がハルビンから100キロの距離にあった1946年6月に、国民党政府への援助を停止せずに林彪の部隊が長春から潰走し、ハルピンに向かっているときに停戦を命じていなかったならば、共産軍が満州に進入し日本軍の武器を得て強化されることはなく、歴史の展開は異なった様相を呈したであろうと述べているが、蒋介石が有利な時にマーシャルは度々討伐作戦を中止させたのである。

4ヵ月の停戦期間を利用して林彪以下6000人が満州に侵入し、旧満州国軍の兵士や徴兵により30万の兵士を獲得し、敗軍を立て直すことができたのであった。
しかも、ソ連軍が日本軍から接収した航空機や戦車などの武器を与え、旧日本軍の指導を受け航空部隊を創設し 、みすぼらしい共産軍が近代的軍隊へと改編されたのであった 。

蒋介石はこの停戦が「命取りとなって1948年冬、我々は東北で最終的な敗北を喫した」と述べている。

もし前進を続けていれば中国東北部の戦略的中心を占領し、北満に散在していた共産党の敗残兵を粛清し、満州は容易に平定されたであろうと書き残している 。

「蒋介石総統」
しかし、最も辛辣詳細に批判しているのは、コミンテルン要員であった夫がスターリンに殺され、スティルウェルやスメドレーなどとも日本軍の漢口攻撃時には交流があり、『日本の粘土の足 』で「朝鮮・台湾・満州における日本人官吏や警察の腐敗堕落、その容赦ない現地人抑圧、無防備の人々の前に野放しにされた小商人たちや高利貸の群れの行いなどは、盛んに言われている武士道精神や、日本人の高い美徳や、アジアの民を「解放し」導く使命などと重ね合わせるとき、共和政末期にローマが属州で行った悪政を思い起こさせる 」と書いていたイギリス人のフリーダ・アトリーであろう。

アトリーは著書『アトリーのチャイナ・ストーリー』の半分を使いマーシャルやトルーマンを非難している。

左傾化したルーズベルト政権とピンコ (注1参照)
なぜ、アメリカはこのように中国に騙されたのであろうか。
それはワシントンから中国の現地までが、フランクフルト学派 のピンコや共産主義者に抑えられていたからであった。

ルーズベルトはニューディール左派の進言を入れ、全国産業復興法、農業調整法、国家復興庁法などで私企業に介入し、連邦裁判所から憲法違反の判決が出されるほど、社会主義的な政策を大胆に推進し、自由市場経済から社会主義統制経済へと転換した。

このためアメリカでは共産主義への警戒心も薄れ、社会主義化した 。

[注1: 米国の辞書によれば「左翼的意見を持った人」、「穏健な共産主義者」などとあり、この言葉は一九二六年に雑誌の『タイム』が最初に使い、その後も左翼陣営を批判するときに"Pinko Press"や"Pinko Intellectuals"などと軽蔑を含んだ意味で使われている。

1918年のハンガリー革命に失敗したジェルジ・ルカーチはソ連に亡命し、革命を成功させるには伝統や文化を根底から破壊しなければならないと主張、この思想はフランクフルト大学社会研究所のユダヤ系ドイツ人マックス・ホルクハイマ―教授に引き継がれ、新しいユートピア社会を作るには宗教、資本主義、家族、道徳、伝統、愛国心などを徹底的に排除しなければならないとの主張になった。
この信望者がフランクフルト学派と呼ばれるマルクス主義者で、ヒトラーの弾圧が始まるとアメリカに逃れコロンビア大学の援助を受け、表立ってマルクス主義の用語も使わないことから共産主義を嫌うアメリカでも受け入れられ流布した。]
一方、ソ連は1935年の第7回コミンテルン世界大会で、これまでの一党独裁路線を改め、リベラルなあらゆる勢力と協力し反ファシズム(具体的には日独)と戦う人民戦線戦術を採択したこともあり、知識人などのピンコが共産党に入党し、1930年には7500人に過ぎなかった共産党員が38年には7万人に増加した 。

この結果、ニューディール政策を推進したルーズベルト政権には太平洋問題協議会理事で副大統領のヘンリー・A・ウォーレス、ハロルド・イッキーズ内務長官などの強硬なリベラル左派がおり、また補佐官などには大統領特別補佐官のハリー・ホプキンズ、経済担当補佐官のキューリー、国務省のアルジャー・ヒス、財務省のホワイトなど、200名近い共産主義者やピンコなどが採用され、ルーズベルト政権の政策決定に大きな影響を与えた。

「ルーズベルト大統領」
「ベノナ文書 」によると大統領補佐官のジョン・ホプキンスはNKVD(KGB国家保安委員会の前身)の全米責任者イサク・アフメーロフに貴重な情報を提供し、モスクワでは「役立つ間抜け」と云われていた 。

また、ヤルタ協定の原案を作成したヒスは暗号名「アリス」と呼ばれ、ルーズベルトやトルーマン政権内の情報を流し続け、さらに実質的な初代国連事務総長として国連の創設にかかわり、国連事務次長のポストをソ連の指定席とし多数の要職をソ連に与え、国連をソ連の宣伝謀略機関としてしまった 。

ヒスは1949年にスパイ行為が発覚し逮捕されたが、民主党やリベラルなジャーナリズムが庇い、スパイ罪の時効が10年であったことから2件の偽証罪で懲役5年にとどまった 。

また、対中国政策に最も大きな影響を与えたのが、太平洋問題調査会出身の極東問題の大統領補佐官カーリーで、カーリーは日米開戦半年前に宋子文などとフライイング・タイガー(義勇軍飛行隊)に戦闘機三五〇機、爆撃機一五〇機を供給し、義勇兵により中国空軍として海南島や台湾、九州や大阪、さらには東京などを爆撃する陸海軍参謀会議作成の「対日爆撃計画(JBB355号)」を、ヘンリー・モルゲンソー財務長官、フランク・ノックス海軍長官などの協力を得て七月二三日にルーズベルトに承認させ、この日本爆撃作戦は九月末か10月初旬には開始される予定であった(しかし、欧州戦線が緊迫しイギリスに航空機が引き渡されたため実現しなかった)

またキューリーは太平洋問題調査会の『Pacific Affairs』編集長オーウェン・ラティモア(妻は共産党員)を蒋介石の顧問に推薦し、ホワイトハウス内の自分の執務室で仕事をすることを認めていた 。

「フライイング・タイガー(義勇軍飛行隊)」
この太平洋問題調査会は環太平洋諸国の相互理解、文化交流などを目的とし、政治・経済・社会問題などの共同研究を行う機関として、ロックフェラー財団の支援を受け、1925年にハワイのYMCA(キリスト教青年会)によって創設された。
しかし、1933年にニューヨークに事務局を移し、エドワード・カーターが事務総長に就任すると反日色を強めていった。
特にアメリカ支部長のフレデリック・フィールドは共産党青年養成機関の会長であり、フィリップ・ジェフェ理事は共産党が援助している『アメラシア』の編集長であった。
調査会の事務所と『アメラシア』の編集室は同一ビルにあり、調査会のメンバーがしばしば『アメラシア』に寄稿し、依頼を受けて講演活動を行っており、調査会が「共産党ト密接ナ関係ヲ有シ」ていると若杉要ニューヨーク総領事は報告している 。

また、アトリーも『Pacific Affairs』や『アメラシア』は、中国に好意的でない論文は殆ど掲載せず、国務省、戦略諜報局(OSS)、外交政策協会の職員や大学教授、ジャーナリストなどが相互に密接に結びつき、このネットワークが新聞やラジオ、講演会の開催などに絶大な影響力を持っていたと述べている 。

この調査会がいかに親共産党であったかは、機関誌『Pacific Affairs』に、「現在、二つの中国がある。一つはわれわれが言うところの国民党中国であり、もう一つは共産党中国である。しかしこれらは看板に過ぎない。
もっとはっきり言えば、一つは封建中国、もう一つは民主中国と呼ぶべきものである」との記事を掲載していたことからも明かであろう 。
蒋介石政権の反日組織と中国共産党
中国は今でも、中国に協力的な人物を「中国の良き友」などと呼び利用しているが、当時も「国際友人」とか「我らの良き友」などと呼ばれた大学教授や宣教師、新聞記者などが利用されていた。

これら国際友人などは単に便宜が与えられるだけでなく、人によっては国民党中央宣伝部国際宣伝処顧問とか翻訳編集などの業務、さらには「特約(内容不明)」契約などにより報酬が与えられていた 。

エドガード・スノーは『中国の赤い星』『極東戦線』などの著書を通じて日本の侵略行為を世界に訴えたが、ユン・チアン、ジョン・ハリディの『マオ 誰も知らなかった毛沢東』によると、1936年春に毛沢東が自分を宣伝してくれる西欧のジャーナリストを探すように指示し、スノーに白羽の矢が立った。

スノーの訪問に際し毛沢東は「安全、保密、熱嗣(盛大)、隆重(丁重)」を旨とせよとの指示を与え、政治局はスノーから提出させた質問に対する回答を念入りに準備し、「毛沢東はさらに用心のためスノーが書いた原稿をチェックし、訂正や書き直しの筆を入れ」たという 。

なお、スノーは北京大学構内の墓に「良き国際友人」として眠っている。

また「日本の中国侵略に加担しないアメリカ委員会(以後、アメリカ委員会と略記)」は、元北京大学教授ハリー・プライスと弟の在中国宣教師フランク・プライス兄弟が中心となり、名誉会長には元国務長官ヘンリー・スティムソン(その後に陸軍長官)、会長には元漢口総領事ロジャー・グリーン、名誉副会長には元全米キリスト教評議会会長ロバート・スピアー博士、顧問にはハーバード大学学長など学界や宗教界、出版界などの大物が多数参加していた。

アメリカ委員会は1939年1月には「略奪者日本の侵略活動への加担を拒否する」との声明を発し、『日本の戦争犯罪に加担するアメリカ』を7万5000部、『戦争犯罪』を2万5000部など、一一種一〇〇万部のブックレットやパンフレットを発行し、上下両院の全議員、全米の大学、新聞社、キリスト教団体、商工会議所、労働組合などに配布していた 。
若杉ニューヨーク総領事の報告によれば、アメリカの反日組織の中でアメリカ共産党と最も密接なのが「中国を支援する委員会」で、委員長のフィリップ・ジェフェは「共産党員ニシテ客年」訪中し、「共産軍本部ヲ訪問」した人物であり、この組織は全米24州109都市に支部がある。
また、「平和と民主主義連合」の幹部の多くが共産党員であるといっても「過言ニ非サル可シ」。

「中国人民の友」の会長マックス・スチュアートは「過激思想」の持ち主で、外交政策協会の調査員、「ロシアの友」の全米委員で、左翼雑誌『Nations』の編纂長兼記者でソ連とも「密接ナル関係」あり。

この他にニューディール左翼が関与する「日本の侵略に反対する日本製品不買委員会」などが、全米労働総同盟(AFL)や産業別組合会議(CIO)に日本品不買決議を採択させ、対日武器輸出禁止の請願を議会に提出するなど、共産党であることを伏せて「各階級ニ接触シ其ノ勢力ヲ糾合シツツアリ」と報告しているが 、この報告が正しかったことは、『アメリカ共産党 とコミンテルン 』や「ベノア文書」などの出版や公開により裏付けられている。
蒋介石はクリスチャンの妻・宋美齢に倣い洗礼を受け、キリスト教団(特にプロテスタン)の影響力を利用し、1933年7月には中国と関係が深い三つの伝導団体が統合され、YMCA世界連盟のJ・R・モット会長主導で「中国を援助する教会委員会」が結成され、全米12万5000のプロテスタン教会所属の3000万人に反日と日本製品不買を訴え、その影響は「侮リ得サルモノ」であると若杉総領事は報告していた 。
また、蒋介石は宗一族から孔祥熙、宋子文などをワシントンに送りロビー活動を強化し、中国軍需物資供給会社にルーズベルトの親族や側近を迎え、親中国派のホーンベック国務省顧問やヒス極東課長などの官僚や財界人、ジャーナリストを連日招き中国への支援と反日世論の強化を画策していた。
このため野村吉三郎大使の日米交渉が外国への伝導組織であるメリノール宣教会長のジェームズ・ドラウト司教や、事務局長のジェームズ・ウォルシュ神父などの私的な交渉から正規の交渉として国務省に移管されると、国務省内のチャイナハンドやピンコが動き、対日強硬派のホーンベックやモーゲンソー財務長官が干渉した。
そして、交渉が大詰めに入った11月25日には、モーゲンソー財務長官から経済力で日本を無力化するモーゲンソー試案がハル国務長官に提出された。
この試案はモルゲンソー財務長官の特別補佐官ホワイトが、NKVDの在米トップのイサク・アフメロフの指示で、ビタリー・パブロフ(NKVD・退役中将)が口頭でホワイトに示唆し、この工作をホワイトにちなんで「雪作戦(スニェーク)」と命名し、「作戦は見事に成功した」と、1996年にモスクワで出版した『スノー作戦』に書いている。
ホワイトが作成した「日本との緊張を除去し、ドイツを確実に敗北させる課題へのアプローチ」の第一部の「暫定案」は、交渉の継続を狙った一時的なものであり、第二部の「基礎案」には原則的な強硬な対日要求が列記されていた。
このホワイト案には「なかにはよい点もあって、われわれの最終草案にとり入れられた 」とハル長官は述べ、ホワイト・モーゲンソー案の約七割が国務省の基礎案に採用されている。
しかし、パブロフから聞き込み調査を行った須藤眞志は、ホワイトがソ連の情報機関から働き掛けを受けたことは否定できない事実であるが、ソ連の工作に強く影響されて「ハルノート」が作成されたとは断言できない。
また、ソ連の工作によって日米戦争が起こされたというソ連謀略説は、パブロフの証言を見る限り、全く当たっていない」と述べている。

ハル長官は11月25日朝のスチムソン陸軍長官とノックス海軍長官との会談で、三ヶ月間の交渉継続の「暫定協定案」を日本側に手渡すと伝え、正午からマーシャル国務長官、スターク作戦部長を加えたホワイトハウスの軍事会議でも「われわれ自身が危険にさらされないで、最初の一弾をうたせるような立場に日本をいかにして誘導すべきか」などを話し合い 、ハルはこの時点では暫定 協定案を手渡すつもりでいた。
それが変わったのがスチムソンに届いた陸軍情報部からの日本の船団が台湾沖を南下中との情報であった。

この情報を受けるとスチムソンは「10隻ないし30隻」との報告を「30隻から50隻」とし、陸軍情報部は「これは先のヴィシー政府との取り決めによるもので、概ね通常の行動」と報告したが、スチムソンはどのように大統領に報告したのであろうか、スチムソン日記には大統領は報告を受けると、「すっかり興奮し、烈火のごとく立腹した。日本は中国からの全面撤退を含む交渉をしていながら、他方ではインドシナに向かって遠征軍を送ろうとしていることは、日本が全然信用できない何よりの証拠で、いまや情勢はすっかり変わってしまった 」と書かれて おり、須藤真志はスチムソンのハルへの電話がハルを基礎的一般協定案(ハルノート)に変えたとしている 。
一方、ハル長官が暫定協定に傾いているとの情報を得ると、ピンコの内務長官イッキーズは「もし日本との交渉が成立したならば、私は協定を攻撃し国務省とその宥和政策を非難する警鐘の声明を発表し、直ちに閣僚を辞任するつもりであった 」
と日記に書いている。
また、ホワイは暫定協定に傾いていることを知ると、太平洋問題調査会事務局長エドワード・カーターに至急電を打ち、上京し基礎案採用へのロビー活動を行うよう依頼するなどハルノートには深くかかわっていた 。

ホワイトは コミンテルンとの関係がしばしば指摘されたが、戦後も長く中枢に居続け1946年から47年には国際通貨基金(IMF)のアメリカ代表に指名され、理事長にまで栄進した。
しかし、1948年8月16日に下院の非米活動委員会でKGBの在米責任者のボリス・バイコフ大佐の活動が明らかになり喚問されると、三日後に持病の心臓疾患から死亡した。
しかし、その死因には多くの疑念が残されている。

中国本土におけるピンコの暗躍
野村吉三郎大使が必死に中国におけるコミンテルンの危機を説明したが、ルーズベルトは全く聞く耳を持っていなかった 。

それは中 国から送られてくる報告が「中国共産党はほんとうは共産主義者ではなく、むしろ農民民主党(土地解放者)である。国民党政府が共産党を討てば、共産党はソ連に援助を求め、その結果、中国は赤化する(ディビス報告)」、「毛沢東は共産主義国家、社会主義国家をつくろうと考えていないし、国民党政府を転覆させようとも思っていない。また、ソ連やコミンテルンとも関係はない(サービス報告)」などという電報だけがワシントンに送られていたからであった 。

「野村 吉三郎(駐米大使)」アトリーは重慶のジョン・ S・サービス、ジョン・S・ディビスとジョン・C・ビンセントの三人のジョンが、軍民(海軍を除く)のすべての発信電報を掌握しており、もし館員の誰かが「共産軍が攻撃しているのは日本軍でなく国府軍である」と、報告したならばワシントンには届かなかったであろうと書いている 。

これらの報告を送ったリーダー格のサービスは上海事件後の日本軍の漢口攻略作戦時に漢口にいたグループで、この当時は国府軍と共産軍がともに対日戦争を戦っていた時期であり、その知見が国府・共産軍の協力が可能とのトラウマとなったのである。

サービスはスノーやラティモア、宋慶齢(孫文の妻、のちの中華人民共和国副主席)らと親しく、中国共産党の軍事委員会の情報工作責任者の董必武などと頻繁に接触し、1942年には延安を訪問し四ヶ月滞在して毛沢東や周恩来と会談したが、1943年にはスティルウエルの政治顧問となった。

しかし、1945年に連邦調査局(FBI)がニューヨークの太平洋問題調査会を捜査した際、アメリカ政府の機密文書が大量に発見されたため、サービスを含む六人が逮捕されたが、国務省の一部が庇護したため釈放され、サービスの調査を指示した国務省副長官は辞職を余儀なくされた。
しかし、あまりにも嫌疑が重大だったため再審査を受けると国務省を去った 。

ディビスは中国生まれの外交官で 1942年以降、スティルウエルの顧問であったが国民党政府を誹謗し、共産党軍を攻撃するので蒋介石への武器援助をやめ、共産軍を強化すべきであるとの報告を送り続けたが、ケネディ下院議員(のちの大統領)が中国の赤化はアメリカの外交官と大統領の責任であると演説し、1952年の大統領選挙では共和党から民主党が弱腰であったため、中国を喪失したなどの非難の声が高まると南米に逃れた。

また、蒋介石の参謀長で在華米軍司令官のスティルウエルは、中国駐在武官を三回も務めた中国通であったが、漢口時代には『中国は前進する』などの共産党を称賛する著作を書き、朝鮮派遣軍総司令官朱徳の伝記『偉大なる道』を書いたコミンテルンとの関係が深いアグネス・スメドレーや、エバンス・カールソン大尉などと親しかった。
このためスティルウエルは、日記に次のように書くほど共産党に好意を持ち国民党には反感を持っていた 。

国民党と共産党を比較する と、国民党は腐敗、粗忽、混乱した経済、徴税、空言と実体のなさ、買いだめ、闇市、敵との交易。共産党の計画は減税、減租(小作料の引き下げ)、減息(利息の引き下げ)、生産増加、生活水準の向上、政治参加、彼らの行った約束の実現である。一種の理想だが、こうした理想が彼(蒋)を打ち負かした。
彼は共産主義の影響力の拡大に途方に暮れている。
彼は中国の庶民が共産党を歓迎し、人を押し潰すよう重い税金・人を虐待する軍隊、戴笠の特務から完全に解放されることを望み、共産党が中国人民の唯一の明確な希望となっていることに我慢できない。

エヴァンス・カールソン大尉は大使館勤務中に共産党員やピンコの在華アメリカ人と接触していたが、帰国するとルーズベルト大統領の私邸の警備隊長に任命され、ルーズベルトと個人的に深い関係が生まれ、三人のジョングループとは異なるチャンネルでルーズベルトの中国政策に大きな影響を与えた 。
カールソンとルーズベルトとの 関係が深くルーズベルトが如何に信頼していたかは、1942年8月16日にルーズベルトの長男ジェームズ・ルーズベルト少佐が、カールソン中佐の指揮下にマキン環礁にコマンド攻撃を行ったことからも理解できるであろう。

操られたアメリカワシントンにはロークリーン・キューリー極東問題の特別補佐官がいた。

キューリーは中国共産党の地下党員で財政の専門家冀朝鼎と親しかったことから、中国への支援がアメリカにとり経済的に利益があることを具体的に説明することができた。

キューリーは周恩來との会見後、蒋介石に「アメリカは国共紛争が解決されない限り、大量の援助はできない。中米間の経済、財政などの諸問題を進展させるのは不可能であると伝えるなど「ワシントンで最も早く共産党重視の先入観を植え付けた人物」であったと言われている 。

ワシントンの中国政策が共産党支持へと決定的に変わったのは、1944年
6月にルーズベルトがヘンリー・ウォーレンス副大統領を特使として中国に派遣したことがはじまりであったが、ウォーレンスはルーズベルトの大統領選挙に協力し、第一期は農業相、第三期は副大統領に就任するなどルーズベルトとはきわめて近い関係にあった。

ウォーレンスは太平洋問題調査会の理事であり、随行者はラティモアと一九四六年には極東局長に栄進したジョン・C・ビンセントであったことからも、ウォーレンスの中国政策がきわめて親共産党的となったことが理解できるであろう。

1945年にパトリック・J・ハーレー大使が共産党と親密な12名の館員を帰国させた。
しかし、まもなく国務省内の中国ロビーにより大使自身が更迭されてしまった。

後任は中国情勢に詳しいウェディマイヤー在華米軍総司令官兼蒋介石の参謀長が任命されるべきであったが、任命されたのは中国を全く知らないジョン・レイトン・スチュアートが教育界から任命された。

それはマーシャル国務長官が周恩来の反対を受けて取りやめたからであつた 。

赴任国が大使の人事に不同意を表して替えられる例はあるが、政権に反対する勢力の不同意で大使を替えた例は世界史上に類を見ないのではないか。

それほどアメリカの中国政策は中国共産党に支配されていたのであった。

毛沢東は1937年10月には「中・日戦争は、わが中国共産党にとって党勢拡張のための絶好の機会を提供している。
わが党の一貫した政策は、その精力の70パーセントを党勢拡張に、20パーセントを国民党との取り引きに、残る10パーセントを日本軍に対する抵抗にふり向けることである 」との指令を発し、さらに1941年5月には中央南方局の会議で 周恩来から、「精幹(頭脳明瞭で実行力に富む)を隠し、力を蓄え、時期を待つ」が指示されていた 」。
さらに周恩来は「外交工作に関する指示 」を出し、共産党の支配地を 視察するアメリカ人に共産党の活動を「われわれの国際統一戦線の展開と見なし……国際統一戦線の中心的な内容が共同抗日と民主合作であることを明らかに示す必要がある」と、抗日に熱心に取り組む民主的政党であるとの宣伝工作を指示するなど、単純なアメリカ人を優れた外交的手腕により、騙し続けて中華人民共和国を建国したのであった。

蒋介石はルーズベルト、マーシャル、スティルウエルらに、中国共産党とソ連との密接な関係、人民解放軍が政権を奪取するために兵力を温存し、兵力の拡張を図っていると何回となく警告したが効果はなかった。

なぜアメリカがこのように中国政策を間違えたのであろうか。

それは先に説明したとおり中国政策がピンコに牛耳られていたこと、アメリカ、特にルーズベルトが中国や中国共産党を知らなかったことや、ルーズベルトの強い親中感情や反日感情にあったが、アメリカがこれほど共産党に肩入れした裏には、対日戦を中国に戦わせ自らの出血を避けようとした意図もあったことは、ディヴィーズの次の報告から明かであろう。

アメリカ政府は、いま直ちに蒋介石を見捨てるべきではない。
ここ当分は、これにより得るよりも失うほうが多いからである。
しかし、「中国における進歩的軍隊―共産軍―を支持して、最終的には蒋介石を見捨てることについてアメリカは良心の呵責を覚えるべきではない 」

しかし謀略戦では中国の方が上であったことは、1939年に駐米大使になった
胡適の国民党政府への上申書「日本切腹、中国介錯論」を読めば明かであろう。

胡適はわれわれが戦い続ければ、中国沿岸の港湾や揚子江下流の天津、上海などの都市が、河北、山東、チャハル、鞍遠、山西、河南などの諸省が占領され、財政的に崩壊するであろう。

しかし、中国がこの犠牲を省みずに戦い続けるならば、日本は国力を消耗し列国も中国における権益を日本に侵され、居留民を守るために軍隊を派遣し日本と戦うことになり、世界の同情も中国に集まり日本は孤立する。

特に米英両国が香港やフィリピンに切迫した脅威を感じれば、居留民と権益を守ろうと軍艦を派遣せざるを得なくなり、太平洋での海戦が迫ってくる。

このような状況になって、はじめて太平洋での世界戦争の実現を促進できる。

我々は三~四年の間は単独の苦戦を覚悟しなければならない。
しかし、日本は自殺の道を歩んでいる。
日本の武士は切腹を自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。中国が介錯しよう 」と

中国の超長期戦略でアメリカにユーラシア大陸の防波堤であった日本を打倒させ、次いで朝鮮戦争、ヴェトナム戦争に引き入れられ、さらに、アジアで覇権を確立しようとしている中国と対峙させられてしまったのである。

模擬東京裁判の開催を自虐史を払拭し子孫に誇りある国を引き次ぐ対策があるであろうか。

それは世界から歴史学者を招聘し、学者による模擬極東国際軍事裁判(東京裁判)シンポジュームを開催し、連合国の戦争犯罪を日本を裁いた極東軍事裁判条例の第五条で次の三つの罪状で討議することである。

①平和に対する罪(侵略戦争を計画し、準備し、開始し、遂行して世界の平和を撹乱した罪
②通例の戦争犯罪(戦争の法規および慣例に違反したという罪)
③人道に対する罪(非戦闘員に対して加えられた大量殺裁、奴隷的虐待、追放その他の非人道的行為)多くの人は連合国の非を責めても今更何になるのか、昔の話ではないか、どうにもならないのではないかとの心境だと思う。
確かに連合国は「正義と人道」のために戦っていると宣伝し、東京裁判やBC級裁判もまさにその名目で行われたが、チェンバレン内閣の官房長官で枢密院顧問となったロード・ハンキー郷は、「もし同盟国アメリカの指導層が敵の手に捕われ、犯戦争犯罪人として審判された場合には、軍事裁判所の条例を起草する人たちは原子爆弾の使用を国際法に対する犯罪として宣言することを任務と心得たに違いない。

もし敵が原子力の問題を解決して、さきに原子爆弾を使ったとすれば、原子爆弾の使用が同盟国アメリカにおける戦争犯罪のリストの中に掲げられ、原子爆弾の使用を決定した人たちや、原子爆弾を用意したり使用した人たちは断罪されて絞首刑に処せられたであろう」と書いており 、学術的に冷静公平に連合国の戦争責任を討議することが必要ではないか。

アメリ カ、特にルーズベルト大統領の最大の罪状は「平和に対する罪」であり、ルーズベルトが日本を挑発して戦争を仕掛けたことについては、イギリスの生産相兼米英生産資源庁長官のオリバー・リトルトンが、戦争中の1944年6月22日にロンドンのサボイ・ホテルで開かれたアメリカ商工会議所での講演で、「日本人が真珠湾でアメリカ人を攻撃せざるを得ない」ほど、アメリカは日本を挑発した。
「アメリカが戦争に巻き込まれたというのは、歴史を戯画化したものである」と『ザ・タイムズ』は報じている。
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